◆3 閉店業務 巡回経路
……ァン…
「…あれ?」
何処からか声が聴こえた気がして、押していたボタンから指を離した。
ガァン…ガシャガシャ…
階段と売り場を隔てるシャッターの降下が急停止し、鉄板が擦れて耳障りな音が響いた。
この商業施設の警備員の一人、中神慎也。
彼は閉店作業の手を止め、後ろを振り返った。
彼が今居るのは北側階段の三階踊り場。
客の退店を促す為、既に階段のメイン照明は落とされている。点灯しているのは誘導灯と足下灯のみ。
光の届かない所も多く、あまりよく見えない。
……ナァン…
「…猫?此処じゃない。…店内か?」
鳴き声は暗い階段の方からではなかった。
それは、まだ明るい店内の方向。
「此処、ペットショップは無かったよな…」
下ろしかけたシャッターを潜り抜け、まだ明るい店内に入る。
太い柱を回り込み、階段と女子トイレの間の壁に掲げられた大きな店内地図を眺めた。
「まだ全部は覚えてないが…やっぱり無いよな。
…となると、面倒臭い事になるのか?」
地図から目を離し、店内を振り返った。
「野良猫?勘弁してくれよ……」
中神は耳を澄ませながら、並ぶテナントに目を向けた。
棚に並ぶ商品類、通路脇でポーズをとるマネキン達、天井近くに掲げられたカラフルなPOPの数々には、眩い光が降り注ぎ、此の店の主役が誰かを証明している。だが今の時間、彼等に目を向ける人は居ない。
店内BGMからは閉店の曲が流れている。
『本日は……またのご来店を……』
合間合間、断続的に流れる店内放送が、婉曲な台詞回しで客に対して退店を強要している。
昼間の喧騒は消え去り、幽かな音でも強調される。
南側テナントで集金業務をしている従業員達の小声すら、店内北端に立つ彼の耳に届いた。
ゴウン…ゴウン……
昼間は気にならないエスカレーターの稼働音。今はハッキリと聴こえる。
ピーン…『三階です…』。
エレベーターの音声案内が鳴り響く。
それらは整然と働き、残りの客を、余すことなく乗せて行く。
退店していく人の流れに変わった様子はない。
暫く耳を澄ませていたが、猫の声は聴こえない。
居残り従業員達から、『鳴き声、聴こえない…?』等と言う囁きも聞こえない。
全ては気の所為。
「面倒はごめんだ…」
彼はひとり呟き、閉店作業に戻った。
薄暗い階段エリアに戻り、閉め掛けていたシャッターを最後まで下ろす。そして、操作用ボックスの扉を閉めて鍵を掛ける。
暗がりに忍び込んでいる人の居ない事を確認しながら、まだ照明の点いている二階へ向かって下りていった。
コーン…コーン…コーン……
ビクッ!
階段を下りる途中で、中神の足が止まる。
彼は息を呑み、耳を澄ました。
コーン………、コーン………、コーン…………
直ぐ左。階段の壁の中から、何かを叩く音がする。
「き…気の所為だ。
従業員の誰かが何かを落としただけ…」
中神は、わざと声を出して自分に言い聞かせながら、歩き出した。
階段と二階店内を隔てるシャッターが下りていくのを見ながら、考えていた。
…そうだ。店内で響いた音が変な反響をして、壁の中から聴こえている様に感じてるだけ。
そう。…少しばかり神経質になってるだけだ。
閉店作業の前に耳にした雑談の内容を思い出した。
…興呂木さんが、あんな事を言うもんだから…。くそ……
コーン…………コーン…………コーン…………
ガシャン…!キー…キー…ガシャガシャ……
中神は背後の壁から視線を外し、下りていくシャッターのみを注視する。
鉄板の擦れる音に集中し、煩い音だなぁ…グリース塗らないのかなぁ…等とどうでも良い事を考える。
頭の中を無駄な思考でグチャグチャにする。
そうして、今も背後で鳴り続けているノック音から意識を逸らした。
ガシャン!
