24.ブレイクの提案
やっぱり、いつまでもぶらぶらしてるわけにはいかない。
私はその足でブレイクのいる執務室を訪ねた。彼はトリスタンの病を理由に、王城への帰還を遅らせるという事にしたらしい。
そのため王城からの使者が公爵領とを行き来し、ブレイクが執務室に籠る日も増えた。
突然訪れた私を招き入れて、ブレイクはかけていた眼鏡を机に置いた。
「やあ。今日はなにをするんだ?」
「あ、外しちゃうんだ」
「ん?」
「あ、いえ、何でも」
危ない危ない。
ここの所、気が緩みすぎて思った事が口から出ていってしまう。
執務の間の書類作業の時だけ眼鏡をかけているらしい。もっと見ていたかった。
執務室のブレイクはいつもと少し違う雰囲気だ。シャツの袖を少しめくってベルトで留めていて、隆起した腕の筋肉が見える。その大きな手で眼鏡を持つと銀縁の眼鏡が小さく見えるくらいだ。
書類から目を上げた時にきゅっと目を押さえる姿も——いい。
そして部屋の中には不思議な紅茶の香りがする。甘くない、スパイスのような香り。
「すまないね、ここには椅子がなくて」
そう言いながらブレイクは私の前に立った。
「座るか?」
「いえいえ!」
重要な書類の山の前に誘われそうになって慌てて首を振る。
「すみません、忙しいのに」
「いや、覚悟していたよりずっと楽だ。父が元気になったから、公爵領の仕事は引き続き引き受けてくれているからね」
そう、トリスタンは病床から復活すると、翌日にはもう働き出してしまった。しかもこれまで以上に精力的にあちこち出掛けて行って、とても忙しそうだ。ルイーナもそれに随行している。
コーンワルドの人達は働き者だ。王家との差が激しいな。
——あと、そう。ここで暇なのは私だけ。
「あの……」
「ん?」
「そろそろ私、天幕の見える、山へ登りたいんです」
あ、またこの顔だ。
私が天幕の話をすると、ブレイクは決まってこういう何とも言えないような顔をする。バツの悪そうな、何と言えばいいかなというような。
一体何を懸念し、言いあぐねているのか、分からない。
「あの……ブレイク様はお忙しいようですし、護衛の方を付けてもらって、私だけで行ってきたら駄目でしょうか」
それなら負担にならないのではないか。一晩考えた事だったけど、ブレイクの表情は難しいまま。
「希望の護衛騎士がいるのか」
この質問は予想外だった。
実は、私の部屋周辺にはあまり護衛の騎士を見かけない。コーンワルドも優秀な騎士団を有していると聞いているが、遠目に見たその人たちは本当に皆ガタイが良くてごつくて、強面で。
以前廊下ですれ違いそうになった時も、逃げるように走り去っていったから、遠くから護るように言われてるんだと思う。ブレイクの気遣いは、そういうところでも感じる。
別に怖がったりしないのに。
そのおかげで名前も誰1人知らない。
意外な質問すぎて返事ができなかった。
ブレイクは言葉を選ぶようにゆっくりと話した。
「希望があるのなら、言ってほしい。できるだけ、意に沿うようにしたいと思っているんだ」
「それは、はい。すごくよくしてもらってるって、思ってます」
「——護衛騎士を、あのポールとかいう男にしたらいいか? そうすれば急いで帰る必要はないか」
「へ」
変な声になった。
思わぬ名前が出たからだ。しかも、護衛騎士に?
