40.アディノスの暴挙
ブレイクの声は静かだった。だからこそ、恐ろしく響く。
アディノスの腕がさらに強く締まった。
痛い。
息ができなかった。
「ナノリアは……俺のものだ……昔みたいに、俺が抱きしめれば……全部……」
ぶつぶつと何を言っているのか。
「元通りだ。俺は元通り……どこにある? 虫か? この羽か?」
「殿下」
ブレイクが低く呼びかけた。
「見てわからないのか。離れるんだ、怖がっているだろう」
アディノスの動きが止まった。
「……は?」
「殿下がナノリアをどう扱ってきたか、殿下自身が一番よく知っているはずです」
「違う……違う……!ナノリアは俺を好きなんだ……俺が呼べば……俺が抱きしめれば……!」
「殿下」
ブレイクの声が一層鋭くなる。
「……ブレイク……お前が……お前がナノリアを奪ったんだ……」
アディノスは私を抱えたまま、ブレイクを睨みつけた。
「お前が……ナノリアを俺から奪ったんだ!!」
その叫びは、執務室の空気を震わせた。
何でそんなに……。
訳が分からない。こいつは私の事を疎んじて、ゴミのように思ってたんじゃないの?
今更どうして執着を見せるような事。
「こいつは……!」
間近で見降ろされて息が止まる。
「こいつは歓ぶんだ、ほら、ここを握ると——」
アディノスの手が羽に伸びる。
「やめろ!」
「っあ、ああああああ!!」
羽を掴まれた。
ビリビリと全身に電流が流れるようだ。
頭の先から手足の爪先まで、痺れて動けなくなる。
「ふっ、こいつ、震えて歓んでいるぞ。ほら、もう一度」
アディノスの言葉に私は全身を硬直させた。
やめて。とても耐えられない。こんな乱暴な扱い。
いっそ気を失えれば……。
ぎゅっと目を瞑った。覚悟した痛みは訪れなくて、代わりにふわりと温かい腕に抱き留められたようだった。
「やめろと言った」
低い声だった。
そっと目を開けると、ブレイクの胸の中にいた。
捕まれて敏感になった羽には慎重に触れないようにしてくれている。それが心底ありがたい。
しかも彼は、アディノスの腕を軽々とひねり上げて掴んでいた。
「い、いだ、いだい! はなせっ!」
「離さない」
「ふ、不敬だぞ!」
「しばらく見ないうちに随分と傲慢になったようだな」
アディノスがひねり上げられてない方の手で私の髪を掴んだ。
わざとなのか痛みに苦しんでなのか、そのまま思いっきり引っ張られる。
「い、い、いたっ……」
頭皮が全部はがれそうな程の痛みだ。
こいつ、本当に力任せに引っ張ってる。
ぶち、と何本か抜けて、また悲鳴をあげてしまう。
「ああっ……!」
「殿下、なにを——っ」
「俺を離さないと、俺も離さないからな!——っあ、ああ!」
ブレイクは私を支えている分、アディノスの片手しか拘束できていない。私が離れればいいんだろうけど、余りの痛さに硬直して——何このカオス!
ブレイクは動揺してアディノスの手を緩めたようだった。それに力を得てアディノスの手が更に強まる。
「くそ、この羽、切り落としてやる! そうすれば……」
「やっ……っ!」
私がいるせいで、ブレイクがうまく動けないんだ。
私は急いで隠してあったナイフに手を伸ばす。
迷いはなかった。
一瞬の隙をついて、髪の毛を根元からバッサリと切り落とした。
「なっ……」
一気に軽くなった頭。
瞬間、ブレイクが私を背中に庇った。
「お前……正気か!」
アディノスが手に残った私の髪の毛を放り捨てた。
距離を取ってブレイクの広い背中に庇われると一気に勇気が湧く。
「あんたに触られた髪なんて、気持ち悪くてない方がまし!」
「ん、だと——っう、ぐあああ!」
ぐんっ、と横を風が駆けた。と思ったら、アディノスの体が数メートル先まで飛んで行った。
床に叩きつけられた音が、執務室に響く。
ブレイクに殴られて、アディノスが床の上でうずくまり、腕を押さえて呻いていた。
——その時。
バタバタッ!!
廊下の向こうから複数の足音が近づいてくる。
「公爵様! 大きな音が——」
廊下まで届く声だったらしい。
駆け付けた数人の人達は、この執務室の惨状を見て呆気に取られていた。
「で……殿下!? 殿下、いかがされましたか!」
一斉に執務室へ駆け込んできてアディノスを取り囲む。
床に倒れたアディノス。
髪を切り落とされた私。そして、それを背中に庇うブレイク。
どう見ても修羅場だ。
「な……何が……」
「殺してやる」
今のはどこから聞こえた声だろう。——ブレイクだ。
顔は見えないけど、それを見ている皆が血の気を失っているから鬼の形相なのだと思う。
ブレイクが一歩踏み出そうとするのを、家臣らが3人がかりで止めた。
「公爵様! 堪えて、堪えてください!」
「ひいいっ……と、とまって……!」
「離せ、どうあっても、許せない。殺してやる」
「ひっ……お、王族を全て絶やせば、太陽が沈むと言われています!」
「迷信だ。陽は毎日沈む」
こっちは必死で止めているのに、アディノスは気遣う家臣に怒鳴り散らしていた。
「殿下!? お怪我を——」
「触るな!!」
口と鼻から血を流しながら、アディノスがまた怒鳴った。
家臣たちがびくりと肩を揺らす。
アディノスは床に手をつきながら、私達を指さした。
「公爵を拘束しろ! 王族への反逆だぞ!」
家臣たちがざわめく。誰もがすぐには動かなかった。
「殿下……それは……」
「なにしてる、早くしろ!!」
アディノスは立ち上がろうとして、痛みに顔を歪めた。
「くそ……どいつもこいつも」
「殿下は今、ひどく混乱しているようです」
ブレイクがようやく落ち着いてそう言った。
家臣たちが息を呑む。
「な……何を……!」
「殿下には正気に戻っていただく必要がある」
アディノスの顔が真っ赤になった。
「俺は王子だぞ!! 公爵風情が俺を——」
「殿下を拘束しろ。部屋から一歩も出すな」
ブレイクの声は静かだった。
静かだからこそ、恐ろしく響いた。
ブレイクに殺されるよりはと思ったようで、人だかりは一斉にアディノスを取り囲んだ。そのまま暴れるところを押さえ、連行していく。
「馬鹿な……借り物の王政を動かしているだけの分際で——!」
「借り物の王政を10年。私が積み重ねたものがどれほど重いものか、身を持って体験していただきたい」
アディノスは震える声で叫んだ。
「やめろ!! 俺は……俺はただ、ナノリアを……!」
叫びながら、アディノスの姿は連れて行かれて消えて行った。




