37.ナノリアの変化
ようやく空気が緩んだと思ったら。
アディノスは、今度は私を睨んだ。
「……おい。ナノリア」
その声は、さっきまでブレイクに向けていた虚勢とは違う。
もっと、ねっとりとした、嫌な響き。あからさまに上からの高圧的な呼び方だ。
そのままじろりと値踏みするような視線を感じる。
「……お前、何か……変わってないか?」
言いかけたところで、ブレイクが静かに遮った。
「殿下。礼節を守ってください」
「礼節って……こいつにそんなもの」
言いながらアディノスは腑に落ちないとでもいうように、じろじろと私を見た。そろそろ居心地が悪くなって、ブレイクの背中に隠れようかと思う。
アディノスの視線は、羽の方で止まった。
何が不快って——まるで自分の所有物が勝手に変化したとでも言いたげな、そんな態度。
嫌悪感が全身を走る。
「なんか、羽が勝手にでかくなってないか」
ブレイクが即座に声を低くした。
「殿下。ナノリアは殿下の何だというつもりです。勝手に、というのはどういう意味で言ってるんだ」
俺の所有物だよ、とでも言いたげな顔だ。
それを言うとブレイクに言い負かされるのがわかってるから、表情にだけ出してくる。
アディノスは悔しそうに舌打ちした。
「……ふん。だが、どう見ても変わっているだろう。前より……色が濃い。輝きも違う。何をしたんだ」
羽は確かに、私が子の体に入った直後よりも更に、一回り大きくなって更には光も増している。
コーンワルドで過ごした日々が、私を癒したから。生命力がまた満ちたようだった。
アディノスは、まるでそれが気に入らないかのように続けた。
「ナノリアは元々王家で育てている妖精だろ? 俺が管理して把握するのは当たり前じゃないか」
「管理、把握……殿下はもう少し言葉を学んでいただきたい」
「俺を馬鹿にするな!」
「私が知らないと思いましたか。——もう一つの用件はそれです」
ブレイクはそう言って、懐から一束の書類を取り出し、机に投げた。
アディノスが何だよというように見て——顔色が変わる。それを見てブレイクはすべてを理解した。
「見覚えがあるようで良かった。本来ナノリアに使われるはずだったお金を何に使ったのか、ここを見ればすべてわかる。これで、王家で育てているって?」
ブレイクが書類をめくって見せながら、コン、と指で書類の項目を弾いた。
遊興費、贅沢品、王子の私的な外出の費用——。
おそらくそのどれもが、ナノリアのための予算から支出されていた。
ブレイクは続けた。
「内城での扱いもひどいものだ。ナノリアの部屋は前国王陛下が崩御して以降一度も手を入れられていない、幼児のための部屋、そのまま。湿気が多く、掃除をする者もいない。食事は粗末で、下級メイドは教育を受けていない平民」
ドン、とブレイクが机を叩く。
「ここまで虐げ、顧みなかった王家に、これ以上ナノリアを任せてはおけない」
アディノスは反論しようと口を開いたが、声が出なかった。
あの顔は、言い訳を探している顔だ。私の処遇どうこうよりも、予算の横領について罪を問われないためにはどうしたらいいのか、それに必死で頭を巡らせている。
「ナノリアは公爵家で預かる。横領に関しては、今日ここでは追求しない。ゆっくりどうすればいいのか、考えておくといい」
アディノスは何も言わなかった。悔しそうに唇を噛んだまま、うつむいて石像のように固まってしまった。
思考停止してるとこ悪いけど、やっぱり私の口から言わないと、ここまでついて来た意味がない。
私は勇気を出して声を上げた。
「——そういう訳で、私はこれからコーンワルドで暮らします」
そう言った途端、アディノスは弾かれたように顔を上げた。
驚いたような顔をしている。
やっとまともに目が合ったような、そんな気がした。
「は……? お前、ここを出て行くって……は?」
アディノスは私の目を凝視していた。
「戻ってくるって言ってただろう? お前は……俺がいないと」
「戻ってくるなんて一言も言ってないし、私は殿下がいなくても平気です」
むしろいない方がいい。
本当は、許せないし、腹が立つ。一発殴ってやりたい。
でも同じくらい、やっぱり怖い。
身体が委縮して震えないのは、多分横にブレイクがいてくれるから。
そうじゃなかったら、前と同じく床にひれ伏してしまっていたと思う。
「いいのか!? ここを去ったら、俺とは二度と——」
「はい。……さようなら」
別れを告げて、立ち上がった。
この場にいるのがもう耐え難くなったから。
ブレイクも同じく立ち上がって挨拶をしている。
そのまま去ろうとして、アディノスの手が私の方に伸びてきた。私の羽に——。
思わず悲鳴を上げそうになる。
羽だけは、どうしても耐え難い。
そもそも、過去には布で隠しているのも不快だった。誰かに触られるかと思っただけで、今でも全身の毛が総毛立つような気がする。
何より、過去にアディノスにされた仕打ちは、今でもはっきりと覚えている。




