35.王城へ
王城の門が見えた瞬間、次第に胸が締め付けられてゆく。
記憶にはあるから懐かしいはずなのに、まるで別の場所みたいだ。
これはナノリアの感情なのか、私のものなのか、もうわからなくなっている。
私だけじゃない。
馬車の窓から外を見つめていたブレイクも、いつもの優しい横顔とは少し違っていた。
おそらく摂政殿下の、厳しい顔なんだと思う。
コーンワルドでは緩んだ顔を見せていたけれど、ブレイクはもともとこういう顔をする人だった、と思い出す。
門番たちはブレイクを見ると慌てて姿勢を正した。
「摂政殿下、ようこそお戻りでございます!」
ブレイクは軽く頷いて答えた。
その横で私は、手のひらが汗ばむのを感じていた。
馬車が止まり、扉が開く。
ブレイクが先に降り、手を差し出してくれた。
「ナノリア、気をつけて」
私に対する態度もその声も、いつもの優しさだった。
私はその手を取って馬車を降りた。
王城の空気は、冷たい。
コーンワルドから帰ってくるとよりそう思う。
柔らかい風とはまるで違う。
そびえ立つ城壁、塵一つない長く冷たい廊下、硬い表情で粛々と仕事をこなす使用人達。
ブレイクと共に外城を抜け、内城に入る。
アディノスは内城で待っていると聞いていた。
今回、ブレイクは王都滞在中自分の屋敷に寝泊まりする予定だ。私ももう内城には留まらないつもりでいるから、到着早々会いに来た。
侍従たちがざわつく。
「ナノリア様……戻って……?」
視線に晒されて少し緊張する私の背を、ブレイクが軽く押した。私もそれに勇気づけられて歩き出す。
「行こう。殿下は執務室で待っている」
「はい」
歩くたびに、王城の空気が重くなる。
廊下の壁、床の石、天井の装飾——見慣れたはずの景色が、今となっては全部が冷たく見える。
コーンワルドの温かさが恋しくなる。
アディノスのいる部屋の前に到着し、ブレイクが立ち止まった。
来たことはないけど、おそらく応接室のような場所。
ごくりと唾を飲み込み私の背をまたぽん、とブレイクが優しく叩く。
「ナノリア。殿下が何を言っても、私がいる。絶対に側にいるから」
その言葉に固くなった体が少し楽になった。
心配そうな顔。
私のただならぬ緊張を感じ取ってくれたんだ。
それでも、この人は私が付いてくることを止めなかった。心配そうなのに。——それがありがたくて心強い。
「……はい」
お腹から声を出して頷いた。
案内役が扉をノックする。
既に帰還は告げられているだろうから、出迎えてもいいくらいだけれど。
ドアを開けたのも侍従だった。
「摂政殿下と、ナノリア様です」
「入れ」
中から、聞き慣れた声がした。
その声を聞いた瞬間背筋がぞくりとした。
懐かしさでも怖さでもない、ただの本能的に不快な障りとした感覚だった。
全身で拒絶してる。私は本当にもうこいつが無理なんだ。
だから今日は——決別の時だ。
私は息を吸って、ブレイクに続いて一歩踏み出した。
「お久しぶりです、アディノス殿下」
「随分ゆっくりして来たじゃないか」
アディノスは立ち上がる事もなく、ソファーに深く腰掛けた状態で私達を出迎えた。
ブレイクも慣れたもので、簡単な挨拶だけして対面のソファーに座る。
慣れたものだ。一応礼儀は尽くしているけれど、こうしてみるとどちらが王かわからない。
悠然と構えるブレイクに対して、アディノスはただの虚勢を張っているみたいだ。
——まるで獅子と狼ね。
それより……。
妙に気になる。
嫌悪感を脇に無理やりおいてアディノスを見ると……こんな顔だったっけ、と首を傾げたくなる。
頬はこけ、目の下には薄い影。
いつもは妙に自信満々でギラギラ輝いていた瞳も、どこか濁っているような。
まるで、光を失ったみたいに。
髪も少し乱れていて、輝いていた黄金色がくすんで、まるで灰色の膜をかぶったみたいに見える。
——こんな色だったっけ?
思わず目を細める。
髪の艶がなくて、これじゃまるで乾いた藁だ。
服の皺も目立つ。
王子としての品位を保つための手入れが、明らかに行き届いていない。
——どうしたの、この人。
ブレイクが静かに口を開く。
「殿下。お疲れのご様子ですね」
「摂政が……いないからだろうが!」
アディノスが声を荒げた。
政治をブレイクが任せるようになって、大変だから……? それにしては疲労感が尋常じゃない。
「後で苦労をするのは自分だと、私はこの10年ずっと忠告してきたはずだ」
「俺にわざと難しい仕事を押し付けてるんだろ」
「いいえ。相変わらず政治は摂政府を中心に回していて、殿下には簡単な決裁書類しか回していない。それも宰相と共にできるようにしているでしょう」
「あの宰相はだめだ! 俺のわからない言葉を、わざと話してくる!」
「では家庭教師もつけてはどうですか」
ブレイクは馬鹿にするでもなく、ただ神妙な面持ちで息を吐いた。
「いずれはやらねばならなかったのです。どこかで死に物狂いになる必要があった」
アディノスが唇を噛み、ブレイクを睨む。
「そっちは随分と生き生きしてるじゃないか」
「故郷はやはりいいものでした」
ブレイクは取り合わず、にっこりと笑って見せていた。




