第61話 「月の仮面が夜に舞う・前編」
「なあ、ツキトさんよ。ちいっと焚き付けすぎたって反省してるぜ」
部屋を出るとき、ラインデッドが申し訳なさそうに俺の横へ来た。
「アンタのやろうとしてることは、あまりに無謀だ。
悪いことは言わねぇ、諦めようや。
諦めて俺たちとも縁を切れ。
これは手を貸すのが惜しくて言ってるだけじゃねぇ。万が一ブトランテラを倒して成り上がったとしても、アンタには犯罪者集団と手を組んだっていう汚名がついて回るんだぜ。
正直今の流れは、アンタにとってひとつも利があるように感じねぇ」
俺は彼の不器用な誠意に、少しの温かみを感じた。
「……アンタたちはスラムの人間を護っているんだろう」
「……ん? 何の話だ?」
「この世に絶対的な正義は無い。あるのは何かを護ろうとしているヤツと、それを壊そうとするヤツだ。壊そうとするヤツも、何かを護っているのかもしれない。だから動くのはいつだって自分の心次第さ。
ゾゾルが俺に惚れているって言ってくれたな。俺も同じだ。アンタたちの雰囲気が好きだ。汚名や名誉はどうでもいい。好きか嫌いかだけだ」
ラインデッドは溜め息をついて、「そうかい」と笑った。
「そんならまあ、好きにしてくれ」
「ああ、好きにさせてもらう」
俺は手を振ってラインデッドと別れた。
さあ――行くぞ、ブトランテラ。
透明人間の本領を見せてやる。
***
ジャルバダール北東にある大きな建物。
正門の脇に立つ太い柱は虎の飾りがつけられ、堂々とした佇まいである。
玉葱型の屋根はまさに御殿というにふさわしく、壁にも精緻な模様が刻まれていた。
夜。
透明人間が最も活躍できる時間。
それは暗がりや静けさのためではなく、誰もが一人になって気を緩めている時間だからだ。
すでに「シェード・オフ」で姿を、「アロマ・スナッフ」で匂いを消している。
動くときには「サウンド・カーム」で音を消す。持続するには一時間が限界だが、細かく区切れば何度も使える。
今の俺を認識できるとすれば、砂だらけのジャルバダールでついてしまう足跡くらいだろうが、これも風ですぐに消えてしまうだろう。
まさに隠密。
これからはニンジャって名乗ろうかな?
「虎の御殿」の見張りは、ゾゾルのアジトよりも多かった。
だがゾゾルのときと違い、ウルウェーテルの居場所はすぐに知ることが出来た。
ちょうど六、七人ばかりの手下を連れ、ヤツが帰ってくるところだったのだ。
「いやぁ、さすがはウルウェーテル様だ」
「まさか一人で五人もの猛者を倒しちまうなんざ驚きでさぁ」
手下が誉めそやす。
ウルウェーテルは先頭を歩いていた。ブラーの情報通り、黒い山高帽にローブを羽織っている。背は俺より頭ひとつ高いくらいだ。
ヤツらの後をこっそり付けていく。
「フン、ザコが何匹群れても私に敵うはずがないのだよ。私の『魔光」は、いつ、どこでも生み出せる爆弾のようなものだからな」
「魔光」……ブラーが言っていた、ウルウェーテルの爆発魔法か。
「俺たちが全員がかりでもウルウェーテル様を守るのが精一杯だった強敵ですぜ。それをドカーン、ドカーン、ドカーン! って、たった三発でぶち殺しちまうんだからとんでもねぇや!」
「それでも二発外したのは勿体なかったがな……。まあ、お前たちが連中の相手をしてくれたおかげさ。詠唱には時間が掛かる。よくやったぞ」
「ウルウェーテル様はあんなすげぇ魔法を何発も撃って疲れたりしないんで?」
「当たり前だろう。私は魔法の天才だぞ。余計なことを訊くのではない」
ギロリ、と睨んだその眼光が鋭く、俺はウルウェーテルの心が揺らいだのを感じた。
「へ、へい、すいやせん……!」
