12.出発
公爵家への出発はあっという間に決まった。
私が思っている以上に、多分ブレイクの権力は巨大だ。
アディノスが何を言おうと、ブレイクが決めたらあっという間に進む。
お金も思い通りにならないようだし。そりゃあ、国政に参加しないぼんくら王子の力なんてないだろう。
部屋に戻った私の頬の擦り傷を見てパウラが心配してくれた。
「一体どうしたんですか。また、こけたんですか? ——っは! ま、まさか。摂政殿下に!?」
「違う違う。アディノス殿下に突き飛ばされたの」
「え……」
この時のパウラの呆けたような顔は見ものだった。
そういえばナノリアはこれまでアディノスにされたことを誰にも言っていなかった。だから人知れず傷を作ってくるナノリアを気味悪く思う人もいた。癇癪で暴れたからだろうって思われていただろう。
ナノリアは愛する人に手をあげられたなんて言いたくないし、アディノスの評判も守りたかったのかもしれないけど。
私はそんなものは知らない。
「王子殿下に……?」
「そうよ。本当は、これまでもずっと、私の怪我はいつもあいつにやられてたの」
はあ……とパウラは首を振りながら声を漏らした。
「王城って、やっぱり怖い所なんですね。横柄な人だなと思ってましたけど、王子が横柄なのは当然なので気にしてませんでしたけど……女に手を上げる男は、最低ですよ」
「ど正論ね」
「ど……?」
おっと、また変な顔をされた。
「あいつはね、最低な王子なのよ」
「まったくで……」
だったら何でこれまで追いかけていたのだとか、言いたい事は色々とありそうだけど。パウラはとりあえず私の治療を優先してくれた。
薬は傷にしみて痛かったけど、パウラのお陰で7日もすればほとんどきれいに治った。
そして、出発の日。
ブレイクが自ら部屋まで迎えに来てくれた。
ブレイクは二人の侍従を連れて来てくれた。
「荷物は——」
「彼女です」
私が手の平で指し示したのは、パウラと、彼女が持つ鞄一つ。
その鞄に着替え一着が入っているだけだ。——入れられる荷物がないものだから。雑巾を入れようとしたらパウラに止められた。
ブレイクはパウラの前に立った。
「荷物はどこに」
「は……こ、これです」
パウラは頭を下げて、鞄をその上に掲げた。
軽々と持ち上げたら、入ってないのがばれちゃうじゃない。
荷物はないですと伝えていればよかったかな。
ブレイクはちらりと部屋の中を覗いた。
「こちらは……ナノリア様の部屋で、間違いないのだな」
「は、はい」
パウラ。怖がりすぎだ。
ブレイクは目線で侍従に指示をして、パウラごと鞄を持って行かせた。
すっとまた手を差し出される。
「馬車まで手を。いいかな?」
「あ、ありがとうございます」
恐縮しながら手を取った。——あたたかい。
自然と私も頬が緩む。
「まあ、荷物はなくても大丈夫だ。必要なものは公爵領ですべて揃うだろう」
「ありがとうございます」
そうなると、逆に心配になる。
「あの……本当に、お役に立てるかどうか、わかりませんよ。期待に応えたいのはやまやまなんですが」
中身がね、妖精じゃないので。——とも言えないし。
ブレイクはふっと笑った。
「頼み方がまずかったな。気負いすぎないでくれ。君がどんな風に過ごしているか気になっていて——色々と、王城から出ないままでは窮屈かと思って口実にしたところもある」
「え」
「ちょっとした息抜きの旅行と思って、付き合ってくれればいいから」
「はい……」
どこまで本気なのか、ただ気持ちを軽くしてくれているのかがわからないけれど。
とにかく優しい人だというのは分かった。
覚えていてくれたんだ。10年前に一度会っただけのナノリアの事を。そして、引きこもっているのを案じて、誘ってくれたんだ。
「——これは、どうしたんだ」
唐突に、ブレイクが触れるか触れないかの距離で私の頬に手を当てた。
「あ……その……」
うっすら赤いかどうか、よく見ないと分からない程度なのに気づかれてしまった。じっと覗き込んでくる琥珀色の目が鋭くて、一瞬蛇に睨まれた蛙のように固まってしまう。
——これは、アディノスにされた仕打ちを話す絶好のチャンスか。
そう思うのに、すぐには言えなかった。
まだブレイクの事を信じられるほどの関係性でもないし。ちょっと、圧が。怖いし。
それに、ここで王子にやられましたなんて言って、出発前に大事になったら。せっかくのこの機会を逃してしまいそうだ。今はとにかく一刻も早くこの怖い王城から出て行ってしまいたい。
アディノスの気が変わって、邪魔が入る前に。
「いろいろと」
結果、私はごにょごにょとごまかすしかなかった。言い淀みながらそう言ったら、それ以上は聞かれなかった。
それにしても、ブレイクは体温が高いようだ。触れなくても手が温かいのがわかる。
ブレイクの手は大きくて、私の顔がすっぽりと隠れてしまいそうだ。
私が困っている雰囲気を察したようで、話題を変えてブレイクは素早く出発を決めてくれた。
こういうところもスマートだ。
かなり年は離れているから、ブレイクからすれば子供のようなものなんだろうけど。
私はどうしたって、この優しさに……ドキドキしてしまうのは、どうしても止められない。




