45.コーンワルドで、側に
コーンワルド公爵領に戻って数日が経った。
屋敷のどこからも森の匂いがする。リーフェルの花の香りも。
風が柔らかいし、土の色も、空の青さも、王都とはまるで違う。
やっぱり、この素朴な香りが一番落ち着く。
私は目が覚めるとまず窓を開けて、この自然の香りを部屋に取り込むのが日課になっていた。
そうするといつもノックの音がする。
「はあい」
「おはようございます」
コーンワルドの侍女のセレナ達だ。私が帰還すると本当に喜んでくれた。
そして、その後ろから入って来た——パウラ。
コーンワルドに帰って来る時、パウラには王都に残るかどうかを、一度改まって聞いてみた。彼女の故郷は王都だし、結婚適齢期でもあるし。
するとパウラはあっさり、コーンワルドについて来てくれると言った。
仲良くはなったかなと思っていたけど、王都の家を引き払ってまでついて来てくれるとは思わなかったから、実はかなり嬉しかった。
「本当にいいの? 次はいつ王都に帰るかわからないよ」
「大丈夫です。嫌になったら帰るので」
パウラはさらりといつもの無表情でそう言った。
思わず笑ってしまった。
「——じゃあ、私はパウラに嫌われないように気を付けないとね」
そんな会話をしていた。
「朝のお支度をいたしますね」
セレナがそう言って、手際よくいつもの朝の支度をしてくれる。
一通り終わる頃に、もうすぐブレイクが迎えにきてくれるだろう。そんな日常——。
「パウラ」
私は意を決して、パウラを呼んだ。
セレナらはもう去って、今は部屋に二人きり。パウラは今から掃除をしようとしている。
「はい?」
「私ね、そろそろ再開しようと思うの」
「何をですか」
パウラは作業をしながら聞いて来た。
こういうところは相変わらずだ。
「掃除」
「え」
パウラが手を止めて私を見る。
「だから、持ってきてくれる? 雑巾」
「え、いやいや」
パウラが桶と雑巾を後ろに隠した。別に隠さなくても取ったりはしないのに。
「何言ってるんですか。ここではそんなことしなくても、ちゃんと私がしますよ。王城の時と違って、人手がありますし」
「そうなんだけどね……」
何と言ったら良いか、言葉を選ぶ。
「今まではさ、お客さんだったからお願いしてたんだけど。やっぱり気になっちゃって」
「ええと、それは、私の掃除にご不満が——」
「違う違う!」
そうだ、パウラの仕事だから。それを奪ってはいけない。
「不満なんてないです。いつも快適、ありがとう。ただ……なんていうか……無心になって磨きたいの。分かるでしょう? やりたいだけ。性分なの」
「分かります」
意外にもパウラは即答した。
「生き生きしてますもんね、ナノリア様、雑巾握ると」
「う……そ、そうなの」
若干引っかかるけど、まあいいや。
「だめかな」
「分かりました。部屋の隅に、掃除セットを置いとくようにします。但し、水は私が替えます。それでいいですか?」
「はい」
そうね。私が掃除の桶を持って屋敷を歩いていたら、ブレイクが駆けつけてきそうだ。
「ありがとう」
お礼を言うと、パウラはやれやれといったように苦笑のようなものを漏らした。
「趣味は人それぞれですしね。——お客様じゃないから、っていうのがナノリア様の口から出て、それでなら皆様も納得して下さると思いますので」
確かに、ブレイクはいつも、たくさんの事を許してくれる。
「喜ぶと思いますよ」
「へ?」
ブレイクの事を考えていたら、すぐ背後まで来て囁かれる。
何かな、そのにやにやした顔は。
「へ、じゃないですよ。公爵様ですよ」
「——何の話?」
「お客様じゃないから。ここに骨を埋めるから。ずっとここに——ずっと、ブレイク様のお側に……って、いわないんですか」
「っはあ!?」
私が叫んだのと、ドアがノックされたのとが同時だった。
ブレイクの朝のお迎えだ。
パウラに一言反論したかったが——ブレイクが来たのでそれもかなわず。
私はどうかしたのか、とブレイクに心配されながらダイニングへ向かうことになった。
ダイニングに着くと、ブレイクはいつものように椅子を引いてくれた。
その仕草は変わらず丁寧で、優しい。
けれど——私の方が、ついぎこちなくなってしまう。
座る瞬間、妙に意識してしまって、椅子に腰を下ろす動作まで硬くなった気がする。
パウラの——ずっとブレイク様のお側に——という囁きが、まだ頭の中でぐるぐるしている。
困ったものだ。
コーンワルドにいてくれていいって言ったけど、まさか、貴方の側にいたいです、だなんて。
そりゃ言いたい。なんなら、コーンワルドに帰って来たのはブレイクがいるからだ。ブレイクが王都にいるなら、私はタウンハウスに留まったと思う。
でもそんな事言ったら、重くないかな。——うん、重いと思う。
ブレイクは家臣のに「露ほども」なんて、以前言っていたし。
ブレイクはそんな私を見て、少し眉を寄せた。
「……ナノリア。体調が悪いのか?」
「い、いえ! 全然!」
声が裏返った。自分でも驚くほど不自然だ。
ブレイクはさらに心配そうに目を細める。
「顔色が……何かあったのか?」
「な、なんにも……!」
なんにもない。
なんにもないけど……なんにもないと言うほど怪しい気がする。
気持ちを気付かれないようにしようと思うとどうしても不自然になる。そもそも顔が赤面しないだけでも自分を褒めてやりたいくらいだ。
「私のせいなら……すまない」
「えっ」
ブレイクの言葉に私は思わず顔を上げる。
「何でですか」
「違うのか。どこか……そんな気がして」
違うけど……違うと言うほど怪しい。
ちょっと気まずい沈黙が流れた。カチャカチャと食器の音が嫌に響く。
何か話そうと思うと余計離せなくなってしまって。
「もし……私のすることが負担になっているなら、言ってほしい。距離を置いた方がいいなら、そうするから」
「距離!?」
ブレイクは考え込んでいるようだった。
「思い返してみれば、あの噂も——ナノリアは望んでいなかったのに、私が勝手にしてしまった事だった。君は平穏な結末を望んでいたのに」
「いえいえ! 気にしてません、そんな、私のためにしてくださったって、分かってますし」
「であれば、いいのだが……」
ブレイクは納得していないようだった。
この日は少しぎこちないままの朝食となった。




