2.拾われた子
春を迎えたロフェリア王国城の庭園は、この日も見事な景観を誇っていた。
ここはいつも四季折々の植物に彩られているが、とりわけ春の庭園は花々が咲き乱れ、見た目も香りも楽しませてくれる。
この庭園を毎日散歩をするのが国王夫妻の日課だった。今では3歳になった王子と共に3人でいつも歩いている。
「ちちうえ、ははうえ! あっち! ちょちょ!」
少し先で幼い王子が飛び跳ねながら手を振るのを、国王夫妻はにこやかに見つめた。いつも少し先を走って何かを見つけては、また戻ってくる。可愛い盛りである。
王子は植え込みの中と両親を交互に見つめたかと思うと、ざっと植え込みの中へ入ってしまった。
「あ、王子!」
「はは。さて、落ち着いて来たと言うたのは誰だったか」
「これ、アディノス! そこは入ってはならぬと申しましたでしょう」
乳母やメイドは少し離れたところにいて、家族団欒の邪魔をしないように控えている。
母親のサフィアが叱ってもアディノスは植え込みに入ったままだった。
すぐに出てこない王子を不思議に思い二人は顔を見合わせて、揃って茂みの中を覗き込んだ。
可愛い王子が一体何を見つけたのかと微笑みながら身を乗り出して——驚きに声を上げる。
「まあっ!」
「なっ、これは……」
王子の丸く小さな背中、しゃがんだその向こうに、赤ん坊が転がっていたのだ。
「んあっ、あ、んぶっ」
そんな風に声を上げているのは、紛れもなく、生まれてすぐ位の赤ん坊だ。裸で草の上に置かれている。
眩しそうに目を細めながら必死で手足を動かしていたかと思ったら、次第にくしゃりと顔が歪んでいった。
「んあっ、あぁ、んあぁ……」
とぎれとぎれの泣き声を上げる様子は、本当に生まれて間もない泣き方だった。
咄嗟に国王ドローネが手を伸ばす。
「あっ、陛下……!」
危険です、と近衛が駆けつけるが、ドローネはそれを制した。
「今まさに置いてゆかれたような」
庭を歩くのはいつもこの時間であり、入念に確認がなされているはずだ。
庭師も近衛も気づかなかったのだから、その時にはいなかったのだろう。
「んぎゃ……んああ」
火が付いたように泣き叫ぶ赤ん坊の声は頼りなく、悲しみにあふれているように感じた。
「ああ、泣くでない。もう大丈夫だ」
ドローネは慣れた仕草で赤ん坊をそっと揺らす。
「ん、んっ、あぅ」
やがて大きな手に抱かれて、赤ん坊が泣くのをやめる。
ドローネの目尻が下がる。赤ん坊を抱くのは久しぶりである。
「何と愛らしい子だろうか」
「一体誰がこのような不届きな真似を」
サフィアは憤慨し、王城に出入りする者をすべて取り調べねばと息巻いた。
「しかし、傷も汚れもない、本当にきれいな——」
置かれてすぐだからなのか。それなら直近の人の出入りを調べればいい。そう思いながら赤ん坊を確認して、サフィアははっとした。
「へ、陛下!」
「む」
ドローネが抱き変えようと手を離したせいで、赤ん坊の背中が見えた。
赤ん坊の白く滑らかな背中には、2つの小さな青い何かが付いていた。
しおれて、縮れたような何か——。
そう、ちょうど羽化を果たしたばかりの、まだ乾かぬ蝶の羽のようだ。それがしっかりと背中についているのを見て、思わず夫婦は目を見合わせた。
「これは……羽……?」
「まさか、妖精の赤ん坊でしょうか」
「この子が、妖精……」
ドローネは言ってみたものの、まさか、という気持ちの方が強かった。
ロフェリア王国には妖精の加護がある——そう言い伝えられている。
妖精の姿そのものを見たという記録は百年近くないものの、王国は天候にも恵まれ、災害らしい災害もなく、飢饉とも無縁だ。国土は決して広くはないが、不思議と周辺国からの侵攻からも免れてきた。
初代国王が精霊王に愛されたからと、建国神話には描かれている。
そっと赤ん坊の背中を撫でてみる。
か弱く頼りない羽根は今にも折れてしまいそうだった。そっと触れただけで、赤ん坊は身を捩りまた泣こうとする。
「おお……泣くな。良い子だから、泣かずともよい」
まるで言っていることがわかるかのように、その子はじっとドローネを見つめた。深い藍色の瞳は引き込まれそうになるほど美しく澄んでいた。
「陛下、如何しますか」
「うむ、念のため出入りした者には尋ねるのが良いが……この子は、やはり特別な子のように思う」
「はい」
サフィアも同じように感じたのだろうか、何度も頷いて、信じられないというようにまじまじと背中の羽を見つめていた。
発見した当のアディノスはいつの間にか城の方に駆けて入って行った。興味を失って、散歩には飽きたようだ。
「生きてこのような不思議を見るだなんて。信じられませんが……」
「いずれにしても、この子は無力な赤ん坊だ。誰かの庇護なくしては生きてはゆけまい。そうなると——」
サフィアにはこの夫が何を言いたいのか既に分かっていた。
国王に異を唱えるなど余程の事がない限り有り得ないし、そもそも反対する理由もない。
——こうして、妖精かもしれない赤ん坊はナノリアと名付けられ、王城で育てられることになった。
ナノリアのしなびた羽は数日掛けてピン、と張り、それは美しい瑠璃色へと変化した。
ガラスが光を反射するように、光の加減によってきらきらと輝いて見える。
「ああ、なんて美しいのでしょう」
可愛らしい見た目と羽に、ナノリアはすぐに王城中の人々を魅了した。
ただ、ナノリアの羽は右が少し小さい。ぷくりとした小さな丸い背中に、形の合わない両羽が体の動きに合わせてゆらゆらと揺れていた。
その羽以外は普通の赤ん坊と何一つ変わらない。
「考えたくはないが、まさか羽が小さくて飛べぬから置いて行かれた、などという事はあるまいな」
ドローネは日に何度もナノリアの元を訪れ、抱き上げてあやしてやった。サフィアもそんな夫を微笑ましく見つめ、ナノリアを実の子のように可愛いがった。
「たとえそうであっても、今は私達の元にいるのです。しっかりと育ててやりたいと思います」
「ああ、そうだな」
二人の温かい愛情に包まれて、ナノリアはすくすくと成長した。




