20.妖精の天幕
玄関を出ると既に馬車とブレイクが待ち構えていた。
「お待たせしました」
「今ちょうど準備ができたところだよ。行こうか」
自然なエスコートで馬車に乗り込んで、ブレイクと二人で町はずれに向けて出発した。
さっきポールに遭遇して波立った感情が、一気に穏やかに戻る気がする。
目が合うと優しく微笑まれる。それだけで浄化されるようだった。
途中街の中で馬車を停めて、市場で売っているフルーツや香り袋といったコーンワルドの名産品を紹介してもらって、それも馬車に積んだ。
羽がある私を町の人が不思議そうに見ていくけど、声を掛けられたりも、露骨に避けられたりもなかった。むしろ輝いた目で見られているような気もする。
普通にしていて大丈夫だ、とブレイクは言ったけど。本当に大丈夫みたいだ。
そうやって楽しんで、寄り道しながらだったから街を出る頃にはもう日は高く昇っていた。
元々はちょっと天幕を見に来たはずが、楽しくてつい時間が過ぎるのを忘れた。
「ブレイク様、時間は大丈夫なんですか」
「仕事なら心配いらない。私も休暇のつもりで帰ってきたから、数日は羽を伸ばすつもりだ」
激務で忙しくしているブレイクが数日仕事を休むとなると……大丈夫なんだろうかと心配になる。
でも本当にゆっくりとしているし、心なしか目の下のクマもなくなって、元気そうだ。
疲れた感じも素敵だったけど、やっぱり健康じゃないと。
「休暇は大事ですよね」
うんうんと思って頷いてから、はたと気づく。
「あ、私はまあ、ずっと休みみたいなもんですけど」
忙しい人の前で、居候が休暇を語ってしまった。
ブレイクは気にしていない様子だ。
「子供は遊ぶことが仕事だろう?」
「は、はい……」
うーん。とにかくブレイクにとって私は、子供……なんだよなあ。
「そんなわけで私の休暇はしばらく続くから、ナノリアもゆっくりしてほしい」
「はい」
めちゃくちゃゆっくりさせていただいている。
「不自由なことはないか?」
「ないです。コーンワルドの人達はみんな、温かくて」
そんな話をしていると、馬車が停まった。
町を出てからそれほど経っていない。多分30分くらいのところだ。
「ついたようだな」
外に出てみると屋敷から見ていた山々が間近に見えた。町が遠くに見える。
ブレイクは少し先に小道を指さした。
「あそこの道が、山の登山道だ」
「あそこから登るんですか」
「今日は無理だな。登るのなら、少し準備をした方がいい」
そう言ってブレイクは私の格好を見た。
そうね、スカートで登山はちょっと。言ってくれたら用意して来たのに。
「その『天幕』っていうのはどこに……」
見る限り、一面ただの山の稜線が続いている。
目を凝らしてみても少し暗い雲が山にかかっているくらいで、オーロラらしきものはない。
ブレイクも目を細めて山の頂上付近を眺めていた。
「——今日は……見えないようだな」
「そうなんですね……」
「ここからでは見えない日の方が多い」
がっかりしたように見えただろうか。ブレイクが慰めるようにそう言った。
私はしばらく山を見上げて目を凝らしていたけど——やっぱり、景色は変わらないままだった。
「なんだか……あの雨雲、山から少しも動きませんね」
ずっと見ていたら気になって来た。山に引っかかっているみたいな黒い雲。
ブレイクが隣に立って、私の視線を辿るように見た。それから首を少し傾ける。
「雨雲? 私には雲一つない晴天に見えるが、どこだ?」
「え? あの山頂付近に——」
指さしながらよく見ると、雨雲というよりは黒いもやのような物に近い。
「あっ、あれ!」
黒い靄の少し離れたところに、一瞬レースのカーテンが揺らめいたようにひらりとオーロラのようなものが見えた。虹色にきらめいて、すぐに消えていく。
「今、一瞬見えたのが天幕ですか?」
「ああ。見えたね。滅多に見られないと言われているのに。流石、ナノリアといるだけで見えるなんて」
私といたお陰というよりは、ただの偶然なんじゃないかなと思うけど。昼のオーロラって不思議な感じだ。大きな虹のカーテンみたいだった。もっと見ていたい神々しさだったのに、本当に一瞬。
ただ、今は天幕よりも黒いもやの方が気になる。ブレイクが見えないと言った、煙のようにそこにあるもの。
「本当に見えないんですか? あの黒いの」
「ああ。君に見えるという事は、妖精に関わる何かか……」
天幕とは対照的に、嫌な感じがする。あれが妖精によるものとは思えない。——わからないけど、私の「目」はナノリアの「目」だから、ブレイクに見えないものが見えたんだろうか。
でも私は中身が妖精じゃないから、あれが何かも分からないし、結局役に立てないんじゃ。
不安がよぎる。こんなに良くしてもらっているのに……何もできなかったら。
「まあ、今考えても仕方ない」
呑気な声に振り返ると、ブレイクがいつの間にか少し離れたところにいた。
「——さあ、お茶にしよう」
「え?」
見れば、いつの間に用意したのだろう。
草原の上にピクニックシートが広げられていて、ブレイクはその上に座っていた。
馭者と思っていた人は給仕もできるらしい。彼がてきぱきと動いて、お茶と軽食の用意をしてくれている。
「さあ、おいで」
ブレイクに手招きされて近づくと、シートの上に手を引かれる。
促されるままに座ると、視界が低くなった分、周囲の花畑が近く、香りと共に鮮やかな色が目に入る。
「はい、どうぞ」
ブレイクが私にカップを握らせた。目の前にお皿も置いてくれる。
おいしそうなサンドイッチと串に刺さった可愛いおつまみがぽんぽんと乗せられた。
「食べて」
「あ、ありがとうございます」
こんなに至れり尽くせりで、いいんだろうか。
ピクニックしに来たわけじゃないだろうに。
「山に登れば……何かわかるでしょうか。いつ登りますか?」
「まあまあ」
そう言ってブレイクはまた優雅にお茶を飲む。
「景色のいいところに羽を伸ばしに来たんだ。今日はゆっくりしよう」
「はあ……」
確かに、景色はいい。
私が好きと言ったリーフェルという名の黄色い花が群生している。コーンワルドは本当にあちこちにこれが植えられているんだ。
この黄色い花の香りをかぐと、頭が冴えてくるような気がする。
ピクニックをしに来た、といった風だ。そうだったんだろうか。
いつからそんなことになったんだっけ……と思いを巡らせつつ、やっぱりあの黒いもやが目に入る。
「あの黒いもやは……あまりよくないもののような気がします。それしかわかりませんが……」
「そうか……。ナノリアにしか見えなくて、君がそういうのなら、きっとそうなんだろうな」
ブレイクは一瞬考えるようなそぶりを見せたけど、私のお皿が空になるとまたサンドイッチを入れてくれて、果物は何がいい? と聞いてくる。
そっちに忙しくなってしまったようで、それ以上黒いもやの話にはならなかった。




