暗幕
「ぬおお……!」
全力疾走。
日ごろ運動不足な体に鞭打ち、俺は体育館の玄関に飛び込んだ。
中に入っても、静守曜子と日種香の姿は見えない。
俺は何も考えずに真っ直ぐ奥へと走った。
その際、トラップとして前もって撒いているはずのワックスを踏まないよう注意する。
ある程度走ったところで、俺はようやく振り返った。
……あれ?
そこに紀本亮平の姿はなかった。
まさか、罠と気付いて追って来なかった?
静まり返った体育館の中を、俺は少しずつ入口の方へ引き返す。
白いテープの貼られている上だけはワックスを塗っていないので、そこを通って慎重に歩いて行く。
そして、体育館の玄関まであと数メートルというところで、ぴたっと足を止めた。
……もしかして、逆に待ち伏せされてるんじゃ?
当然芽生える猜疑心。
俺は再び体育館の奥の方へ引き返した。
体育館は数々の行事などでも使われるので、奥には壇がつくられている。
そしてその両サイドには暗幕がかけられており、更にその奥には用具室や裏口へ抜ける扉などがあるものだ。
俺は素早く壇上にあがると、暗幕の裏に隠れて入口の様子を窺った。
……来ないのか?
呼吸を落ち着けるわずか数秒の時間が、随分と長く感じられる。
凍りついた時間の中、俺は自分のなすべきことを考えた。
玄関に戻るか。裏口から出るか。
……。
決断を迫られた、その時だった。
開け放たれている入口の扉に、一瞬人の影が見えた。
あれは……ハヤト!?
じゃあ紀本は?
俺は反射的に壇の奥へと走り込み、裏口のドアを探した。
壇の裏にある階段の横。
錆びの浮かんだパイプ椅子が積まれた脇に、ひっそりと鉄のドアが見えている。
体育館の中には紀本は居ない。じゃあ次に敵がとる行動は……。
ゾクっとした感覚が、俺の背筋を貫いた。
急ブレーキをかけた俺の前で、鉄のドアが小さく軋んだ音を立ててゆっくりと開く。
「……ぉ、ぁ」
声にならない声を上げる俺の前で、外から差し込む光の筋が太くなっていく。
俺は後ずさりした。
そして。
わずか十五センチほどの隙間から、突如つむじ風の様に黒い影が滑りこんできた。
「うおあっ!」
半眼。
濃紺のブレザーに黒い髪。薄暗い室内の中、鋭い眼光のみが不気味に光っている。
こいつ! 本当に高校生か!? 暗殺者とかじゃないのか!
俺は心の底から恐怖した。
そして、壇上に上がる階段につまづき、尻もちをつく。
あ、死んだ。
そう覚悟した時だった。
紀本の細い目がわずかに開き、視線がふっと斜め上にそれた。
それは暗幕の向こう側。
その瞬間。一本の矢が胸の中央に突き立つ。
「ぐ」
一瞬だけ表情を歪める紀本の上半身に、さらにもう一本の矢が刺さる。
「く……」
小さくうめき声を上げると、そのまま後ろへよろめき、壁の方に倒れかかった。
「あ」
その時、おれは初めてこの学校で誰かが倒されるところを見た。
わずかに膝を折った紀本亮平の身体が、まるで黒く塗りつぶされるように影になって消えてゆき、そこから小さな淡い緑色の光が浮かび上がった。
「これが……ライフっていうか、御霊?」
しばらくその緑色の光を見つめていたが、やがてそれも薄れて消えた。




