29.リーフェルの花
コーンワルドでの生活は自然と共に過ぎて行った。
アウルラディスに言われたから、ブレイクが色々と配慮してくれてるのかもしれない。
もともと、蔦に覆われた古城のようなこのコーンワルドの屋敷は自然にあふれている。
窓を開けるだけで、風が通ってどこか森の香りがする。
朝は鳥の声で目が覚めて、昼は庭の光が部屋に差し込み、夜は遠くの山の影が窓に映る。
アウルラディスの言葉もあったし、私は庭に出て、風を感じたり、花を眺めたりする時間が増えた。庭のあちこちに休憩所が置かれ、庭師の数が増えた気がする。屋敷の中にも緑が増えた。
そして、部屋にはいつも、リーフェルの花が飾られた。
——いい香り。
「ナノリアに良いと聞いたから」
そう言って、ブレイクが毎晩、その日の分のリーフェルの花を摘んで持ってきてくれる。
不思議と私の部屋に飾っている花は持ちが良くて、なかなかしおれないので……部屋はまるで祭壇のように花であふれるようになった。
そろそろ、一旦止めてもらおうかな。でも……。
黄色い花が壁際に、棚に、窓辺に、机に、ベッドの横にまで飾られ、ふわりと甘い香りが満ちている。
光を受けて淡く揺れる花弁は、見ているだけで胸がぽうっと温かくなる。
日が経った花には花のよさがあるし、新しい花には新鮮な香りがあって、どっちも捨てがたい。
コンコン——。
この時間の来訪にもすっかり慣れた。
ブレイクが花を持ってきてくれる時間だ。
私は急いで駆け寄って、ドアを開けた。
「……ブレイク様……!」
さっき夕食で会ったばかりだったけど、一日に何度でも、その姿を見るだけで胸がほっこり温かくなる。特に夕食後のブレイクは、いつもより気が緩んでいるのか表情が柔らかくて。着崩したシャツの胸元も、かすかに香るお酒の香りも、近寄り難いくらいの大人の魅力がある。
もっとずっと一緒にいたいって、思ってしまう。
「……ちょっと、増えすぎたか?」
ブレイクが花を置きながら言う。
「このままではここが花畑になってしまう」
「うん、でも……」
捨てたくないと思ってしまう。
「まあ、もう少しはいけるか」
ブレイクはそう言っていつも私の迷いを汲み取ってくれる。
そうして2人でソファーに座った。
ここで夕食後に少し話をするのが、近頃では日課になっている。
いつもは対面だけど、今日は思い切って横に座ってみた。
ブレイクは特に何も言わずに用意された紅茶のカップに手を伸ばした。
「今日はどうだった?」
夕食の席でも話はするが、今日はトリスタンらもいたから、それほど話していない。
どうしても領地の話とかになってしまって。
庭のこと、今日の出来事、明日の予定。そんな何気ない会話が、胸の奥を温かく満たしていく。
話せば話す程、ふわふわして……。
気づいたら、私はブレイクに抱きついていた。
「な、ナノリア……!?」
ブレイクの体がびくっと固まる。
うわ、胸板が厚くて……腕もがっしりしてる。服越しでも体温が分かるくらい熱くて、心臓が脈打っているのがわかる。
私は目を閉じた。
なんだか心地良すぎて、他の事なんてどうでもいいような気がしてきた。
もっと触れたい。この逞しい体に。
私が全力でぶつかってもびくともしないんだろうな。鍛えてるって言ってたし。あんなに重い剣を持っても少しもぶれない筋肉と、体幹。
あれ? もしかして、この腹筋割れてるんじゃ……。
「ちょ、ちょっと待て……!」
ブレイクの慌てた声がする。
ちょっとお腹の肉を確かめただけなんだけど、まずかっただろうか。——いや、別に確かめるくらいいいんじゃない? 確かめるだけなんだし。
手でお腹を撫でるとぐっと力が入るのがわかる。
「わ、固い」
「……………っ!」
ブレイクは硬直した。
くすぐったかったんだろうか。
でも、嫌だったら突き飛ばしてくれていいのに、固まったままじっとしてるって事は。
見上げてみると、ブレイクの耳まで真っ赤になっていた。
今まで見たこともないようなびっくりした顔で私を見ているけど、怒ってる様子も不快な様子はない。
いいのかな。
私はブレイクの体に力を込めて抱きついた。
ぎゅう、と回した腕に力を込める。
「おっきい……」
この大きな体が安心する。
ブレイクの匂いだ。
部屋はリーフェルの香りに包まれているはずなのに、ブレイクに抱きつくと感じる森の香り——木々の間を歩いてきた人が纏う、澄んだ風の匂いのような。
それに混ざって、ほんの少しだけスパイスのような、落ち着いた大人の香りがした。
胸の奥がほっと温かくなる。
彼が近づくと、リーフェルの甘い香りよりもずっと安心する気配がするんだ。
胸が熱くて、頭がふわふわして、言葉が勝手にこぼれる。
「うーん……すきぃ。だいすきぃ……」
ずっとこうしていたい。
「ナノリア。だ、だめだ。離れて——」
ブレイクが離そうとする腕に必死でしがみつく。
「いや。ずっと、こうして、いるんらぁ……」
ろれつが回っていなかった。それにブレイクがはたと気づいて、止まる。
「ナノリア……?もしかして、酔っ払って……?」
「やらなあ、おさけなんて、のんでらいよぉ」
そう言って、手が緩んだのをいいことに更に抱きつく。
そうすると心地良い腕の中で、次第に睡魔が襲って来た。
このまま身を委ねたらどれほど幸せだろう。
私はそう思って目を閉じ……どうやら、眠ってしまったみたいだった。
——翌朝。
目が覚めた瞬間、私はベッドの中で叫びそうになった。
眠るまでの記憶だけはしっかりある。
あの後もまどろみながら、離れない、一緒に寝るとかわがままを連発して……。
「うそ……私、酔ってもあんなふうになったことないのに……」
リーフェルの花の香りがまだ強く部屋に残っている。
私は急いで窓を開けた。
酒は百薬の長って言うけど……妖精にとってリーフェルの花は、薬だけど過ぎればお酒のようなものなのかも。
それにしても……あれ、絶対に効きすぎた。
いったいどんな顔をしてブレイクに会えばいいのか……。
私はとりあえず、のろのろとベッドに戻って潜り込んだ。