「フン、まあよい。敵対組織の幹部をまとめて倒したのだ。今夜はあの成金どもに奮発してもらおうではないか。お前たちにも、一人三本の酒を用意させよう」
ウルウェーテルがそう言うと、部下たちは歓喜の声を上げる。
「これだからウルウェーテル様の部下はやめられねぇぜ!」
「よぉし、今夜はとことん呑もう!」
「ああ、お前たちは夜を徹して楽しむがいい。私は――」
するとウルウェーテルは、悪魔のような薄気味悪い笑みを浮かべた。
「――彼らで遊ぶとしよう。二人ばかり私の方によこせ」
部下たちは一瞬たじろいだあと、苦笑いしながらヘコヘコと頭を下げる。
「しょ、承知でさぁ。倉庫から引き連れていきやす。おい、まだ五、六人いたよな?」
「ああ、一度も遊ばれてねぇヤツも三人くらいいる。ウルウェーテル様、どうしやす?」
「そうだな……半分壊れたヤツと、まだ正気のヤツ、一人ずつ連れてこい。男と女だ」
「うっす」
そうして虎の御殿へ入ると、ウルウェーテルは一人で二階へ上がり、手下はそのまま一階の奥へと進んでいった。
俺はとりあえず手下たちの方へついていく。
「……まったく、ウルウェーテル様もいい趣味してるぜ」
「あれだけの力を持っていて、やることが子供いじめだからな」
「でもよ……お前ら実際、目の前に好きにしていいって人間がいたらどうする? 何をしてもいいとしてだぜ?」
手下たちは互いの顔を見合う。
「……たしかに、優しくしたり解放したりはしねぇだろうな」
「だろう? 俺たちゃ『絶対順位令』のおかげで、本当は下位ランゴの連中に好き勝手できるはずなんだ。
でも現実はナヨカトルの命令や、組織ごとの上下関係で勝手は出来ねぇ。その中でウルウェーテル様みたいに力と地位を持ってたらよ……そりゃやりたい放題やるだろうさ。
他の国じゃありえねぇ。ジャルバダールは力だけが正義の無法国家なんだぜ」
「ああ、それにウルウェーテル様のところはクラッチマン様のところよりよっぽどいい。あっちの連中に聞いたが、あのお人はずいぶんとケチで酒も振る舞ってくれないらしいや」
「酒がねぇのはキツいな」
「そうだ、酒が全てだ」
ガハハハハ、と下品な笑い声を上げ、彼らは奥へと向かった。
目の前に好きにしていい人間がいたら、どうするか、か……。
そんなくだらない取り決めに縛られているその人を解放させる、って考えにならないのが、大多数だとは思いたくないな。
途中、二人だけが横に折れたので、俺もそっちを追った。おそらくウルウェーテルへ子供を連れて行くのだろう。
予想通りに、もう一度曲がり角を曲がると、突き当りに大きな扉が見えた。
そして手下の男が鍵を回して、扉を開く――と、中からいきなり小さな影が飛び出してきた。
――ドンッ!
「うおっ!?」
「こっ……この悪党どもめっ! リリャに手を出しやがって! 殺してやる! 殺してやる!」
「なんだこのガキ!?」
「おい、押さえろ!」
「ぐっ……くそっ、放せ! 放せぇっ!」
突然飛び出てきた小さな男の子がウルウェーテルの部下の一人にぶつかると、もう一人の部下が彼を押さえ付けた。
なんだなんだ?
「くそっ……くそぉ……!」
少年は泣いている。
やがて倉庫からもう一人、ぼんやりとした目つきの、少年よりもさらに幼い少女がひょっこりと姿を見せた。
「ハマル……おにいちゃん……?」
「リリャ、出て来るな! コイツら兄ちゃんがぶっ倒してやるから……――ぐっ!」
「あ……ハマルおにいちゃん……」
「まったくガキが――ナメてんじゃねぇぞ!」
暴れようとする少年を、ウルウェーテルの手下はいっそう強く押さえた。
どうやら兄妹らしい。
ハマルというのが兄で、リリャって子が妹か?
