23.日々が過ぎてゆく
私がトリスタンの命を救った、という噂は翌日には屋敷中に広がっていた。
本当にあの後からトリスタンは劇的に調子が良くなったらしい。
だからその後も、私は毎日トリスタンを訪ねた。
幾度か繰り返し手を握って悪い気を追い出すようにしていたら——トリスタンは数日で元気を取り戻したようだった。
私の方も、初めの時のように眩暈を感じる事もなく、数分手を握るだけで良くなった。
それなのにブレイクは「一日おきにしたらどうだ」とか「もう良くなったんじゃないか? やらなくても……」と心配しっぱなしで、後方で腕組みをしたり落ち着きなく左右に歩き回ったりして見守ってくれていた。
そんなに初日の顔色が悪かったのだろうか。
そして数日後、トリスタンの中から悪い気は一切感じなくなった。
「驚いたな。倒れる前より調子がいい」
そう言ってトリスタンは活発に仕事をこなし始めたし、ルイーナは泣いて喜んだ。
そこからは今まで以上に、大変だった。
とにかくお礼をと言ってルイーナが家に連日商人を呼ぼうとしたり、コーンワルドに伝わる家宝を譲ると言って聞かなかったり。
宝物庫やルイーナの衣装部屋に連れまわされて、断るのが大変だった。
私はトリスタンに息を吹きかけただけだ。結果としてたまたまよくなっただけで……そんなに努力してないのに、大きなものを貰うわけにはいかない。
ひたすら恐縮して困っていると、ブレイクがいい加減にしろと止めてくれた。
他にも、一歩部屋を出ると、通りすがりの使用人たちが、これまで以上に、それはもう深々と頭を下げてくるようになった。
下手をしたらその場に膝をついて頭を下げられそうな勢いだ。
声を掛けてくれるほど近しい人たちは、すぐに駆け寄ってきてあれこれと世話を焼こうとしたり、構ってくれて。
15歳どころか、10歳くらいの子供と思われてるんじゃないだろうか。
「ナノリア様、今日のおやつは何がよろしいですか?」
「まあ、今日も本当にお可愛らしい」
「お庭にピンクのバラが咲いておりましたよ。ナノリア様のように可憐で。摘んでまいりましょうか」
こうして取り囲まれて、困っているとセレナが駆けつけて解散させてくれる——というのを、毎日やっている。
なんだか、この強火な温度がくすぐったくて、落ち着かない。嬉しくてたまらないけれどどうしていいかわからなかった。
ブレイクにはいつ山へ登れるのかと尋ねているが、のらりくらりと返事を避けられている。それどころか毎日医師が私の診察をして……。大丈夫だって言ってるのに、ブレイクは思いのほか心配性みたいだ。
——まあ、名義上は王城からの預かり者だし、かな。
そんなわけでなかなかやることもなくて、私はぶらぶらと屋敷内を漂う日々を送っていた。
お気に入りの場所はいくつか見つけた。
静かな庭園の一角、キラキラと輝くステンドグラスが見える場所、涼しくて甘い香りのするテラス。
そういうお気に入りの場所で本を読んだり、まったりと景色を眺めて過ごす。——この上なく贅沢な時間だった。
時々だらだらとしているとブレイクがやってくる。
テラスで本を読んでいたら影が差して、見上げるとブレイクだった。
「あ——」
「そのままで。——ああ、今日も勉強してるのか。えらいな」
そう言って頭を撫でて去っていく。その仕草にもすっかり慣れてきた。
ご飯を食べたら偉いな、朝起きて出会ったら、よく眠れたか、えらいぞ。——これはもう、いよいよ娘のように思われているのかもしれない。
私の最近の悩みといえばそれくらいだ。
眼中にない件について。——いや、分かってるよ。素敵な人だけど、私がどうこうなれるわけないって。でもさ、思うだけなら自由じゃない? 今の所、ブレイク以上に素敵な男性を知らないし。
ここまで大切にされたら、惚れるなってのが無理な話で。
「おい!」
急激に現実に引き戻されて、私ははっとして頭を上げた。
さっきブレイクが頭を撫でて去っていってから、それほど経ってはいないと思うけど。
——そうだ。もう一つあった、私の悩み。
ポールだ。
王城から来た護衛騎士は見なくなったから返されたと思ったのに、外の見張りに立たされてるって聞いた。だからこの屋敷の中には入ってこないと思って、油断していた。
腕組みをして私を見下ろしている。
見上げるのが不愉快だったので、私は立ち上がった。
「何か用?」
怖じる事もせずそう聞かれて癪に障ったのだろう。
ドン、とテーブルを叩かれた。
「調子に乗るなよ。何もするなって言っただろうが。何だ? 前公爵を助けただと? いったい何をしたんだ」
「……………」
「答えろよ!」
胸倉でも捕まれそうな勢いだ。
でも。負けるもんか。
私はポールを精一杯睨みつけた。
「私にもわからないし、どうしてそれをあんたに言わないといけないわけ?」
「は……」
口答えが初めてだったから、ポールは余程驚いたようだ。呆けた口を開けて一瞬止まった。
それからみるみる顔を真っ赤にして拳を握る。
「お前……今、なんて言った? 自分が誰に、何を言ってるのかわかってんのか?」
「コーンワルドの賓客の私が、たかが護衛騎士の一人のあんたに、何を言ったかって?」
ちょっと大きく出てしまったけど、怖くはなかった。
この地に来て私は心身ともにすっかり回復したし、トリスタンを救ったという後ろ盾もある。
このままここに留まりたいと言ったら歓迎してくれるかもしれない。そんな確信に近い自信が
やっと持てたんだ。——まだ、黒いもやが解決してないから言い出せてはいないけど。
「おい、お前。アディノス殿下に捨てられてもいいのか!」
私がアディノスの所有物だったみたいな言い方に、虫唾が走る。
そんなものどうでもいいと言ったら、こいつはすぐさまアディノスに知らせるのだろうか。
「あんたには関係ない」
「俺は監視役だと言っただろう? ていうか、俺を護衛騎士につける話はどうなった」
「冗談でしょ?」
はっ、と私は笑って見せた。
「誰を護衛騎士にって? あんたの顔を四六時中見ることになるなんて。やめてよ」
「こいつ……俺だって、お前みたいな出来損ないの毒蛾になんて!」
どん、と突き飛ばされて、よろけて尻餅をつく。
こいつ……か弱い女性に手を挙げたな。
「もういい。帰るって言え。もう十分だろうが」
「嫌よ」
突き飛ばされようが殴られようが、言う事を聞くもんか。こんな一方的な卑怯な奴の言う事なんて。
突き飛ばされて痛いけど、でもそれよりも、怒りの方が強い。
こんなくだらない男に、見下されていい存在じゃなかったはずなのに。ナノリアは——私は。
「この……」
ポールが剣に手を掛ける。
「抜く気?」
突き飛ばすのとは、訳が違う。
王城の騎士が公爵家で剣を抜くのには、よっぽどの理由が必要だ。抜いているところを見られたら言い逃れはできない。それも私と二人きりの時に。
ここは開放的なテラスで、いつ人が通るとも知れない。
ポールはぐっと唇をかみしめると、私を睨みつけ、手近にあった本を腹立ちまぎれに投げつけてきた。
何て奴!
「警告はしたからな!」
そう捨て台詞を吐いて去っていった。
——そろそろ悲鳴を上げてやろうかと思っていたから、それを察知したのかもしれない。
本当に、小さくてくだらない腰巾着。
「ああ、塩まきたい!」
まだ今の私では、そう叫ぶのが精いっぱいだった。




