32.救出
ポールが私の腕を掴んで強引に引きずった。
「来い!」
「い、いたっ。やめっ——!」
すごい力だ。
抵抗したくても力の差がありすぎてどうにもならない。
ベッドから引きずり降ろされた。
「離して……!」
「黙れ……立てよ」
「どうするのよ!」
「帰るんだよ、殿下の所に」
「はあ……?」
冗談じゃない!
私は必死で座り込んだ。
「嫌よ。そもそも、無理に決まってるじゃない。すぐにブレイク様が気付いて——!」
いや、こいつも一応貴族の子息だ。それなりに準備をしているのかもしれない。連れてきた王国騎士をすべて動かせば、ちょっとした小競り合いどころか、小規模な戦のような事にはなってしまうんじゃないだろうか。
そう思うと血の気が引いた。
引きずって部屋を出ようとされる。
「おい、動けよ。羽に穴を開けられたいか?」
こいつ、私の羽が弱点だって知ってるから……。
羽は……それだけは恐い。
絶望的な気持ちで、重い足を奮い立たせた。
どうしよう。そういえば妙に廊下が静かだ。どんな手を使ったのか、人がいなくなってる。
このまま、こいつに連れ出されてしまうのか……。
そう思ったら、廊下からバタバタと足音がする。
「ナノリア!」
ブレイクだ。
その声に泣きそうになった。
瞬間、強く腕を引かれて、窓の方へ引っ張られる。
「くそっ、どうして……お前か!」
パウラは緊張した顔のまま言った。
「おかしいと思うと伝言しました。まさかご本人がこんなにすぐ来られるとは」
「パウラ……」
すごい有能。
足音が部屋まで来て、ブレイクが顔を覗かせた。その顔と目が合って、ほっとした途端——。
「くそっ、もう知るか!」
ポールは叫んで、壁の端から私を突き飛ばした。
ものすごい力で、ぐんっ、と身体が動く。抗いようのない力に私はなすすべもなく——。
簡単に、窓から突き落とされた。
「——っ!」
視界がぐらりと傾き、体が宙に投げ出される。
足元が消え、冷たい空気が頬を打つ。
風の音が耳元で唸る。星空が見えた。足場がなくて頼りなく空を掴む手足。
落ちる——。
そう思った瞬間、背中の羽が反射的に震えた。
小さな羽が必死に動き、一瞬だけ空中に浮いた——ような、気がする。
けれど、すぐに力が尽きる。
だめ、やっぱり落ちる——!
「ナノリア!!」
叫び声と共に、強い腕が私を引き寄せた。
ものすごい力で一気に引っ張られて、衝撃を覚悟して目を閉じる。——けれど、体は痛くなかった。
覚えのある感触だ。ブレイクの腕の中。頼りがいのある胸板と、がっしりした腕。
嗅ぎなれた香りに一気に体の緊張が解ける。
「無事か……!」
息が荒い。
腕は震えているのに、抱きしめる力は強い。
その腕の中が、あまりにも温かくて、私は胸が詰まった。
「ブレ……ク、さま」
だめだ、声に力が入らない。
「こわ……かっ……」
ブレイクの胸も、今までにない程激しく脈打っていた。
「もう大丈夫だ。もう……」
よかった、とブレイクも消えそうな声で言った。
その声に、ほっとしたのか何なのか、涙が出てきた。
ブレイクは私を抱き締めたまま騎士を呼んだ。
私を突き飛ばした隙に逃げたポールにすぐさま追手を向かわせる指示を出している。地獄の底からの声みたいに恐ろしく冷たく低い声で。
「王国騎士全員を拘束しろ。特に主犯ポールが逃走した。生きていれば何でもいい、とにかく地の果てまででも追いかけて拘束して来い!」
ちょっと怖かった。
「あ、あの、私……もう……」
そっちに行きたいんじゃないかと思ったから離れようとしたけど、ブレイクは私を離さなかった。
「まだ震えている」
そう言って、慎重に羽には触れないように、背中をとんとんとあやすように撫でてくれた。
騎士たちが一斉に駆け出していく、その音が遠ざかる頃。攪乱されて来られなかったセレナたちが、息を切らしながら部屋へ駆け込んできた。
「ナノリア様!!」
セレナの声も震えていた。
私の泣き顔を見るなり、顔色がさっと青ざめて、手を口元に当てた。
「なんてこと……」
セレナは駆け寄って、私の体に傷がないか確かめるように、そっと覗き込んだ。
触れないように、でも確かめたいという気持ちが伝わってくる。
「……ご無事ですか?」
私は頷いて見せた。羽もちょっと動かしてみる。
「よかった……本当に……」
その言葉に、私はまた涙が溢れそうになった。
別の侍女が急いで毛布を持ってきて、ブレイクの腕の中にいる私の肩にそっと掛けてくれた。
「寒くありませんか? 震えておられます……」
セレナは私の手を包み込むように握った。
その手はしっかりしていて、いつものように優しい。
「ナノリア様……本当に、申し訳ありません。私たちがもっと早く気づいていれば……」
「違うよ……セレナの、せいじゃない……」
声が震えて、うまく言えなかった。
「パウラが気づかなかったらと思うと……ぞっとします」
パウラは悔しそうに唇を噛んでいた。
「私も、何となく、怪しい、くらいだったので。甘かったです」
私は首を振った。
「パウラ……ありがとう。来てくれて……」
思わずパウラに抱きついていた。
「いつもありがとう。本当に、ありがとう……」
パウラは温かかった。ずず、と洟を啜る音が聞こえたから、パウラもちょっと泣いてたのかもしれない。
セレナはブレイク様に向き直り、深く頭を下げた。
「ブレイク様……ナノリア様を守ってくださり……ありがとうございます……」
「当然だ。ナノリアは私が守ると決めていた。……しかし」
ブレイクは怒りを滲ませた息を吐いた。
「間に合っていなかった。ナノリアに羽があったから……」
そうだ、私一瞬、飛んだ。本当に一瞬だったけど。それがあったからドアのところにいたブレイクが駆けつけて引っ張ってくれた。それだってものすごいと思うけど。
「アウルラディス様が言ってました。リーフェルの花が羽を癒してくれるって。だから、毎日欠かさずに届けてくれたブレイク様のお蔭です」
だから気にしないでほしい。
ふるえもおさまってきたので、私は一人で立って、笑って見せた。
「ナノリア……」
怖かった。でも——。
ブレイクがちゃんと助けてくれた。コーンワルドの皆がいてくれる。
ずっと胸のどこかにあったしこりが取れたような気がした。
アディノスの影をようやく断ち切れたような、そんな気がした。




