10. 崖の上の修道院
私たちはガロナの森を北に進みながら月影谷を目指していた。
インプに騙されて寄り道もしたけど、なんとか日暮れまでには森を抜けられそうだ。
森を歩いていると微かに水の音が聴こえてくる。
「なんか水の音が聞こえない? 近くに小川か泉でもあるのかな?」
「水辺があるなら疲れたし休憩しようか。まだ日暮れまでは時間もありそうだし」
「そうだね、冷たい水で足を冷やしたいよ」
水の音を頼りに付近を探してみると、岩陰から泉が湧いているのを見つけた。
手の防具を外して手で水を掬い顔を洗った。
森の湧水は冷たくて気持ちがいい。
私たちは裸足になると、湧水で足を冷やして休憩することにした。
「冷た~い♪ なんか疲れがとれるようで気持ちいいね」
「はう~、朝から歩き続けたから足が棒だよ……」
泉の冷たい水のおかげで少しは体力も回復できた。
空を見上げると、僅かに夕焼け色に近づいているのがわかる。
「今夜はどうしようかな」
私は鞄から地図を出して地面に広げた。
このまま森を抜けても宿屋なんてあるわけないし、野宿をするにしても安全な場所が見つからない。
そういえばレイナが、崖の上に修道院があると言っていたことを思い出した。
「修道院って今でもあるんだよね?」
「聖堂教会が管理していて、今でも修道女たちが生活してるそうだよ」
「修道院なら頼めば一晩くらい泊めてもらえるかな?」
「事情を説明して頼めばね。修道女の人たちは慈悲深いからきっと助けてくれるよ」
谷で野宿するのは嫌だし、このまま月影谷の修道院に向かうことにする。
もしかすると行方不明の子供のことも何かわかるかもしれない。
「そろそろ出発しようか。もうすぐ森を抜けられるはずだよ」
「すぐに修道院が見つかるといいけどね」
私たちは森を歩き続け、日が暮れる前にガロナの森を抜けることができた。
☆☆☆
月影谷に出ると少し歩けば断崖絶壁だ。
崖の上から景色を見渡すと、広大なルピス海が一面に広がっている。
岩肌に波が打ち寄せる音が静かに響き渡っていた。
「潮風に当たると髪がベタつかない?」
「そうだね。髪がパサパサするしゴワゴワになったりもするよ」
「今日はお風呂にも入れないだろうし嫌だな~」
私は髪が長いので、潮風で痛んでベタつくのが嫌いだ。
海風は強く髪が乱れないように手で押さえる。
ふたりで愚痴をこぼしながら、月影谷の山道を登って修道院を目指した。
山道は砂利が多くて歩きにくいけど、緩やかな坂道が続き足への負担は少なかった。
しばらく歩いていると、崖の上に古びた修道院が見えてくる。
「レイナの言ってた修道院ってあの建物じゃない?」
「聞いた通り、本当に崖の上に建ってるね」
少し古いけど石と煉瓦で造られた立派な修道院があった。
修道院の扉は開いており、行商人と見られる若い男性が玄関に立っている。
私が手を振ると向こうも手を振り返してくれた。
「こんにちは、修道院の人はいますか?」
「シスターのこと? ちょっと待ってな、奥で祈りを捧げてるはずだから」
行商人の青年と話していると奥からシスターが出てくる。
銀色の髪と赤い瞳、色白で整った顔立ちをした美しい女性だ。
私は一晩泊めてもらうために事情を説明した。
「森で行方不明の子供を探してたら日が暮れてしまって、よければ今晩泊めていただけませんか?」
「まぁ、それはお困りでしょう。こんなところでよければどうぞ休んでいかれてください」
「ありがとう、シスター」
お礼を言って微笑んでも、シスターは表情ひとつ変えずに淡々としている。
とりあえず私たちは自己紹介をした。
「私は派遣騎士のセラだよ。こっちは仲間で魔女見習いの~」
「レイナと申します。お世話になります」
