◆4 興呂木警備員の語り
「あの…興呂木さんは、聞きました…?」
「ん、何?酒山ちゃん」
「…本当に、そんなに大した事では無いのですが……
気の所為とか、そんな事…なんです…」
閉店作業前のミーティング後。
これから手分けして、皆で閉店作業に入ろうかという時、新人警備員の酒山が興呂木警備員に声を掛けた。
周りを気にして、少し声を落としながら。
酒山の大学の先輩であり、彼に此の仕事を紹介した中神警備員は、酒山の少し強張った声音を耳にし、何とは無しに気になった。
なので彼は、ボードに記載してある担当順路を確認する振りをしながら彼等に近づき、耳を澄ませた。
興呂木の年齢は、恐らく40代前半。
ひょろりと背の高い酒山程ではないが、彼も背が高い。加えて、酒山とは違って横幅もある。
しかし、それは鍛えて出来た身体ではなく、不摂生に依って得られた形。
色んな意味で、同じ最古参である鷹梨警備員とは真逆。
警備室の奥で黒山警備主任と話している鷹梨警備員。
彼の身体は小さいが、身に着けた筋肉の所為で硬く、そして重く感じる。
傍にいると安心感があるが、同時に、表現し難い威圧感もある。
対して、目の前で酒山と話している興呂木警備員。
彼の身体は大きいが、身に着けた贅肉の所為で重く感じられない。水に浮きそう。
こちらは威圧感皆無。飄々とした口調、そして雑な性格。
目尻と眉尻が下がった彼の顔は、安心感より心配が勝る。稀有な警備員。
大きめの制服は綺麗に着こなせず、関節部にシワが定着している。
爪は切ってないし、癖の強い髪が制帽からはみ出している。
先程のミーティング中にも黒山警備主任に注意されていた。いつも通り、馬耳東風だったけれど。
シッカリやキッチリという言葉の逆。だらしない人。
だが、客対応だけは異様に上手い。
まず、人を怒らせない。
柔和な彼の表情や落ち着いた声が、怒りに満ちた客の憤懣をいつの間にか鎮めてしまう。
お客様だけではない。売り場の従業員達とも親密。
深夜勤務の無い日などに、しれっと従業員達の集団に混じって呑みに行っている。
入退出管理窓口の前を通るだけの、警備とは全く接点の無い売り場の人達から、昨日も呑みに誘われていた。
いつもヘラヘラして、周りに警戒心を抱かせない。
「閉店作業中の北階段四階から二階…。
時々聴こえる叩く様な音…です」
酒山の言葉を聞いて、彼の柔和な表情が一瞬引き攣った。わずかに空気がひりついた。
だが、それもほんの一瞬。
直ぐにいつもの飄々とした雰囲気に戻った。
「アレはねぇ…」
興呂木は少し考え込んだ後、ゆっくりと口を開いた
◆
「この商業施設、設立浅いのは知ってる?
まぁ…浅いとは言っても、築15年くらい経ってるけど」
「あ…黒山主任から、その辺りは聞いてます」
新人研修時の説明で、勤務先の簡単な歴史は習う。
「15年前っていうと、何があった?」
「「は…?」」
質問の意味が判らず、酒山と、立ち聞きしていた中神、二人同時に疑問の声を漏らした。
興呂木は直ぐ横で聞き耳を立てていた中神を手招きし、近寄らせる。
三人で固まり、興呂木は小声で話し出した。
「…東日本大震災だよ」
「ああ…」
そう言えばそうですね…と、二人は気の抜けた返事をする。
今大学生である彼等は、当時はまだ小学生か未就学。
ニュースや親からの話として、『大変だった』とはよく聞くが、正直なところ実感は無い。
「実はそれが理由で、このビルの建築中にトラブルが起きてな」
ニヤけ顔を引っ込め、真面目な顔で語り出す興呂木。
二人は同時に首を傾げた。
大震災から繋がる建築トラブル…これらがどの様に建物内の異音と関係するのか、全く想像出来なかった。
興呂木は周囲を気にして、更に声を落とした。
「大震災当時、東北地方にあった建材作ってる会社が軒並み潰れた。主に津波の所為でな。
その所為で建築大不況…ていうのが発生した。
材木だけじゃねぇ。砂や石や鉄にセメント等など。
建築に必要な素材が無くなって、軒並み値上がりしたんだよ…」
「ああ…ウチの親が、家の値段が高くて買えない…なんて嘆いてました。
それが理由だったんですね」
酒山の言葉に、ウンウンと頷く興呂木。
「内装用の建材も建具も手に入らなくて…建築会社の間で奪い合いになったんだ。
材料費が何割…どころか、倍以上に跳ね上がってな…」
少し遠くの方を見つめながら語る興呂木。
不意に見せる彼の真面目な表情が、二人の視線を惹きつける。
「建築会社の連中は真っ青。
契約書通りの金額では、頑張って建てても赤字で潰れちまう。
それを回避する為に奴等、形振り構わなくなってな……」
興呂木の上手い語り口調。
二人は『異音』の件を忘れて聞き入った。
「その当時、建築会社の連中が何度も何度もウチの会社に電話した。
中間金と竣工金の値上げ交渉だな。
向こうさん、既に此処の建築に着手していて、今更手を引くわけにもいかん。
ウチとの間で、相当に険悪ンなったんだよ」
「あ…それが、先程おっしゃっていたトラブル?」
酒山が口を挟む。
「ん〜…。それも一因だわな…」
興呂木は、顎を撫でながら軽く頷いた。
「問題は、二社との間に立って交渉を担当していたウチの女性社員。
長い黒髪に、ぱっちりお目々と白い肌。つまり…美人だな。
愛想の良い子で、社員達に人気があった女性…らしい。
喋りも上手くて、折衝役を任される事も多かった」
興呂木は軽く唾を飲み込んだ。声を落とす。
「…でもさ、建築会社の連中は意外と硬派でな。
加えて、その…結構、アイツら雰囲気怖いだろ?」
声のトーンを変えた。静かに、そして少し、おどろおどろしく。
その語りの巧妙さに、二人は魅入られた。
すっかり夢中になっていた。
「連中も必死だ。
相手が可愛い女性だからといって、加減している余裕も愛想も無かった」
…逆に、そんな大変な時に女性で懐柔しようとしたウチの会社に対して、馬鹿にされてると思ったのか…。神経を逆撫でしたのかもしれねぇ…と、言葉を加えた。
「『値上げしねえなら一蓮托生。どうせ潰れるんだ。全部壊して更地にしてやる!
