第57話 「飼い犬に手を揉まれる」
レモネットと武器屋に行った日の夜。日課の筋トレを終えたあとのこと。
俺は次なる計画として、ブラーを捜す方法に頭を悩ませていたのだが、そこへドンドンドン、と扉を叩く音が聞こえて立ち上がった。
「誰だ?」
「ご主人様の可愛い犬めにございます」
「部屋に戻って寝ろ」
「入れてくれないとニュトちゃんをぺろぺろしますよ」
「……くそがっ」
現在「ツキト団」アジトの部屋割りは、俺と女子三人とで分かれている。
本当はニュトだけでも俺と一緒にと思ったんだが、シューシュカとレモネットに散々「親バカ」だの「子離れ出来てない」だの言われて、しぶしぶ一人部屋になった。
そして、それをいいことにシューシュカのやつ、すぐにこうしてニュトをダシに俺を脅すのだ。
面倒くさいことこの上ない。
仕方なく扉を開けてやる。
すると、なぜかいつものエセ女王様衣装に身を包んだシューシュカは、新品の鞭を手にズカズカと迫ってきた。
慌てて俺が後退すると、さらに間を詰め、ついに俺はベッドに押し倒された。
仰向けになった俺の体にのしり、とシューシュカがまたがり、恐ろしいことにパシンと張った鞭を舐める。
「……なんの真似だ、シューシュカ」
「うふふ。それはこっちのセリフですわ。今日、レモちゃんと買い出しに行ったでしょう」
「行ったが」
「二人きりで──それはつまりデートですわね」
「いや違うだろ」
「お黙らっしゃい!」
バチン、とシューシュカは鞭を鳴らした。
一旦緩めて、もう一度ピンと張ったときに、二本の鞭が当たって鳴るあの音だ。
「おかしな話です! ご主人様の従順な犬めは、あのブタ野郎……失礼。ゾゾルとの、みょうちきりんなショー……失礼。ファッションショーのお手伝いをすることでご主人様とのデート権を得たはずですのに、レモちゃんとはそんな契約を結ぶでもなく軽々しくデートを許すとは! しかも私より先に! これは犬めに対する重大な裏切りですわ!」
テンション高いなぁ。
あと声がでかい。
「……いや、今日出掛けることは事前に言っていたし、お前だって笑顔で了承したろうが。しかも用事があるとかで、ニュトの面倒もフロルたちに任せただろう」
「それとこれとは話が別です」
「どこが別なんだよ」
「論点をずらさないでください! そうやって私の下着もずらすつもりですね!」
「全くずらしてないし意味不明な言いがかりをするな!」
「大体いつまで仰向けになってるんですか? ご主人様ってば、私を見上げながらエッチな妄想でもしてるんでしょ」
「……いや、下から見上げる妄想ってどんなだよ。ちょっとよく分からないから具体的に説明してくれる?」
「ふぇっ? そそ、しょれは……しょのっ……!」
急にモジモジとしはじめる。
……さてはコイツ、案外ウブだな?
悪いがこっちはアダルトコンテンツにまみれた世界からやってきたんだ。
経験は無くとも知識だけはハンパないんだぜ?
……何の自慢だよ。
すると突然シューシュカは、こっちの服を掴むと俺の体を裏返しに引っ繰り返した。
「──げふっ」
なんて器用な。
あっという間に俺はうつぶせである。
のしっ、とシューシュカは改めて俺の尻の上にまたがる。
「と、とにかくご主人様は、私より先にレモちゃんとデートしてきました。ご主人様は──『女たらし』ですわ!」
──ぐはっ!
