第63話 「月の仮面が夜に舞う・後編」
ウルウェーテルの部屋を出ると、まず二階の部屋のドアを見て回る。
やはり多くの戦士たちに守られて油断しているのか、鍵の掛かっていないものがいくつかあった。
そのうちのひとつをそっと開ける。
中を伺うと、小さく灯る蝋燭の火に照らされ、裸の女を抱く男が闇夜に浮かんだ。
そのたるんだ腹や部屋中の宝飾品、家具などで、男がいわゆるジャルバダールの富豪であることが分かる。
頭上のランゴは「340」。
どうせ自分で獲った数字じゃないだろう。配下の戦士たちよりあえて下位にしているところがいやらしい。悪代官が護衛の浪人を「先生」と呼ぶみたいな小狡さだ。
すぐそばで子供たちが酷い目に遭っているというのに、結構なことだな。
ウルウェーテルが何をしているか知らないわけじゃないだろう。
いや――むしろコイツらが黒幕か。
戦士を集め、どんな方法でもいいから組織を大きくせよと旗を振っているのは、この男たちなんだから。
直接手を出していないにしろ、罪もない子供や、王都から逃げた者たちを食い物にしているのだ。
ならば容赦はいらない。
姿を消したまま男のそばへ歩み寄ると、その横腹をメイスで思い切りぶん殴った。
「ぐぎゃっ――!?」
「えっ!? なになに!?」
男は痛みのあまりひっくり返り、ベッドから落っこちる。
もちろん女の方にはワケが分からない。
俺はさらに男の両脚を叩き潰した。
「うげえぇっ!」
「なにっ!? なんなのっ!? いやあっ!」
女は恐怖のあまり部屋を飛び出す。
男はまだ「いてぇーっ! なんだぁっ!?」と苦痛に顔を歪ませて悲鳴を上げている。
さあ、これで火の手は上がったぞ。
男をそのまま放置して廊下へ飛び出すと、なんだなんだ、とあちこちの部屋から太ったオヤジどもが顔を出す。
どいつもこいつも似たような顔立ちだ。
ぽってりと太り、ヒゲがモサモサと生え、女を二、三人はべらせている。
ブラーの話じゃ、虎の御殿にいる富豪は十人のはず。二、三、四……――ちょうど十。ということは、ここに全員がいるようだ。
富豪たちはみな曲刀を手にしている。
危険な国だ。当然そのくらいの防犯意識はあるだろう。
――だが俺には関係ない。
「そこに透明人間がいる」と思われるのは避けなきゃならない。
「暗がりに何者かが潜んでいる」という勘違いがベストだ。
ロストグラフもそうだったが、この世界の夜は暗い。白熱電球やLEDなんて便利なものは無いからな。
夜の建物は薄暗く、この廊下も点々とランプが灯っている程度だ。
俺は姿を見せた富豪たちを次々と――急襲した。
正面からは襲わない。正面からでも襲えるが、あえて背後から頭部を狙い、メイスを叩き付ける。
ゴン、ゴン、ゴン、とテンポよく殴っていくと、「ぐぇっ!」だの「ぎゃあっ!」だの悲鳴を上げて、簡単に男たちは倒れてくれる。
当然女たちは見えない暗殺者を恐れて逃げていく。
その悲鳴がまた御殿中に響き渡る。
やがて階下からドタドタと戦士たちが足音を立てて登ってきた。
「何があったんですかい!?」
「夜襲か!?」
「馬鹿野郎、入り口はどこも見張ってるじゃねぇか!」
「じゃあ何が起きてるってんだよ!」
部下が現れて思わず安堵した生き残りの富豪たちは、彼らに守ってもらおうと階段へ走っていく。ちょうど五人、富豪の半分ほどがまだ気を失っていなかった。
俺はさっさとヤツらを追い抜いて、その先頭にいたでっぷりとした大男の足を――斬り裂いた。獲物はさっきまでコイツらが持っていた曲刀だ。
「ぐぎゃあっ!?」
男は思わずつんのめると、そのまま勢いよく階段を転がっていく。後ろにいた富豪たちも前方にいた男がつまずいた体にぶつかり、同じように階段を転がる。
そうなればたまったもんじゃないのは雇い主を助けに来た部下たちだ。
彼らは上から降ってくる五つものたっぷり肥えた肉の塊にぶつかり、まるでドミノ倒しのように崩れていった。
俺は両手に曲刀を持つ。
