36.ブレイクとアディノス
アディノスは今度は私を睨んだ。
「殿下」
咎めるようなブレイクの声。
「何だ」
ブレイクの眼圧にアディノスが怯む。それで睨むのをやめなかったら、ブレイクが間に入っていたのかもしれない。
アディノスは不満そうに眉を寄せ、せめてもの反抗を示した。
「……本当に戻らないつもりか?」
「初めからその約束でしたので。引き受けた時から」
「国を動かす名誉ある仕事だろうが。誰でもできる事ではない」
アディノスはふん、と鼻を鳴らした。
その態度は、まるで自分がブレイクに仕事を与えてやっているかのようだった。
「そもそも摂政職は、俺が任命するものだろう? 地方に散らばる貴族が、王国の中心で働けるなんて名誉な事じゃないか」
——公爵家を、地方に散らばる貴族、と。
ブレイクは微動だにしない。
アディノスはそれが気に入らないのか、さらに言葉を重ねた。
「お前が辞めたら、誰がこの国を動かすんだ。国王が一々細かい政務までやると思うのか? 王は国の顔だ。雑務は摂政がやるものだろう」
——雑務?
私は思わずブレイクを見た。
ブレイクは表情ひとつ変えず、ただ静かにアディノスを見ている。
アディノスは続けた。
ブレイクが何も言わないから変に勢いづいてしまってるけど……気づかないんだろうか。横にいる私でも、こんなにびりびりと、彼の怒りが伝わってくるのに。
「お前は摂政として優秀だ。だからこそ、私がこの10年、安心して続けさせてやっていたんだ。それを勝手に辞めるなど、王に対する反逆に等しいぞ」
ブレイクが目を細め、微笑んだ——ように見えた。
「殿下」
声が恐ろしく低い。
「宰相の言っていた通り……学び直しが必要なようだな」
「何だと——」
「一つ。摂政職は殿下が任命したものではない。前国王の遺言のもと、王国法に基づき、王国会議が任命した役職だ」
「最終的に承認したのは俺だ!」
「形式上は。殿下が摂政職の内容を理解していないことは、今の発言で明らかです。摂政職の期限についても、設置の条件に付いても王国法に明記されている。何人もそれを侵すことはできない」
アディノスの顔が赤くなる。
「そして、貴族と王家の関係についても学び直しが必要なようだ。公爵侯爵の役割、伯爵辺境伯の役割——それぞれ速やかに、報告書の提出を求めると家庭教師に言っておこう」
「なっ……」
アディノスは口を開けたまま固まった。
「摂政は殿下の代わりに国を動かす役職です。その本質は幼い殿下が国を治める準備を整える一時的なもの。殿下がそれを理解しないままでは、私は職務を果たせない。私がいる事で準備がおろそかになるようなので、速やかに役を辞すこととした——王国会議の満場一致で」
アディノスは悔しそうに唇を噛んだ。
「……偉そうに。お前は私の下で働いているんだぞ」
ブレイクは淡々と返した。
「私は王国のために働いている。殿下個人のためではない」
アディノスの顔色がさらに悪くなった。
政治の事をよくわからない私でも呆れかえるくらいだ。これをずっと相手にしていたブレイクをはじめ、王国の政府の皆さんを本当に尊敬する。
この王子は自分の事をどう思ってるんだろう。
ここまでくるともう、宇宙人だ。
意味がわからない。
「そして今日はその話をしに来たのではないんです。連行した犯罪者らの事です」
「俺の騎士を、犯罪者だと!?」
「何か違ったか」
ブレイクの声は静かだった。だからこそ、部屋の空気が一気に冷える。
「殿下の騎士は——」
ブレイクは指を折るように、淡々と続けた。
「まず、客分であることを利用し、公爵家の使用人に虚言を流し当家を攪乱した」
アディノスがわずかに肩を揺らす。
「次に、公爵家が正式に預かっているナノリアに対して不適切な接触を試みた。本人の意思を無視し、強制的に連れだそうとした」
私はあの時のポールの事を思い出して思わず拳を握った。
ブレイクはちらりと私を見て、続ける。
「さらに、公爵家の敷地内で許可なく武器を抜き、公爵家の護衛に対して攻撃行為を行った」
アディノスは口を閉じた。
ブレイクの声は淡々としているのに、威圧感がすごい。流石のアディノスもまずいと思っているのだろうか。
「王命を偽造し、王族の保護対象を強制的に連れ去ろうとした。謀略による攪乱、越権行為、誘拐——」
「……そんな大げさな……」
ブレイクは静かに溜息をついた。
「大げさと言ってよい事ではないでしょう。少なくとも王国騎士の主人である貴方が、公爵である私に」
「あいつらは……ただ」
「殿下の騎士は、殿下の権威を利用して犯罪行為を行った。まさか、殿下のご命令だったという事はないでしょうね。その場合、大きく話が変わってくる」
アディノスが息を呑む。
「公爵家に対する攻撃を看過することはできない」
部屋の空気が張り詰めた。
回答を間違えれば大事になるとようやく気づいたようだ。
「殿下?」
有無を言わせないブレイクの声。
アディノスは顔をそらして、声を絞り出した。
「処遇は……任せる」
「では、返却を求める命令書は」
「棄却する」
「承知しました」
ブレイクが頷いて、ようやく部屋の重い空気が和らいだような気がする。
——これは確かに、来ないと無理だったかもしれない。
ブレイクがここまで来てこの圧で話すからアディノスは即座に従ったけど、手紙ではそうはいかなかっただろう。
親戚のお兄ちゃんにこっぴどく叱られたみたいになってるけど……いい年をして情けないけど。
とりあえず、王国騎士の処遇もブレイクの摂政職引退も、どちらも思惑通りに運んだようでほっとする。
もともと、勝負にもならなかった。