「……今なんて?」
「ご主人様は女たらしだって言ったのですわぁ。レモちゃんに聞いちゃったのですよ。デートの帰りに口説くなんて女たらしもいいとこです!」
昼間のことを思い出し、俺は思わず顔が火照るのを感じる。
「いや、あれはそんなつもりじゃなくて……」
「じゃあどんなつもりだったんですの? 教えてくださいませ」
「ぐぬぬ」
俺が言い訳しようとモゴモゴしていると、シューシュカはなぜか手に持っていたムチを脇に置いた。
「ささ──言い返せないのならばご主人様はお黙らっしゃいませ。たまには犬めと戯れるのも悪くありませんよ」
「何をする気だよ……」
「重大な裏切りに対する懲罰ですわん」
「分かった、もう好きにしてくれ」
諦めた。
「うふふ……それではお言葉通り、ご主人様のお体を好きにさせていただきますぅ!」
ぎゅむっ。
ぐっ、ぐっ。
「うお……」
もみもみ。もみもみ。
「うおお……」
ぎゅむ。ぎゅむ。ぎゅむ。
「め、めちゃくちゃ気持ちいい……」
なんでそうなったのか分からないが、シューシュカは俺の背中をぎゅっぎゅっと押して、マッサージをしてくれてるようだった。
「……なんだ? なんでいきなりこんなサービスをしてくれるんだ?」
「まーまー、今は黙って私めに体をお預けくださいな」
「でも……」
「おあずけ!」
「はい」
今度は俺が犬になる番のようだった。
「ご主人様の凝りはなかなか頑固ですねぇ。少しずつほぐほぐしていかないとほぐれないようですぅ」
「お前って結構なんでも出来るよな」
「わたくし天才ですので!」
「まあ多才ではあるな」
それなりに腕も立つし、頭も回るし、意外に家事全般も得意だし……。
あと、悔しいけど顔も可愛いしな。
黒髪ロングの、いわゆる「姫カット」がこんなにも似合う人がいるなんて思わなかった。
綺麗なツリ目と、それにすっとした鼻が上品に見えるのだろうか。
「成り行きで仲間になって……最初は不意討ちで襲われる格好だったけど、今は仲間になってくれて良かったと思っているよ」
「もったいないお言葉ですぅ」
「そうだ、マッサージのお礼に明日メシおごるよ。調査のついでで悪いが──」
と、そこまで言ったところでシューシュカはぎゅぎゅうーっ、と急に強く押してきた。
「いたっ? いた、ちょっと痛いってシューシュカ――!」
「いいからご主人様は……ツキトはおとなしくマッサージされてなさい」
また口調が変わった。
「そういうところよ、ツキト」
ぎゅむっ、ぎゅむっ。
「なにがだよ……」
「あなた、人に気を遣ってばかりでしょう」
ぎゅむっ。
「レモちゃんに歯の浮くようなセリフを言ったのも、おおかた彼女の容姿を誉めるためね。コンプレックスを解消しようとしてあげたんでしょ」
シューシュカはぎゅっ、ぎゅっ、と背中を指で押す。
優しく、ときに強く。
「レモちゃんにニュトちゃんに、私まで……ツキトはあちこち気を遣いすぎなのよ。ちょっとは肩の力を抜いたら? ゾゾルとの衝突を終えたばかりで疲れてるだろうに、あなたここ一週間、一度も休んでないでしょう」
ぎゅっ、ぎゅっ。
「だから、私とデートしなさい。明日すぐじゃなくてもいいわ。次の作戦が終わってからでもいい。私がリラックスさせてあげるから……たまにはそういう日を作りなさい」
シューシュカの声は優しく、柔らかい。
まるで彼女の指圧のように。
そういえば、ふわんと良い匂いもする。シューシュカが何かしらの香水をつけてきているのだ。
シナモンのような、ハーブのような、落ち着く香りだ。
体中がほぐれていく――。
いや、体だけじゃない。彼女の声と、香りと、その言葉が……
「シューシュカ……ありがとう」
素直に感謝を述べた。
「……たしかに無理をしすぎていたかもしれない。お前の言うとおりだよ」
「頑張るのも大事だけど、無理して失敗したら何にもならないものね」
「そうだな……」
「しっかり体ほぐれてる?」
「ああ、お前のおかげでな……」
天にも昇る心地とはこういうことだろうか、と思った。
俺はシューシュカのことを勘違いしていたのかもしれない。
彼女は賢いからこそ、ちゃんと周りを見ている人だったのだ。
俺が疲れていることも、みんなを気遣っていることも気づいて……。
そうだな、シューシュカにも、そろそろ俺の秘密を教えていいかもしれない。
俺が透明人間であることを。
──ガッ。
「ん?」
そのとき急に、顔が何かに掴まれたように感じた。
すぐにバリッ、と音がして──
「──ふははははははっ! 仮面、取ったりぃ!」
ななな、なにぃっ!