何か大きな誤解があるようで、私は慌てて両手を上げた。
「ちょ、ちょっと待ってください。どうしてポール?」
ブレイクは考え込むように口元に手を運ぶ。
「その……監視しているわけではないから、誤解しないでほしいんだが。ポール・ツッカー卿と話しているのを見かけたという者がいて。彼の方からも、君の護衛騎士となる希望届けが出され——」
「嫌です」
あ、ついドスのきいた低い声が出た。
「こほん——あの、すみません。私あの人苦手で」
「苦手?」
思いもよらない、というような声。
何だと思われていたんだろうか。
ブレイクとの間に少し、沈黙が流れた。
「君は彼をとても頼りにしていると——いや、そうだな、言われて見れば君の口からきいたわけではなかった」
ぼんくら王子かな。そうとしか思えない。あいつがそう言ったんだろう。
きっとアディノスからは、ナノリアが懇意にしている護衛騎士を付けるから側においてやってくれと言われたんだろう。——でも、だったらどうしてブレイクはそれを断ったのだろう。
「……実は、天幕は名分なんだ」
「名分?」
「君をコーンワルドに連れて来るための」
ブレイクは腕を組んで、慎重に言葉を選びながら話しているようだった。
「この10年、ずっと頭の片隅にはあって——いや、言い訳になるな。君が内城でどんな生活を送っているか、私は知ろうとしなかった。この話を持って行ったのは、そろそろ私も公爵領へ帰るだろうし、その前に一度——という、軽い気持ちだった」
そうなんだ。
頭の片隅でも、ふとした時に思い出しただけでもいい。覚えていてくれたんだ。
あの、ただ泣いただけのナノリアの事を。——覚えていてくれた人がいたのだという事に、胸がじんと熱くなった。
ぽっかりと空いていた胸が、ほんの少しだけ熱を取り戻したような。
「……久しぶりに会った君は、サイズの合っていないドレスを着て、痩せた体、何もない部屋と荷物、君の世話をしている下女——調べを進めるにつれて、このままではいけないと思った」
私の部屋を見たのはコーンワルドに出発する時のはず。その時から、色々と調べてくれていたんだ。
「えっと……つまり、ブレイク様は、私を助けるために」
「そんないいものじゃない」
ブレイクは眉間に皺を寄せながら首を振った。
「初めはそのつもりでもなかったし……ただ、もう少しだけ——せめて、もう少し健康になるまで、コーンワルドにいてもらいたいんだが」
そうだったんだ。はたから見ても、私って結構貧相な感じだったのかな。
「……ありがとうございます」
「いや……君は早く帰りたいと言っているのに、こうしてのらりくらりと避けてしまった。——すまない。これじゃフェアじゃない」
避けてたんだ。天幕を見に行くというのが、私が早く帰りたくて言っていると思われたのか。
確かに、ナノリアが王子のストーカーと化しているというのは、内城を飛び越えて王城にも知れ渡っている。癇癪持ちで困った奴だという事も。
それを思うと、ブレイクのこの態度は、本当にものすごく誠実だ。
「君が望んであそこにいるのは分かっている。アディノス殿下と別れたくないというのも、ちゃんと心得ているつもりだ。だが、何というか、君は随分と噂と違って、あまりに素直で——素直だからこそアディノス殿下に全部渡してしまうんだろうが……」
「あ、あの」
誤解を解いておかないと。
「私、帰りたくて山に行きたいって言ってるわけじゃないです」
「そうなのか」
「はい。良くしてもらってるから、少しでも役に立てたらって、思っただけです」
帰りたくない、アディノスに暴力を振るわれている——そんな話をすれば、ブレイクは信じてくれるだろうか。
言ってしまっていいのか、迷う。いや、やっぱりこの話はかなりの大事だ。ブレイクに……コーンワルドに迷惑がかかる。
「私、コーンワルドが、すごく気に入ってます」
「なんだ。だったら……」
ブレイクはほっとしたように肩の力を抜いた。
「ナノリアもここの生活が気に入ったのなら、こっちに移ってくるのはどうだ」
それは、思いもよらない申し出だった。願ってもいない。
元々役目を期待されて呼ばれたわけじゃなく、何もなくても、ここにいていいと言ってもらえるなんて。
——でも。ふと頭をよぎる。これまでの王城でのナノリアの記憶が。
結局何が違うというのだろう。
「ありがとうございます。すごくうれしいです。でも、お城でもここでも、私はただの居候で、何もできないままじゃ——」
「何もできないことはないし、できなくていいんだ。子供がそんなことを気にしなくていい」
「でも——」
それじゃあやっぱり、王城と変わらない。
状況が変わって手のひらを返されたら、考えたくないけど、やっぱりここでもって……。
「トリスタン様の病が治らなかったら、やっぱり私のせいでって話になっていたかもしれない」
「そんなバカな事を言う者はいない」
「そうでしょうか……でもやっぱり、私はそう思ってしまって」
この異質な羽を、気味悪いと誰も思わないだろうか。いくら妖精信仰の深いコーンワルドであっても、私の羽は少し歪で、飛ぶことすらできない。
ブレイクはそんな私の心配を理解してくれているようだった。
「ふむ。だが……そうだな。つまりはナノリアが、ここで立場を固めたいという事だろう? それは単純に嬉しい」
私はうんうん、と身を乗り出した。
役に立ちたい。ここで優しくしてくれた人たちのために。今はそれが一番大きい。
「いま、五感が研ぎ澄まされている気がするんです。前よりずっと」
「へえ」
「だから、今行った方がいい気がするんです」
「それは……勘、ということか?」
「そうですね。直感です」
もうこれ以上のことは言えない。
理由も何もない、ただの感覚。
説明なんて何もできない。
「そうか……」
ブレイクが考え込んだのは一瞬だった。
「分かった。じゃあ、明日行こう」
「えっ」
急に決まった。
「妖精の勘は大切にしないとな」
「あ、ありがとうございます!」
そうと決まれば、準備をしなくては。
「えっと、どなたと行けば——」
「もちろん私が行く」
「えっ。でも」
「約束しただろう? 君の事は必ず守る、と」
それはブレイクが自ら守るという意味だったのか。
自信ありげに微笑まれて、またどきりと胸が鳴った。




