43.コーンワルド邸
公爵邸のタウンハウスは、王城のすぐ外側——城壁の影が落ちる区域にありながら、驚くほど静かな場所に建っていた。
王都の中心部は石畳の道が続き、商人や貴族が行き交う喧騒に満ちている。
けれど、この一角だけは別世界のようだった。
王城の庭園から続く緑地帯がそのままタウンハウスの敷地に流れ込み、背の高い木々が風に揺れて、葉の影が建物の壁に優しく揺れている。
——王都なのに、不思議だ。
王城の庭園よりもっと……そう、森の匂いがする。
そう思わせるほど、自然が大切にされていた。
建物は三階建てで、白い石壁に淡い緑の蔦が絡まり、窓枠は木製で、丁寧に磨かれている。
王都の建物はどれも豪奢だが、このタウンハウスはどこか柔らかい雰囲気があった。
コーンワルドらしい、穏やかで落ち着いた佇まいだ。
「疲れただろう。すぐに食事にしよう」
そう言って、帰宅早々にダイニングに案内される。
中に入ると、木の香りがふわりと漂った。
床は丁寧に磨かれた木材で、歩くと柔らかい音がする。
ダイニングは大きな窓が二つあり、庭が大きく見えるようになっていた。
テーブルは深い木目のあるオーク材で、触れると温かい。
タイミングも完璧で、席に着くとすぐに料理が運ばれてきた。
皿に山のように盛られた様々な果物、焼きたてのパンは香りだけで幸せになれる。
豪華な料理の中にも、どこか素朴な温かさがあった。
「……お腹が空いていたんだな」
私の食べっぷりを見て、ブレイクが苦笑した。
ちょっとがっつきすぎたかな。珍しい料理もたくさんあるから、つい。
「その……もう、落ち着きました」
「もっと食べるといい」
ブレイクが目配せして、給仕の人が私のお皿にまたパンを乗せてくれた。
載せられると……食べないわけには……。焼きたてのクロワッサンは何層にもなっているところがさくっとして、バターの香りがふわりと広がる。
最高だ。いくつでも食べられる。
「王都の料理は、口に合ったようだな」
「……美味しいです。すごく。でも……」
「でも?」
「コーンワルドの黒パンの方が、落ち着くんですよね」
コーンワルドではクロワッサンはあまり出てこない。白砂糖もバターも公爵領では高価すぎて手に入りにくい。
だから黒くてすこし酸っぱいパンが主流で。ほんの少しの間なのにもうあの味が恋しいような気がする。
ブレイクはふっと笑った。
「分かるな。私もあの素朴な味が忘れらなくて。こっちでも作ってもらったんだが、やっぱり何か違った」
なるほど、空気感というか、水が違う、みたいなものだろうか。
「合わないという程ではないが……」
ブレイクが故郷に帰りたい、と言っていたのも結構食事が原因だったりしたのだろうか。
「私は明日にでもコーンワルドに帰りたくなっちゃったので……ブレイク様は10年も。大変ですね」
ブレイクは驚いたように目を瞬かせたが、すぐに柔らかく微笑んだ。
「……そうか。帰りたいか」
少し嬉しそうな微笑みだ。
「はい。やっぱり……コーンワルドの風が恋しいです」
「あそこはもう、ナノリアの故郷だからな」
その言葉に胸がじんとした。
私の、故郷。
「明日にはコーンワルドに向かって発つことができる。父と母も待ちかねているだろうな」
「はい」
「もう、帰っても……大丈夫か?」
「え?」
「心残りはもうないだろうか」
じっと見つめられる。
誤魔化しを見透かすような真剣な目だった。
「心残り……」
ナノリア——いや、私の心残りと言えば、王城にしかない。
アディノスはブレイクが拳を振るってくれたからすっきりしたし。
王妃の事は……。
「短い間とはいえ、母親代わりだったと聞いている」
「……………」
「恨み言の一つも言うことなく——そんな風に立ち去ったナノリアのことが、少し心配になる程だったから」
記憶を辿っていたら、沈黙が流れた。
遠い記憶をさかのぼれば、確かに優しい母のような存在だった。そしてその後はまるで別人のようで——。愛されていた記憶があるからこそ、あの仕打ちはつらく耐え難いものだった。
冷静に考えてみても、まともな大人のすることじゃないと思う。
でも。
「気持ちの整理がついているわけではないんですけど……」
また会いたくなるのかもしれない。けれどその時もきっと、恨み言を言うためではないはずだ。
うん。
憎しみに向き合うばかりの気力は私にはない。
いっそこの感情を捨ててしまった方が、このもやもやが鎮まっていくんじゃないだろうか。
「会いたくなったら会いに来るかもしれません。でも、気持ちをぶつける事で晴らしたくないっていうか」
ブレイクは少しだけ目を伏せた。
「強いな」
「痛みは避けられないけれど苦しみは選べる、って言いますから」
選べるのなら、この気持ちを選びたい。
「それは……素晴らしい言葉だが……」
ブレイクはまだ心配そうだった。
「達観しすぎじゃないか?」
私が無理をしているように思えたのかもしれない。
私は笑って見せた。
「私はそう思ってコーンワルドへの一歩を踏み出したので。今思っても、それが本当に良かったって思うから」
「……そうだな」
ブレイクの声は柔らかかった。
まるで、私の選択を肯定するように。