大きな音と共にシャッターが閉じる。
手早くシャッターボックスの蓋を閉じ、足早に下階へ。
聴こえて来るノック音を振り払う様に、一段飛ばしで駆け下りて行く。
本当は、階段を下りる前に照明を消すのだが、今は点けっぱなし。…怖いから。
「異常なし。居残りなし!」
走りながら自分に言い聴かせる。
気を逸らす為に、わざと少し声を張る。
そうして一階のシャッターまで下ろし切った。
階段通用口から照明の眩い売り場へと入り、腰に下げた無線を手に取る。
『防災センター警備室、こちら中神』
中神は親機を呼び出した。
『北側階段照明、一部消灯し忘れました。スイマセン。
…そちらで消灯願います』
『センター了解。……消灯確認、宜しく』
通用扉の窓から先程まで居た階段の踊り場を覗く。
照明は落ち、薄暗くなっている。
『消灯確認しました!…ありがとう御座いました』
無線を切って、ホッと息を吐いた。
警備員の閉店作業には決まった順路がある。
必ず決まった時刻に、決まった場所の通路を閉鎖しなければならない。
その手順を間違えると、帰路の判らなくなった客の『迷い込み』が発生するから。
もし『お客様の閉じ込め事案』を発生させようものなら、店の偉い人が謝罪に出向かなくてはならなくなる。
そうならない為、定められた順路で通路を封鎖していき、上階から下階へと客を誘導する。
「残って居る人…居ませんね〜…」
中神は通用口の扉から顔だけを出し、暗い階段の上階の方に向けて声を掛けた。
先程まで響いていたノック音も聞こえず、人の気配も空気の振動も感じない。
『防災センター。こちら中神。
北側階段の無人を確認。センサー、お願いします』
『センター了解』
通用口にも鍵を掛けて完全に封鎖。守衛室に連絡する。
これから人感センサーが作動する。
『こちらセンター。北階段センサーに異常無し』
反応する物は何も無いよ。隠れている人は誰も居ないよ…と、連絡が来た。
中神はホッと息を吐く。
「ふぅ…、此処からは明るい店内だ」
気を取り直し、閉店作業の続きへと戻った。
◆
出口から出て行く人達の動きを眺めながら、店内の時計を確認する。
「時間だ…」
中神は中央エスカレーターへ向けて歩き出した。
次の工程は先程とは逆。一階から上階へと戻るルート。
「エスカレーターを停めて、と…」
定時になったので、ボタンを操作して『昇り』の稼働を停止する。
停止したエスカレーターの前に『進入禁止』の札を立てる。
動かない踏み板をゆっくりと上り、同じ手順で二階、三階…と、停めていく。
下り方向は動いているので、お客が帰れない等と言う事はない。
これで、昇りエスカレーターの封鎖も完了。
「おう、中神ちゃん!時間ピッタリだな」
四階まで上がった所で、エレベーター方向から来た警備員が彼に声を掛けた。
「あ…興呂木さん。
…そちらも時間ピッタリですね」
「今日は居残りが無かったからな!」
興呂木と呼ばれた警備員は、周囲に聴こえようが構わないという風に、笑いながら応えた。
『居残り』
退店を促す放送を無視して、通路の暗がりや階段の陰に隠れている人達の事。
ほぼ、窃盗目的等ではない。
主に若者の度胸試し。たまに猥褻目的のカップル。
警備員に見つかっても怒られるだけ。なら、スリルを愉しみたい…という迷惑な連中が一定数居る。
隠れている彼等を見つけ、店内から追い出すのも警備員の仕事。
発見した場合、店の出口まで同行しないといけない。
完全に追い出し、戻って来ない様に見張る。
更に、その間に忍び込む別の輩が居た場合を想定し、一から点検のし直し。
閉店作業が非常に遅れる要因となる迷惑客。
北階段側は出入り口から遠い為に、ほとんど『居残り』は発生しない。
対して、一階の出入り口から屋上駐車場までを繋ぐ南側階段側では発生しやすい。
エレベーター以外では唯一、駐車場へと続く南側階段。
帰り道に迷った振りをしながらワザと引き返し、店内に忍び込もうとする悪質な『居残り』。時折発生する。
だけど今日は平日。金曜日でもない。
特別に客の多い日でもなかったので、『居残り』は無かった。
中神は興呂木警備員と合流し、店内を練り歩く。
居残っている従業員達には声を掛け、早々に売り場から退出する様に…と、お願いして廻った。
◆
…あっ!そう言えば、さっきの鳴き声…。異音に気を取られて忘れてた。
野良猫が侵入してたら、熱源センサーに引っ掛かって不味い事になる……
『猫の鳴き声』を思い出した中神は、商品陳列棚の隙間、ハンガーラックの服の間、マネキンの足下、そして、埋め込み消火栓の中…、店内の隅々まで見て廻った。
「おいおい、中神ちゃん。…流石に、そんなトコに『メンドウゴト』様は落ちてないだろ?」
彼のおかしな行動を眺めながら、興呂木は苦笑いした。
「いやいや…念の為、念の為ッス。あはは…」
説明するのが難しい。そもそも、気の所為だったのかもしれない。
中神は引き攣った笑顔で応え、立ち上がった。
「無駄手間かけず、ちゃっちゃと終わらせようや。
推しのライブを観てぇんだよ。俺は」
「…了解ッス」
急いで廻らないと、定刻までに入口の施錠が終わらない。
中神は猫探しを諦め、『居残り』の隠れそうなポイントを素早く確認していった。
「んじゃ、北側頼むわ」
「了解ッス…」
一通り確認を終えると、興呂木警備員は後ろ手を振って、南側のトイレへと向かった。
中神は軽く息を吐き、北側のトイレに向けて歩き出す。
北側トイレは、先程中神の下ろした北階段シャッターの直ぐ隣。猫の鳴き声とノック音、両方を聞いた場の近く。
…もしかして、あの鳴き声は四階トイレの中からだったかも。
軽く息を呑み、中神は中に足を踏み入れた。
男子トイレから順番に、個室の中、清掃用具入れの中、バケツの中まで確認する。
続いて女子トイレの奥の個室から順に、障がい者用トイレの汚物流しの中まで確認した。
…何も無い。ノック音も鳴き声も何も無い!
心の中で言い聞かせる。
…元々、気の所為だったんだ!…ハァ……
中神はトイレから離れ、テナント内も確認しつつ、エスカレーターの方へと足早に向かった。
エスカレーター手前で待っていると、興呂木警備員がゆったりと歩いて来た。
「お、早いね。仕事が早いのは良い事だ。
従業員の連中は?」
「トイレもテナントも、誰も残ってませんでした」
「おっけー。協力的で助かるね!」
ラッキーと呟き、軽く口笛を吹きながら、エスカレーターを下りて行く。
エスカレーターから降り、『下り』の稼働も停止させる。
『センター、こちら興呂木。
四階、全消灯とセンサー宜しくね〜』
『こちら防災センター。四階の消灯とセンサー。了解』
四階を覗き見る。
誘導灯と非常灯のみを残し、全ての照明が一斉に消えた。
「よし、次は三階。
北側巡回宜しくね。中神ちゃん!」
中神は顔を引き攣らせた。
再度、階段で聞いたノック音を思い出す。
「了解しました…」
重い足を動かし、平気な振りをしながら歩き出した。




