10.妖精の天膜
「殿下はもう子供ではありません」
ブレイクがぴしゃりと言い放つ。
「とにかく、今年いっぱいです。あと一年。殿下が出て来られようと来られまいと、国政会議でもその方向で話を進めます」
「おい、そんな強引に——」
「父も年ですし、何より、コーンワルド公爵領からの上申について、もう見過ごせぬと考えました」
「上申……?」
「お伝えしましたよね」
ブレイクの額に青筋が浮いている。
部屋の温度が下がったような気さえした。
ブレイクの目はアディノスに向けられているが、こっちを向いていたら悲鳴を上げていたかもしれない。横顔を見ただけでも、怖い。
「コーンワルドの天膜についてです」
「あー、それね。ああ、わかってるよ」
アディノスの声が上擦っている。
ブレイクは大きくため息をついた。それから私の方を向くから、つい背筋を伸ばしてしまった。
けれどこちらを向いた時には、ブレイクの眼差しは柔らかかった。
「ナノリア様、これが、今日来てもらった、本題の方なんだ」
「は、はい」
何でも言ってください、と言いそうになる。
こういうのをカリスマって言うのかな。何でも言う事を聞きたくなる。——いや、ただ単に魅力的なだけか。
「我がロフェリア王国には精霊の加護により、外敵を防ぐと言われている天膜があるのは、知ってるかな」
「はい……見たことは、ないですけど」
国境全てにではないものの、オーロラのように天からゆらゆらと光の膜のようなものが見られる場所があるという。その最も広大な範囲を有するのが、ブレイクの領地であるコーンワルド公爵領だ。
実際それによって敵を退けたとかいう記録はないが、その見た目の神々しさからも、きっと妖精が国を守ってくれているのだろうと言われ、神聖視されている。
「近年、徐々にその天膜に綻びが見られるようになったというんだ。穴が開いているような、消えかかっているような。妖精の加護に陰りが見えたのではないかと話す者もいる」
それは……本物のナノリアの魂が消えてしまった事と、何か関係があるのだろうか。
私に何かができるとも思えないんだけど、私に話を持って来るという事は、妖精かもしれないナノリアに、期待しているのか。
「領民の不安をそのままにはできない。近々一度戻って、様子を見に行こうと思っている。そこに、君も同行してくれないだろうか」
「そんな事だろうと思った!」
ドン、とアディノスが強く膝を叩いた。
「こいつが何かをできるものか」
じろりと睨まれて、反射的に首を竦めてうつむくしかない。
「大切な妖精の姫を連れだすことが心配ですか?」
「そうじゃなくて、こいつが妖精かどうかも分からない、自覚もないような奴を連れて行って、無駄足になるに決まってる。妖精としての知識は皆無なんだぞ。ただの羽が生えた奇形かもしれないだろ」
ブレイクはアディノスを無視し、ずっと私の方を見ていた。
「君の事は、私が必ず守ると約束する。不安な事があればなんでも言ってくれ。できる限り意に添うようにするから」
「摂政、こいつを連れて行くかどうかは俺に言え」
まるで私を自分の所有物のように話す。それがたまらなく不快だった。言い返す気はないけど、黙れ青二才、と心の中で毒づくくらいはしている。
ブレイクと並ぶとこの王子が子供に見えて仕方ない。
自分の所有物が他人に使われるのが我慢ならないとか、その程度なんだろう。ブレイクには全く取り合われていない。
「行くかどうかを決めるのはナノリア様でしょう」
「こいつが決められるものか! 言っただろう。頭が悪いんだ」
こいつ……。
「もちろん、仕事をしてもらうのだからきちんと報酬もお支払いする」
「ふうん。じゃあ、まあ、行ってきたらどうだ」
ずっこけそうになった。
あんなに反対していたのに急に手のひらを返したぞ。
このぼんくら王子が反対しようがしまいが関係ないけど。こいつのいる王城にいるより、ブレイクと視察旅行に行く方がいいに決まっている。
城から出たこともないから、確かに少し怖い。
でも、ブレイクが「必ず守る」と言ったから。
私はナノリアであってナノリアではないから、やくにたたなかった時が怖い。それで躊躇う。
「どうかな」
ブレイクはずっと返事を待ってくれていた。
私はアディノスの方を見ないようにしてこっちに向き直る。
「……領民が困っているのなら、助けたいと思います」
「では——」
「でも、報酬はいりません」
「おい! 勝手な事を言うな!」
怒鳴られて、びくりと肩が震える。急に大きな声を出さないでほしい。
何でそんなに反応するんだ。——まさか。こいつ、私のお金をちょろまかそうとしてる?
王子だけどブレイクが自由に国のお金を使わせるとは思えないから。——となると、もしかして私への支給金とかも着服してるんじゃないか。
ふうん……。
条件反射で体は強張るけど、気持ちで負けてるわけじゃないからな。
いつかやり返そうと思って機会をうかがっているだけだ。
見てなさいよぼんくら王子。




