9.少年は笑う
目が覚めると文化レベルも技術レベルも低い、そんな世界へ来ていた。
それが、一人の少年の、魔法飛び交う世界での初めての覚醒だった。
「は?な、なんだよ、ここ…。」
見渡す限り、電車もなければバスもない。田舎どころの話ではない。道を渡るのは古風な馬車ばかりで、とても現代とは思えない風景であった。
「ゆめか…?そうだよな。うん。ゆめ、だよな…。」
ひとりでに納得する少年。その背後にはいつの間にか、強靭な爪を持った生物が迫っていた。
その生き物が立てた物音に気付き、振り向く。
「!?な、なんだ!?ヘドロみてぇな…化物……!?」
腰を抜かして無様に転げる。だが、視線は化物のその爪に注がれている。鋭く、人の命を軽々しく刈り取るような爪。それが、少年に迫る。
「ぁ……、」
理由もわからぬまま、唖然とする。
そして、一人の少年の命は潰える。ことは、無かった。
「?」
いつまでたっても訪れない痛み。
何故か。
瞳を開ける。
そこには、ひとりの男が立っていた。ただ静かに。その手には長槍。刃先にはヘドロがついており、先の化物のものだということはすぐに分かった。
「あ、ありが、とう。」
たどたどしく、少年は感謝を告げる。
男は少年を見下ろしたまま口を開く。
「この辺りは魔族が出る。餌になりたくなければ近寄らないことだな。」
「まぞく?まぞくって、なんだ?」
「…………………。」
男は僅かに目を見開く。彼にとって、魔族を知らない人間というのは見たことのない未知の存在だった。
何せ、生きてさえいれば嫌でも魔族という存在を知るうえに、知識として学ばなければならないのだから。
そんなことを知らない少年。一体どんな事情があるのか、それは計り知れない。
「…………魔族とは、あの化物のようなものだ。人間を食事として食らう。」
「人を、餌に…。」
面食らった少年の反応に、男はこれ以上何かを言うつもりはなかった。
この子供の事情は知らないが、不要な情報まで伝えて混乱や不安を覚えさせることは悪手だ。
「それより両親はどうした。早く親元へ帰れ。」
「両親……………。」
少年は言い淀む。それもそのはず。こんな訳のわからない世界に両親がいるとは思えないのだから。
そんな彼の様子を見かねてか、男は背を向けてただひと言。
「行く当てがないなら来い。あるのなら、帰るべき場所へ帰れ。」
「………………………。」
少年は自ずと男の背を追いかける。
行く当てがない。それは確かな事実だったからだ。
男は少年の気配を察知して、話しかける。
「お前、名は?」
もちろん名はある。だがそれはこの摩訶不思議な世界で名付けられたものではない。まして、赤の他人に、化物を倒すほどの力を持つ人間に容易に教えてよいものか迷う。
「……………名前は……思い出せねぇ。」
とんだ大嘘だ。しかし、男にとっては些細なことであった。
「そうか。だが名がないのは不便だ。今すぐ付けろ。」
「え!?今すぐ!?そ、そんな簡単には…」
「なら俺が付けるぞ。」
「た、頼む。」
男は一度目をつむり、それから呟いた。
「レスト。どうだ。」
「レスト…?なんで、レストなんだ?」
当然の問いに、男はおかしそうに、だが優しく微笑む。
「ふっ。さあな。それを当ててみろ。余計なことを考えるよりも、名の由来を考えたほうがよほど有意義だ。」
初めて見せた綻びに、少年もといレストは呆気にとられる。だが瞬時に、投げかけられた挑戦が優しさなのだと気付いた。
「…………よし。じゃあ当ててやる。」
「あぁ。そうしろ。当てられるかは分からんがな。」
「そう言われたら意地でも当ててやるからな!!」
「ふっ。期待しないで待ってやろう。」
「き、期待させてやるからな!?」
見知らぬ土地。見知らぬ生き物。
それでも少年レストは笑った。得たいのしれない人間を助け、面倒まで見たそんな男と共に、確かに笑ったのだった。




