21.ピクニック
景色を見ながらお腹がいっぱいになって、私はそのままシートに横になった。
というのも、まずブレイクが横になって目を閉じたから。
うわあ……睫毛が長い。鼻筋が通って、美男子すぎる。
ずっと見ていたかったけど、視線がうるさいとか思われそうだから、私もごろんと横になって目を閉じた。
花の香り、涼やかな風の心地よさ。
「はあ……さいこう」
ふっと隣から笑うような吐息を感じる。
「良かった。——ナノリアは、何かやってみたい事というのはないか?」
「やってみたいこと……」
何だろう。
私はまだ、ここで目覚めて生活に慣れるのに必死だった。「ナノリア」は、全てアディノスを中心に回っていたから。
瞼を閉じて、遠い記憶を探る。今ではもう、この記憶が私のもののように思い起こされる。
『ナノリアの羽はまるでエットワル湖の輝きのようだなあ』
ドローネの優しい声。昔、そう言われたのをふと思い出した。
まだ2つくらいの頃だ。眠くてぐずるナノリアを慣れた手つきで優しく抱き上げて、あやすように揺らす。そうしてようやく微睡むナノリアに、ドローネは優しく語りかけた。
『大きくなったら、一緒にヨットに乗りに行こう』
本当にそんな未来があるのだと思った。
ドローネの眼差しは優しかくて、父親のような愛を感じていた。胸の温かさまで覚えている。
「陛下が……」
気が付けばポツリと言っていた。
「大きくなったら、ヨットに乗せてあげるって……」
「ヨットか……」
「あ! その、思い出しただけです。ふと、唐突に」
「いや、ヨットに適した湖が少し遠いんだ。もう少し暑く——夏にになったら。ナノリアさえ良ければ、一緒に行こう」
今は春。夏まで——いてもいいんだろうか、ここに。まだ昨日来た所だけど、もう既に帰りたくないと思ってしまっている。
私が黙ったのに対してしばらく待ってから、ブレイクがこちらを見た。
「ドローネ国王陛下を、本当に慕っていたんだな」
「はい。本当に優しくて……」
「アディノス王子も?」
「え」
ブレイクは少し身を起こして私を窺うように見る。
「君は殿下の事が——いや」
ブレイクは無理やり言葉を打ち切った。
「何でもない、今のは忘れてくれ」
ブレイクの事を聞きたいんだろうか。まるで聞いてはいけない事のように、ブレイクはいいんだ、と重ねて言った。
「君が殿下をとても慕っているのは知っている」
「え、その」
「無理に引き離すことはしないから安心していい」
ブレイクはそのまま立ち上がった。
「さあ、そろそろ帰ろうか」
そう言って片付け始めた。有無を言わせぬ雰囲気が背中からひしひしと伝わってくる。
私がアディノスに執着して、みっともなく縋っていた日々は内城では有名な話だ。
アディノスの言う事には絶対服従で、他の人の言う事には耳を貸さなかった。パウラが唯一世話をしてくれたけど、そのパウラにすら、アディノスとの仲を邪魔されるとひどく当たり散らして。
アディノスとの事に触れると癇癪を起こす、なんて。それを知っているんだろう。
私を無理やりアディノスから引き離して申し訳ないとでも、思っているのだろうか。
有難いんですって言いたい。
少しも帰りたくないですと言いたいけれど。そうなると、どうして気が変わったのかを説明しないといけないだろうか。
私には優しいけれど、厳しいと有名のブレイクが、なんとなくっていう、ぼんやりした説明で納得してくれるだろうか。そもそも何を言っていいのかもわからない。
どの程度知っているのかはわからないけど……。
でもさ、そもそも、私がここにいたいって言ったとして。
お城の居候の私が、今度は公爵家の居候になるっていうのはどうなんだろう。
なにかにつけて「子供だから」と言ってくれているけれど、お荷物として負担にしかならないのは目に見えている。
せめて何か役に立ったら……報酬の代わりに、どこか片隅に居場所をもらえたりしないかな。——よし、その方向でお願いしよう。
まずは何かできることはないか探そう。
できなくてもここにいる間に、何か仕事を探せないかな。
帰宅すると、屋敷は少し慌ただしかった。
「——公爵様」
グレアムスが駆け寄ってくる。
「どうした?」
「大旦那様が……」
「父上が?」
聞く前から察したようにブレイクの表情は険しかった。
「急に体調を崩されまして」
ブレイクが私の手を引いて馬車から下してくれる。
「……そこまで悪かったのか」
「いいえ。急にです」
「医者は」
「今夜が山だろうと——」
漏れ聞こえてきた言葉に、心臓を鷲掴みにされたようだった。そのまま私はその場に立ち尽くした。
昨夜優しく話してくれたトリスタンの顔が思い浮かぶ。
私に優しくしてくれた人が、また。こんなに急に。
「わ、私……」
デジャヴのように思い起こされた。
まさか。考えたくないけど、急に体調を崩したトリスタンは、昨日私と話したばかりだ。
私のせいなんだろうか。この羽の……? ドローネ以外に病気になった人がいなかったから違うと思っていたけど、何か、条件のようなものが……。
「ナノリア」
頭上から呼ばれ、そっと頬に手が当てられはっとする。大きくて温かい、ブレイクの手だ。
「顔色が悪い。どうした? 疲れたか」
優しい声に泣きそうになる。
いつの間にかセレナらも出迎えに来ていた。
「公爵様が、連れ回すから。内城から滅多にお出にならない方ですのに……」
「今日は陽射しも強いですし」
口々にそう言って私を気遣ってくれる。
「いや、そう思って数時間で帰って来たんだが」
私は心のどこかで、また責められるんじゃないかって怖かったのに。
毒蛾と言われて疎まれて、また羽を封じられ、閉じこめられるかもって。
自分が恥ずかしい。
そんな事よりただトリスタンの身を案じるべきだったのに。
「あの。トリスタン様は、血……血を、吐いたりは……」
「え?」
「陛下がそうでした。だから……もし……」
ブレイクの眉尻がわずかに下がった。それでも、口元だけはそっと上向いて、安心させようとするように柔らかく笑う。
「ナノリア。ドローネ陛下と、父の病はまったくの別物だ」
「でも」
「せっかく来てくれているのに、驚かせて悪かったな。だが、父の病はナノリアが来るもっと前からのものだ」
そう言ってそっと頭を撫でられる。
また子供扱いだったけど、今だけは、その温もりが安らぐものだった。




