17.コーンワルドの夜
初めは緊張していたディナーだったけれど、すぐにそれはほぐれた。
「長旅で疲れたでしょうから、今日は軽めに用意したわ」
そうルイーナは気遣いを見せてくれたが、そうは言ってもナノリアにとっては——いや、私にとっても今まで食べたことが無いような豪華な夕食だった。
前菜は新鮮な野菜を使ったスープや燻製肉、少しずつ出てきた料理一つ一つに趣向が凝らされている。
そしてメインはさっぱりとした鶏肉に柑橘系のソースを掛けた料理だった。
「お口に合ったようで良かったわ」
食べられないんじゃないかと心配したけれど、さっぱりした味付けと少しずつの盛り付けで、結局完食してしまった。
食後のお茶を頂きながら、満足そうにルイーナが微笑む。仕草の一つ一つが洗練されて美しい。
「ああ、本当に。こんな可愛い娘が欲しかったのよねえ」
「母上、ご自分の年を考えてください」
「まあ、なんですって!?」
突然始まった親子の言い争いに、思わずびっくりしてカップを落としそうになった。
ルイーナが凄むとすごい迫力だ。——でも、ブレイクは全く動じていない。
「それを言うなら娘ではなく孫でしょう」
「そんなセリフはね、孫の1人や2人作ってから言ってみなさい」
「生憎そんな暇はありませんので」
「忙しぶるんじゃないわよ、人に任せられないだけでしょう」
「まあ、否定はしませんが」
「いつまでも若いと思っていたら大間違いよ。手紙にも書いたでしょう? お父様だっていつまでも元気なわけじゃないのよ」
「そうだ。父上、お体の具合はどうですか」
トリスタンは朗らかに笑みを見せた。
「元々お前ほど強くないから。この春先の季節の風邪をこじらせただけだ」
「最近はましだけど、この間も一晩中咳がひどくて眠れなかったのよ」
「だから部屋を別にしようと言ったのに」
「まああなた。私はそういう事を言ってるんじゃないのよ。ただあなたの体が心配だっていう話をしているのに」
確かに、ルイーナと違ってトリスタンの声は小さいし、体つきも細めで色も白い。
夫婦仲はすこぶるいいようで、ルイーナがひとしきり心配しているやりとりにブレイクは肩をすくめて見せていた。その仕草にルイーナがまた眉を寄せる。
「——それで、本当にいないの? 貴方その年で——」
「母上。ナノリアの前でやめてください」
「今しか私の話を聞かないでしょう」
語気荒く言い争う二人はものすごい迫力だ。
紅茶を飲むのも忘れて私は固まってしまった。
「ナノリア。お口に合いましたか」
ふと優しく声を掛けられた。トリスタンだ。
「あ、は、はい」
「良かった。あの鶏に添えたソースは僕の好物でね」
え、この人すごくマイペースに話してくる。
「もともと鶏といえばベリーのソースが主流だったんだけど、僕はやっぱりオレンジが好きで。公爵になる前からのの領地にオレンジの果樹園を建ててね」
にこにこしてるけど、その隣で貴方の妻と息子が罵り合ってますけど……。
チラチラと気にしていると、ああ、とトリスタンがゆっくりと頷いた。
「いつもの事なので、気にしないで——ごほっ」
「あなた?」
トリスタンが一度咳をしただけで、ルイーナが言い争いをピタリと止める。トリスタンはそれに片手を振ってこたえた。
「大丈夫だよ、少しむせただけだ」
「もう休んだ方がいいんじゃないかしら」
「そうしようかな。——お先に失礼させてもらうよ」
「あっ、はい」
すまないね、と謝られ、慌てて首を振る。
そういえば、あまり顔色も良くないような。
ルイーナが心配そうに脇に立って、二人そろって退室して行った。
「トリスタン様は、どこか、お加減が……?」
「年のせいかって本人は言っていたが。医者には特にどこが悪いとも言われていないらしい」
それにしては、調子が悪そうだった。
そこまで年を取っているわけではないだろうに。
「心配ですね……」
「まあ、それもあって私も早くこちらに帰って来たいという、先日の話になっているんだが」
「……………」
そうか。お父さんの具合が悪いなら余計、いつまでも王城に留まるわけにもいかないか。
あのぼんくら王子が国王になるなんて世も末だけど。トリスタンの顔色を見れば心配するのも当然だ。一日も早く公爵の仕事を継いで楽をさせてあげたいだろう。
国政を担うのは立派な仕事だけど、ブレイクは責任感によってそれをこなしているように思う。
早くしっかりしろとアディノスの尻を叩いていた様子を見ても、国王に取って代わろうとか、権力を望むようなことはなさそうだ。
「——疲れただろう、母が騒がしくして悪かったね。今日はもう部屋に行って休むといい」
何となく暗い雰囲気になったからか、ブレイクがそう言ってくれた。
疲れていたし、私はお言葉に甘えて部屋に帰って寝ることにした。
ふかふかのベッド、心地いい香り。
塵一つない清潔な室内と、手入れの行き届いた調度品。
侍女たちもお休みなさいと言って下がっていった。
新しい環境に、体は疲れているのに頭が冴えてしまっている。寝る前に窓を開けて遠くの景色を見てみた。
屋敷の少し先に広がる街は、まばらに明かりが灯っていた。かなりの規模で、人の数も多そうだ。
遠くには黒い山の稜線が、星の明かりに照らされてくっきりと見える。
あの花の甘い香りは夜でも漂ってくる。落ち着く香りだ。
不思議と、五感が研ぎ澄まされているような気がする。こんなに景色も香りも、くっきりと感じ取れる。
元の私は視力が良くなかったのに。
この体のせいか、いや、このコーンワルドに来てから、日ごと身体が馴染むようだ。
ふと、山脈の上の方に、黒い雲が立ち込めているように見えた。夜闇で良くは見えないが、靄がかかっているような。
妖精の天幕はオーロラのように見えるって聞いたけど、夜に見える訳じゃないみたいだ。目を凝らしてもそれらしきものは見えない。
黒い雲は嵐の前兆だろうか。空気は乾燥しているけれど、このコーンワルドがどういった気候なのかを知らないから、乾燥していても突然土砂降りになるかもしれない。
気にはなったものの、体の疲労はピークに達していた。
私は窓を閉めてベッドに入ると、一瞬で眠ってしまった。