そして階段を駆け下りながら、もつれて崩れた男たちの群れを適当に斬りつけていった。
斬る場所がどこでも構わない。
顔、手、足、体、首、腕、太もも、目や耳――。
同時に火を灯す蝋燭も根本から斬っていく。
ふっ、ふっ、ふっ、と――明かりが消えてゆき、ヤツらから見れば、得体の知れない何かが闇と共に迫ってくるように見えるだろう。
血しぶきが飛ぶ。叫び声が響く。中には闇に立ち向かおうと剣を振り回すヤツもいるが、この暗がりと人込みだ、味方を斬ってしまうことになる。
俺にはお前たちが見えている。
お前たちには俺が見えていない。
それが全てだ。
返り血も浴びたそばから「シェード・オフ」していく。これをそのままにしておくと、返り血で俺の姿が浮かび上がってしまうからな。
暗闇と悲鳴が虎の御殿を覆い尽くす。
男たちは次々と倒れ、傷ついた体を痛みによじらせながら、しかし呻くしかない。
さらに騒動を大きくさせるため、俺は対面する二人のうち片方を思い切り斬りつけた。
どうやっても味方から斬られたとしか思えないように。
「てっ、てめぇ、何しやがる!」
――ズバッ。
「ぐげぇっ!」
「お前、気でも狂ったか!」
――ズバズバッ。
まさに――ブラーの言っていた通りだ。
コイツらは所詮傭兵。ひとたび崩れれば烏合の衆と化す。
それでもリーダーだったウルウェーテルがいれば多少は鎮静化したのだろうが、まさに今そいつは二階で伸びているのだ。
だが誰ひとりとしてウルウェーテルに助けを求めようとしないところを見ると、決して信頼や忠義で繋がっていた上下関係ではないのだろう。
それにヤツの「魔光」では、この目にも見えない謎の敵に対抗できるはずもない。
魔法はたしかにすさまじい威力を持つ技術のようだが、男たちは傭兵なりの生存本能でそれが意味を成さないことを感じている。
だから、例えばウルウェーテルの部屋へ助けを乞いに行ったりしないのだ。
まあそれを見越した上で、ハマルたちをあそこへ残してきたんだが。
そしてついに――一人目の脱走者が出た。
「こんなところになんかいられねぇよ! 命がいくつあっても足りやしねぇ! おっ、俺は王都を出るぜ!」
叫びながら虎の御殿を抜け出していく。
そうなれば後はもう簡単だった。
一人目をきっかけに二人、三人とどんどん続いて御殿を出て行く。
誰もが得体の知れないものへの恐怖と命惜しさで逃げてゆく。
「酒をくらってザコを相手にしてりゃあ、貴族になれるんじゃなかったのかよ!」
「どうもうまい話だと思ってたぜ!」
「ブタどもにアゴで使われるなんてもうごめんだ!」
しょせん金に釣られて集まっただけでなく、ウルウェーテルら他人の力を借りて威勢を張ってきた連中である。
一度怖い目に遭えば、すぐに自分の身が可愛くなって遁走するのだ。
逃げた者を追う気は無い。
だが二度と戻ってこようと思われないよう、俺は脱走しようとするヤツらから斬りつけていった。
もはやこの御殿に傷を負っていない者はいないだろう。
やがて――静かになった。
百人近くの男たちが床に倒れ、重なり合い、うずくまって呻いている。
叫ぶだけでも体力を使うことを理解したのだろう。
階段の下の塊は身動きが取れない富豪たちだ。
二階では同じように富豪どもが伸びている。
残りは御殿の入り口から点々と血をしたたらせて逃げて行ったようだ。
俺は倒れてる連中が「もう終わったのか……?」と安心した辺りで、ランダムにメイスでぶん殴っていった。
もはや御殿の中は真っ暗だ。
闇夜に浮かぶ幾十という数のランゴは、目には見えてもそれ自体が光源になったりはしない。
どこで何が起きているか、ヤツらに分かるすべもない。
実は俺もよく分かっていない。
その辺で声を聞いては、適当にメイスを振っているだけだ。
次はどこで誰が何に襲われるのか……。
何も分からない恐怖の中、傭兵たちの中には泣き始める者もいた。
神に助けを求める者も。
