13.コーンワルドへの道
用意されていたのは大きくて立派な馬車だった。
そういえば馬車に乗るのは初めてかもしれない。
記憶にある限りは、なかった。
「気心の知れたメイドと共に乗るか? 私は馬で——」
「殿下と一緒がいいです」
あ、しまった。つい食い気味に答えてしまった。
ブレイクが驚いたように少し目を丸めている。
「その……私と一緒では、堅苦しくて落ち着かないかと思ったんだが」
「そんなことないです」
ブレイクは自分が恐れられていることを十分自覚しているようだった。何かにつけて、私と一歩以上離れている。
確かに眼光鋭かったり、声も低くてよく通るから存在感が圧倒的だ。周囲の部下らはピリッとしているのが分かる。
でも、私にはいつもものすごく優しい。
「こんなおじさんとじゃ——」
「いえ!」
おじさんだなんて! それを理由にブレイクの方から距離をとられそうで、私の方が一歩踏み出す。
「私、覚えてます。ブレイク殿下に抱っこしてもらった時の事。すごくあったかくて、寝てしまうくらい安心して。——あの時、陛下の死をちゃんと悲しませてくれた優しさも。私の……大切な思い出だから」
ナノリアの中にある、数えるほどしかない良い思い出だ。
「そうか、覚えて……」
「お邪魔でなければ、一緒に乗りたいです」
泣かせてしまったと思われていたのだったら、そうじゃないって伝えておきたかった。ブレイクの顔を見たらほっとしたようで、伝わったようでよかった。
そして本音を言えば、ブレイクのこの優しい声と顔に癒されたい。アディノスのせいで荒んだ心を浄化したい。
私の切なる願いは聞き入れられた。
しかも、分かったと言って快活な笑顔まで見せていただいた。
ありがとう。ごちそうさまです。
馬車の中ではブレイクと向かい合って座り二人きり。
何を話そうかなと思ったけど、時間が経っても気まずいなんてことは全くなく、色々な話をしてくれた。
馬車の仕組み、馬の性格の話、通りすがりの色んな町の事。
本当に話がうまくて、全然退屈しなかった。
「——あれは、6歳の時だった」
この辺りに来ると思い出す、といってブレイクは懐かしそうに窓の外を眺めた。
「王都へ向かう途中、ちょうどこの辺りだった。父が急に思いついたように言ったんだ。ここからはお前が案内をしてみろ、と」
「つまり、地図を見てって事ですか?」
「そう。もう訳がわからなくて、地図を逆さに見ていることも気付かず進み続け、気が付けば領地に戻っていた」
「えっ」
「私の指示に従った総勢20名。迷惑極まりなかっただろうな」
ブレイクはやれやれというように首を振って見せる。
「父はしたり顔だった。ほらな、ちゃんと勉強しないからだって」
貴族の移動って思ってる以上にお金がかかるはずなのに。
「とても……厳しい教育方針なんですね」
「いや、父はちょっと、なんというか……あまり物事を深く考えない所があってね。突然帰ってきて驚いた母にかなり絞られていた」
なるほど、コーンワルド家の前公爵夫妻は、奥さまの方が強い、と。王族だしね。
「そのご両親は、今は」
聞いてみて、ちょっとまずかったかなと思う。
王城に住んでいるのにそんな事も知らないのかと思われただろうか。
ナノリアの記憶を辿ってみても、彼女は城の外の事を本当にほとんど知らなかった。
幸いブレイクは気にしていないようでにこやかに答えてくれる。
「二人とも元気だ。現在、領地運営は両親に任せっきりでね。早めに私に爵位を譲って悠々自適な隠居生活を楽しむつもりだったろうに、当てが外れたとこの10年言い続けられてる」
肩をすくめて見せるから、笑いがこぼれた。
「——そうして笑っている方がいい」
ブレイクも笑顔を見せた。
そうすると目尻に皺が寄って、本当に優しい顔になる。
私は思わず口元を押さえた。
ブレイクが素敵すぎて、口元が変に緩んでしまう。これを見られるわけにはいかない。
