16.夕食
あまりにも気持ちよくて、お風呂にゆっくりと浸かりすぎた。
こうしてお湯を溜めて入ったのは久しぶりで。——ナノリアの体に入る前はそれこそ毎日入っていたけど。それももう、遠い昔のように感じる。
いつの間にか、このナノリアの記憶がもうすっかり自分のもののように感じる。
あの痛みが本当に経験したもののようだ。
すごくつらくて、いたくて……さみしかった。
——これは厄介だ。
アディノスへの恐怖が本当におそろしいものになってしまったらどうしよう。コーンワルドに来る前は、体は委縮しても、それでも反抗できないほどではなかった。
私もナノリアのようにアディノスへ執着したり……してしまうだろうか。何をしても縋りついて……。
バシャッ!!
そこまで考えて、思い切ってお湯の中に頭をつける。
——ないない。あんな我儘で未熟者の王子、ひとかけらも魅力を感じない。そこだけはわからないままだ。ナノリアはあの王子のどこがそれほど好きだったのか……。
「ナノリアさま……?」
遠慮がちに頭の上から声が聞こえて、私は顔を出した。
「だ、大丈夫ですか? お風呂がお好きなんですね……でも、そろそろ上がりませんと、のぼせてしまいませんでしょうか」
声を掛けられたのはこれで3回目だ。さすがに、ようやく上がった。
急かす感じじゃなかったから、つい長湯してしまった。
その後もゆったりと肩のマッサージをしてくもらいながら髪を乾かし、整えて、そして極めつけは、用意されていた服。
まるで陽光をそのまま織り込んだような柔らかな黄色。指先で触れると、空気のように軽く、それでいてしっとりと肌に馴染む手触り。
ふわりと広がる裾部分に、ささやかに金糸の刺繍が淡くきらめいている。
「これ……」
「ナノリア様に着ていただくために、大奥様がご準備されたのです」
セレナがそう言ってふわりとドレスを翻らせ、見せてくれた。
なんと、羽の部分は幾重にも重なるカーテンのようになっていて、ちゃんと羽が出せるようになっている。
「コーンワルドでは、黄色は妖精のための色なのです。それでこちらを用意したのですが、お気に召さなければ、他にも——」
「い、いえ!」
他にも——の先を聞くのが怖くて、私は慌てて遮った。
「大好きです、黄色。ありがとうございます」
あのボロでディナーには行けないから、ありがたく着せていただく事にする。
セレナらによってあっという間に着せられたドレスは、着ていることに気づかないくらいふわりと軽かった。
「まあ……本当に、舞い降りた妖精姫ですね」
「本当に、美しい……」
褒められて恥ずかしいとか嬉しいとかよりも、心配になって来た。
これって、妖精として役に立てればいいけど、何もできなかったらどうなるんだろう……。
そうしてダイニングに着いた時には、もうみんな揃っていた。
しまった。
ど、どうしよう。
トリスタンもルイーナもこちらを向いて微笑んでいるけど。一体いつから待っていたんだろう。
ブレイクがすぐに入り口まで来て手を差し出してくれる。
このエスコートにも慣れないのだけど、それより。
「ブレイク様」
「ん?」
私はひそひそと小声で尋ねた。
「どれくらい待たせてしまいましたか? 私——」
「大丈夫だ」
ブレイクはふっと笑った。
「ほら、見てごらん。二人とも既にワインボトルを一本開けて、酒の肴を食べ尽くしてるだろう。あの二人は、食前酒代わりにいつもああやるんだ。だから、ちょうどいいタイミングだ」
本当かどうかわからないが、怒っている様子はないみたい。
「そんな事より、そのドレス。まるで陽の光を纏っているようだ。夜なのに、君が着るだけで輝いて見える。——よく似合っている」
「そ……え、あ……」
その破壊力抜群の顔と美声で、やめてほしい。
「綺麗だ」
ひええええー!
叫びそうになる。
社交辞令だって分かってるけど、私もナノリアとしても、言われ慣れてないから。
鼻血が出そうだ。それくらい顔が真っ赤になっていると思う。
ブレイクが噴き出した。口元を覆っているけど、お腹を抱えて笑っている。
「はっ、ははははっ……!」
声を上げて笑うと、笑われていることも気にならないくらい、ますます素敵だ。
ずっと聞いていたい声。
「こんなに可愛いらしいのに、今までそれを言ってくれるものがいなかったようだな。内城の人間は総じて目が悪いらしい。もしくは、舌がないのか」
ブレイクがこんなことを言うとは思わなかった。この人は、本当に皆に恐れられている、冷徹という噂のある摂政殿下なのだろうか。
実家だからリラックスしているのかな。こんな冗談も言うんだ。
「ブレイク様も、そうやって、声を出して笑われるんですね」
思わず率直な感想が出た。
「言われてみれば、久しぶりかもしれない。年々喜怒哀楽を表に出すのが難しくてな——」
「ブレイク!」
ゴン、とワイングラスを置いてルイーナが名前を呼んだ。
「いつまでナノリアを立たせているの?」
「ちょっと話していただけですが」
「まったく……政務にかまけているからそんな風に気が利かなくなるのよ」
天下の摂政殿下にこんな物言いをするのはルイーナくらいなものだろう。
政務にかまけてって……なんといっても国の政治を担っているのだから。
ブレイクは気にしていない風で、さあ、と私に手を差し出してくれた。
その手に自分の手を重ねると、そっと席まで連れて行ってくれた。