「お前らが……お前らがリリャをおかしくしちまったんだ! あんなによく笑う子だったのに……お前らなんか死んじまえ!」
ハマルが泣きながら怒鳴る。
……なるほど。
妹のリリャって子は、まさにウルウェーテルの趣味で心が壊れてしまったのか。
よく見ればたしかに、彼女の目はうつろで、兄が床に組み伏せられているにも関わらず、騒ぎ立てる様子が無い。
大きな音や激しい光というのは、「恐怖症」の対象になることがある。
花火や雷が苦手だという人も少なくない。
ましてやウルウェーテルの「魔光」は衝撃波を伴うそうで、命の危険もあるわけだ。
その事実を伝えられた上で強烈な音と光を同時に味わったら、気がおかしくなってしまうのも不思議じゃないだろう。
妹がそうなってしまって、兄のハマルが怒りのあまり飛び掛かったってことか。
なんとも胸が痛む話だ。
「活きのいいガキだぜ……。おい、ウルウェーテル様の遊び相手はコイツらでいいよな?」
「だな。しつけてもらおうぜ」
ぐひひ、と下卑た笑いを漏らす。
手下どもはハマルを立たせた。
「やめろっ! やめろこのっ!」
ハマルは抵抗しようと体をひねるが、まだ幼い子供である。大人の、それも頑強な体の傭兵の力に敵うはずもなかった。
しかも、もう一人の手下がリリャ首根っこをつかんで言い放つ。
「おい、それ以上暴れるとお前の妹をくびり殺すぞ」
ひっ――と、喉をすぼめたのはハマルだった。リリャはきょとんとした顔で、己の窮地にも関わらず怯えた顔を見せない。
「やめろっ……! や、やめてくれよ!」
痛切な叫び声が響く。
子供がこんな声を出す状況なんて、あっていいわけがない――。
しかし手下どもは、先と同じようにぐひひひと笑うだけだった。
いや、今度はもっと愉快そうだった。
手下の一人がハマルを、もう一人がリリャを、それぞれ連れて道を戻っていく。
虎の御殿の入り口にあった、二階へ続く階段へ向かうのだろう。
そこまで戻る途中では、他の傭兵たちが酒盛りをする笑い声も聞こえた。
「早くウルウェーテル様たちがティワカンヤ王を倒してくれねぇかなぁ。そうすりゃ酒も女も望みのままなのによう」
「でもヴァルゴサ様はバルゲアに負けたんだろ?」
「あんときゃイルシークも一緒だったから、あえて退いたって聞いたぜ。いや、一対一でも勝てねぇかもしれねぇが、こっちが三対一なら負けるこたねぇだろ。俺たち『ブトランテラ』の強みはウルウェーテル様たち腕利きが三人もいるってことだ」
「うまいことバルゲアの野郎を呼び出して、三人がかりで……ってわけだな。なにしろウルウェーテル様たちは卑怯な戦法が得意だからな」
「もちろん俺たちもな! ガキを人質にするだけでまっとうな連中はすぐにビビッちまうから、『ガキの盾』ってのはよく出来てる!」
「かっかっか! 違いねえ! 戦争に勝つのはいつだって血と涙を持たねぇヤツよ!」
酔っ払いどもが獣の本性を剥き出しにしてバカ騒ぎする。
思わず聞き耳を立てているうちにハマルとリリャを連れた手下が先へ行ってしまったので慌てて追いかけた。
彼ら四人は、二階への階段を登る。
俺も合わせて五人が上階へ上がっている。
ハマルはすっかり大人しくなってしまった。ときどき妹の方を心配そうに見るのが痛ましい。
リリャはリリャで、これから自分の身に起こることがトラウマを想起させるのか、じっと兄であるハマルの背中を見て、そこから目を離そうとしなかった。
二階へ上がると、一階よりも豪華になった内装が広がる。
赤い絨毯に金のカンテラ。窓にはゾゾルのアジトにあったようなタペストリー。
香水の匂いもするから、幹部連中が女を連れ込んだりしているのだろう。
二人の手下はその一番奥の部屋へと向かった。
大きな赤い扉が出迎える。
手下は中にいるであろうウルウェーテルへ声をかけるでも、ノックをするでもなく、無言で扉を開けた。
するとその中にまた扉。
扉を抜けると、またまた扉。
そこでようやく手下たちは中へ声をかけた。
「ウルウェーテル様、ガキ二人を連れてきやしたぜ!」
すると中から、待ちわびたような上擦った声が返ってきた。
「遅いぞ。早く入れ」
「すいやせん、ガキの一人が暴れまして」
「ほう……ならば身のほどと言うものを教えてやらんとな」
ハマルとリリャはカタカタ震えている。
さっきまでは威勢が良かったハマルも、ウルウェーテルの声を聞いて、頭を恐怖が支配したのだろう。
リリャはそんな彼の服の裾を強く握っていた。
ガチャ。
手下たちが三つ目の扉を開け、中に入る。
俺もいつも通り、彼らと一緒にスルリと入った。
さて――それじゃ真正面からウルウェーテルの顔を拝むとしよう。