皆知ってるのかな、この人はこんなに笑顔が素敵だってこと。きっと知らないはずだ。知っていたら、誰もが虜になってしまってるはずだ。
「——どうした? 気分が悪くなったか」
馬車を止めようか、というブレイクに首を振る。
「い、いえ。アディノス殿下には、不気味だから笑うなって言われてるんです」
「何だって」
ごまかしたけど、事実でもある。
ちょっと言ってみただけなのに、ブレイクは予想以上に反応した。
先ほどまでの楽しい口調が嘘のように、剣呑な声音に変わる。
思わずびっくりして見返したら、はっとしたように咳払いをされた。
ブレイクはどこまで知ってるんだろう。
優しい記憶のままに、この人はいい人だと思う。私がそう思いたいのかもしれない。
今はまだ、どの程度ブレイクを信じて、話しても大丈夫なのか、まだ読み切れていないところがある。
アディノスはナノリアが裏切るわけがないと確信している。
そもそも耳を疑うような事ばかりされているから、普通に言っても信じてもらえないと思う。内城という場所は全て王族最優先で当たり前だし、私の発言権はメイドより低い。事実確認をしようにも証拠も何もない。
けれどもしブレイクが既に知っていて、黙認しているのだとしたら。考えたくないけど、それなら言っても無駄だし、もっとひどいことになりかねない。
彼の様子を見ていたらそうとは思えないけど。
でも、これほど有能な人が、10年間もどうしてナノリアに何もしなかったんだろうという思いもある。
ナノリアの生活は……質素を通り越して、貧困といっていい。虐げるためにわざとそうしているのかとも思ったが、先日のアディノスのお金への反応を見ると——もしかして、あいつが私の生活費をちょろまかしてるんじゃないかとよぎった。
国家の予算は摂政であるブレイクが決めているはずだ。王族の使用できる金額を決めるのもブレイクだ。厳しくて有名な彼の事だから、使用目的なども細かく見ているんじゃないだろうか。
ブレイクが気づかないなんてこと、あるだろうか。
やっぱり40近い大人だし、百戦錬磨の、熟練のしたたかさみたいなものがあれば、私には見抜く事なんて到底できないかなと思うんだよね。妖精の力を借りたいからうわべだけ優しくしてる——とか?
信じたいし、信じられると思う気持ちの方が大きいけど。
「ナノリア様」
呼ばれて現実に引き戻される。
しばらく黙って考えていたから、心配そうな顔になっている。
この顔を見たら、もう少し近づきたくなった。
「その、様をつけるの、やめてもらえませんか。何だか落ち着かなくって」
「では、ナノリア」
「はい」
あ、ちょっと食い気味に返事をしてしまった。
素敵な低音の美声で呼び捨てにされると、ちょっと、破壊力が……。
「もうすぐ中継地点の街に着く。今夜はここで一泊することになる」
「分かりました」
窓の外を見れば、確かに街が見えてきている。
「疲れただろう」
「殿下がたくさん、楽しい話をしてくださったので、大丈夫です。私に気を遣って、疲れたんじゃないでしょうか」
「子供がそんなことを気にするもんじゃない。君こそ」
「私?」
「ああ。私はどうも、怖がられる顔と……態度? らしいから。無理をして付き合わなくてもいいから」
「そんな」
私は思わず身を乗り出した。
「怖いなんて、とんでもない。本当に楽しいし、もっと聞いていたいくらいです」
「それは良かった。私も君の反応が良くて話して楽しかったから」
気を遣って言ってくれてるみたいだ。まあ、その気遣いも無理なくできちゃうんだろうな。
「あと……。私、子供じゃないです」
中身はもう大人だし。まあ、中身で言ってもブレイクに比べたらかなり年下だけれども。
ブレイクが目を細めた。
「そうだった。失礼しました、レディー」
あ、子供相手にあしらうみたいにして。
——こういうのも……まあ、悪くないけども。
「私の事も、殿下と呼ぶ必要はない。ただ名前で呼んでくれ」
「はい。えっと……ブレイク様」
様もいらないが、とブレイクはまた笑って見せた。