そういう哀れな連中さえも、心を鬼にして殴る。
その方が周りに効果がある。
それにこの男たちは、こうして涙ながらに助けを求めてきた子供たちを玩具のように扱ってきたんだろう。
正直――俺は血を見るのが好きじゃないし、人を斬る感触も殴る感触も最悪だと思っている。
好んで人を傷つけたいとは思わない。戦いや暴力にはいつまで経っても慣れたくない。
けれどブラーやレモネットが敵を「拷問」することに平然としていたり、あるいはバスタークやブリガンディも人を殺したことがあるという事実は、少なくともこの世界に比べてずっと平和だった日本に過ごしていた俺に、否が応でも新たな死生観を植え付ける。
この世界の人の命が軽いわけじゃない。
ただ、死がずっと身近にある。
だから死を恐れるだけでは駄目だし、それは同時に誰かを死に追いやる覚悟も無ければ駄目だということだ。
ごく単純に言えば、死ぬ気でニュトを護りたいなら誰かを殺す覚悟でいろ、ということだ。
だから今のように死屍累々の状況にも怯んじゃいけない。
血と臓物の臭いに顔をしかめる時間があったら、一人でも多く敵を攻撃する。
それがこの世界で生き抜くコツであり、強くなるためのコツなのだから。
それにしても――我ながら惨憺たる光景だな。
暗闇にも慣れてきた目で、御殿の中を見渡した。
今は夜だからまだマシだが、朝になればそこら中の壁という壁に血が飛び散り、うずくまる男たちが息を喘がせる光景が広がるだろう。
誰にもトドメを刺したつもりはないから、死んだヤツはいないと思うが……味方にやられた者や失血死する者はいるかもしれない。
悪く思うなよ。
ここまで派手にやったのは話題性だけじゃない――次に繋がる作戦の一部なんだ。
さて、あとは子供たちだな。
***
御殿の中にあった布を拝借して、血で汚れた服をある程度隠す。
同時に各部屋の鍵保管庫から倉庫の鍵を取り、捕らわれの子供たちの元へと歩いていった。
あれだけのパニックを起こしたんだ。
自分の命が危ないときに、わざわざ子供たちのところへ来るヤツらもいないだろう。
鍵を回し、そっと扉を開ける。
「ひっ……!」と、まず小さい悲鳴が上がった。
それはそうだろう。先ほどまで倉庫の外では激闘が繰り広げられていたのだ。男たちが逃げ出す声や叫び声もさんざん聞こえていたに違いない。
一、二、三、四人……か。
全員いるのかな?
「ツキト・ハギノという。君たちを助けに来た。ハマルとリリャを除く全員がいるだろうか?」
誰も答えない。
だが、ウルウェーテルの部下が「子供は五、六人」と言っていたし、子供たちの様子からして全員だろう。
誰かいなければ、互いの顔を見やるとか、何かしらのリアクションがあるはずだ。
「ええと……ここへ来るのに少々手荒にはなったけど、君たちには決して危害を加えたりしない。色々あって俺のことも信じられないかもしれないが、出来れば恐がらないでほしい。俺に付いて来れば、安全な場所へ連れて行ってあげる。どうかな?」
と、突然言われても、すぐには判断できないか。
ましてや今は姿を見せてるとはいえ、怪しい月の仮面を被った男だ。
こういうとき透明人間って不便だよな……。笑顔を見せることも出来ない。
ニュトやレモネットあたりが一緒にいればすぐに信じてもらえたんだろうが……。
しかし意外にも子供たちは、あまり警戒心も無くフラフラと近付いてきた。
「ほ……本当に安全なの?」
じっと見上げてくる少女の目を見て、俺は悲痛のあまり膝から崩れそうになった。
こんな――我ながら怪しい男が、あれだけの悲鳴や呻き声の後に現れ、それでも彼らはすがるしかない。
つまり、それだけ恐ろしい思いをしてきたのだ。
今以上に悪くはならないと――考えてしまっている。
俺を信じるしかない状況。
そんなあまりにも惨い状況を、この子たちは何か月も生きてきた……。
思わず込み上がりそうになる涙をぐっと我慢し、俺は答えた。
「……ああ、安全だよ」