ぺた、ぺたと顔を触る。
無い。たしかに無い──寝ているときも外さないようにしている、「月」の仮面が──!
「油断しましたわね、ご主人様ぁん! いやー、いつまでも秘密を隠されているというのはシャクなものでしてね。いつか油断させて仮面を取ってやろうと目論んでいたのですよ! うぷぷ、ご主人様ってば私のセクシーな手つきにメロメロになっちゃって、いつもの隙の無さがどこへやら──完全に無防備でしたねぇ!」
高笑いを決めやがる。
声がでかいんだよ。
「このヤロウ……せっかくちょっと見直してやろうと思ったのに……! やっぱりシューシュカはシューシュカだったな!」
「うぷぷぷぷ! 負け犬がキャンキャン吠えますねぇ! さあさあ素顔をお見せくださいませ! とんでもないブサイクなんですか? それとも案外カッコよかったりして? 個人的にはカワイイ顔が希望──」
──と、そこでシューシュカは言葉を切った。
「……あれ? あれれ? ご主人様……それ何ですか?」
「さあ、何だろうな」
すっとぼけてやる。
そう。俺の顔には──また別の仮面がくっついていたのだ。
「ふはは、馬鹿めが! 俺が誰かに仮面を取られる可能性を考えていないとでも思ったか? 顔は二重三重に隠してあるんだよ!」
「なっ……ななな……──!」
シューシュカはぷるぷると震える。
ざまあみろ。
「ずっ、ずるいです、ずるいですぅ! 卑怯者ぉ!」
「卑怯はどっちだ! せこい手を使いやがって……うっかり騙されるとこだったじゃねーか!」
「うるしゃいうるしゃい! 騙されればいいんですバーカ! タダでこの私のマッサージを受けられるとでも思ったんですか? 一文の得にもならない無駄な労働をしてしまいましたよ、まったく!」
「こいつ──!」
いよいよ頭に来たので体をひねり、体勢を崩したシューシュカの手を取って逆にベッドへ押し付けてやる。
こう見えて剣術も体術もコツコツ勉強してるのだ。
あっという間に形勢逆転、俺がシューシュカの体にまたがる形になった。
「なっ、何をするんですか! いくら私が可愛いからって! 従順だからって! けだもの! けだものっ!」
「うるせー! いつお前が従順だったんだよ! 覚悟しろボケナス!」
そして俺は──
溜めて来た鬱憤を、
あらん限りの暴虐を、
シューシュカに吐き出してやった。
「こちょこちょこちょこちょ!」
「あははははははは!」
「こちょこちょこちょこちょ!」
「いひひひひひひひひ!」
「ここか? ここが弱いのか?」
「あっ、いやっ、やめてっ、ヘンタイ──!」
我ながら冷酷とも思えるほどのくすぐりフルコースをかましてやった。
なんと十分間も。
シューシュカは息をあえがせ、汗まみれでぐったりと横たわった。
かくいう俺も汗びっしょりだ。
「はあ……はあ……ど、どうだ……参ったか……」
「うう……ぐすん。参りました……参りましたぁ……。シューシュカは……シューシュカはもう、ご主人様にたっぷりいじめられて、二度と逆らえない体にされていまいました……」
「ふふふ……分かればいいんだよ、分かれば。これに懲りたら、二度と俺に逆らおうなんて考えないことだな」
「はい……ご主人様のためなら何でもしますぅ」
なんだか聞きようによっては変な会話に聞こえないでもなかったが、この場にいるのは俺とシューシュカだけなので、セーフなのであった。
──ガタン。
と、何か物音が聞こえる。
俺とシューシュカがおそるおそるドアの方を振り向くと……
「……あっ……いや、その、アタシ……悲鳴が聞こえたから……」
まるでりんごのように真っ赤な顔をしたレモネットが、眉間にシワを寄せ、全身をふるふるとわななかせながら立っていた。
「れ、れれレモネット! ち、違うんだこれは──!」
「近寄るな、女たらしー──!」
買ったばかりの武器の試用とでも言わんばかりに、三本のナイフが俺の体をかすめていった。
それからレモネットの誤解を解くのに、丸三日もかかったのであった……──。