テメェも一緒に埋まってみるか?
嫌なら、会社の連中の首を縦に振らせて来い!』…と、ヤクザ張りの威圧で彼女を脅したそうだ」
低い声で語る口調はなかなかにリアル。
「半泣きで会社に帰れば、上司からは、『契約書通りに事を収めろ。それ以外の報告は要らん』…と、けんもほろろ」
興呂木は少し哀しそうな顔をしながら、少し声を詰まらせた。
「そのストレスからか…彼女、気が触れたそうでな…。
ある日の深夜、建築途中だった此処の現場で……しちまったんだよ。
お気に入りの『黒いワンピース』を身に着けて…な…」
「「えっ…?」」
小声過ぎて、肝心な言葉が聞き取れなかった。
聞き取れはしなかったが、理解は出来た。
二人は身震いした。
「朝一で発見した建築会社の連中は真っ青。
報告を受けたウチの会社の連中も真っ青」
興呂木の舌は滑らかに動き出す。
クライマックスに向けて、少しづつ声のトーンも上がっていった。
「警察が介入したら大ニュース。
工事も遅れるし、自…した理由も探られる」
二人は固唾をのんで聞き入った。
「当然、全てを彼女に押し付けたウチの会社も叩かれるし、脅した建築会社も叩かれる!」
「「そ…それで…?」」
二人の声が揃う。
「…彼女の身体を隠して、両社は口裏を合わせたのさ。
『彼女は失踪しました』…とな…」
「そんな…!」
酒山の声が上擦った。
「……そうなると…体はどう…やって…?」
中神は訊ねた。
聴きたいが、聴きたくもない。
想像出来るがしたくない。そんな心境で。
「…建築途中だと言ったろ…?
一番簡単な処理方法は…何だと思う?」
「まさか…」
「そう…。想像している通りだ。
『建築途中の壁の中』。
…酒山の言っていた、異音のする階段の……グギャッ!」
突然、ヒキガエルの潰れた様な声が響いた。
興呂木警備員の頭には、報告書を記載する時に使用するバインダーの角が突き刺さっていた。
「痛っっってぇ〜!!」
「新人に下らない事を吹き込んでんじゃねえぞ!興呂木ぃ!!」
黒山警備主任の怒鳴り声が警備室に響き渡った。
「ひっでぇ!!クロちゃん…
角は止めろっ!鼻血出るかと思ったわ!」
「嘘八百吹き込ンでた罰だ!このド阿呆ぅが!」
「…嘘?」
酒山は目を丸くして驚いている。
「嘘に決まってるだろうが!
…此処の建築は大震災の前に終わってる。
そうでなきゃ、営業開始に間に合うわけ無いだろう?」
「「あ……」」
酒山と中神は顔を見合わせ、話の矛盾に気が付いた。
震災が15年前。営業開始が15年前。建築途中ではない。
全て興呂木の作り話。
「それより、もう閉店作業開始時刻を過ぎてる!
はよ行け!!アホ興呂木!
中神君も、阿呆の言ったことは忘れて行ってこい!」
そう言いながら無線を押し付け、黒山警備主任は二人を警備室から蹴り出した。
「酒山君は、今日は深夜勤務じゃない。
だが遅番だから、防災センター内での業務がある。それで今日の仕事は終わりだ。
早く操作盤の使い方を覚えてもらうぞ!」
「はっ…ハイッ!!」
ピリピリした黒山の声音に気圧され、思わず敬礼で応じた酒山。
「よしっ!!
まず、最上階駐車場からの連絡を……」
酒山はポケットからメモを取り出し、黒山の一言一句を書き出す。
警備室の様子を背後に眺めながら、中神は思った。
…ノック音の件…全然解決してねぇ。
クソ…興呂木先輩の所為で無駄な時間を。
しかも、嫌な脚色付けやがって……
彼の頭の中では、『黒いワンピース』と『壁の中』、二つの単語がグルグルと回っていた。