レイナは魔女の三角帽子を脱いで深々とお辞儀をした。
「これは……ご丁寧に、私はこの修道院でシスターをしているクレアと申します」
「おっと、オレの名前はマルコ、西の町の行商人さ。よろしくな」
「それではどうぞこちらへ」
私たちはクレアさんに案内されて修道院の中に入った。
広間を通って奥の階段を上がって2階に向かう。
(う~ん、気のせいかな……)
レイナがお礼を言ったとき、クレアさんは一瞬だけど嫌そうに顔をしかめた。
もしかすると彼女は魔女が嫌いなのかもしれない。
レイナがそのことに気づいて嫌な思いをしてないといいけど……。
昔はこの大陸にも魔女狩りがあったと聞く。
今では魔法も周知されているけど、昔は呪術を使える者は異端者扱いされていたそうだ。
修道院の2階に上がると、日暮れ前でも廊下は薄暗く、窓には木の板が打ち付けられていた。
そこから夕日が眩しく差し込んでくる。
廊下の壁に掛けられたオイルランプにはまだ火が灯っていない。
「おふたりはこちらの部屋をお使いください」
案内されたのは奥のふたり部屋。
並んで置かれた質素なベッドにぐしゃぐしゃのシーツ。
机の上は本と裁縫道具が散らかっていて、少し前まで誰かが使っていたようだ。
この部屋の窓にも木の板が打ち付けられている。
「全部の窓に木を打ち付けてあるの?」
「えぇ、この辺りは強風が吹き荒れるので、それで窓ガラスが割れないようにと……」
「なるほど、海が近いと風も強いよね」
そのせいで夕方でも部屋はかなり薄暗い。
せっかく部屋から海を眺められるのにちょっと残念だ。
「私は下の主聖堂にいますので、何かあれば呼んでください」
「わかりました」
シスターがドアを閉めて部屋から出ていく。
私たちは床に荷物を置くとベッドに腰を掛けて休憩した。
「ここに泊めてもらえてよかったね。危険な森や崖で野宿なんて嫌だもん」
「そうだね、これで今晩もゆっくり眠れそうだよ」
「この部屋って誰か使ってたのかな? シスター以外に修道女の人が見当たらないけど……」
私は少し不思議に思っていた。
隣の部屋からも下の階からも、小さな物音すら聞こえてこない。
「立派な修道院だし他に誰かいるんじゃないかな?」
「それにしては静かすぎるけどね……」
しばらく休憩しながらふたりで雑談していた。
けれど退屈になってしまい1階に降りて修道院を探検することにした。
☆☆☆
1階の大部屋には大きなテーブルと椅子が並べられている。
行商人の青年が座って商品の確認をしていた。
行商人なら顔が広いだろうし、何か行方不明者の情報がないかと話しかけてみる。
「こんにちは、マルコさんちょっといい?」
「あぁ、マルコでいいよ。ちょうど退屈してたとこだし、お姉さんたちも座って休憩しなよ」
「そうさせてもらうよ。マルコはこの修道院にはよく来るの?」
「毎週ここまで荷物を届けにくるのさ。食料や薬品や素材とかいろいろね」
私は椅子に座ると、広間を見回してから聞いてみた。
「この修道院ってクレアさんしかいないの? 他の修道女さんたちがいないようだけど」
「前はもっと賑やかだったよ。若い修道女も何人かいてさ。みんなやめていったそうだ」
「そっか、それは寂しいね……」
行方不明の子供についても、何か知っていることはないか尋ねてみた。
「行方不明の子供か……可哀想にな。悪いがその子について心当たりはないな」
「そっか。気にしないで、マルコ」
「それより森で何か手に入れなかったか? 珍しい代物なら買い取るぜ」
さすが行商人、ここで商いの話だ。
インプの角はギルドに渡すし、キングローリエはレイナが見つけたものだし……。
たしか悲しみのエキスを鞄に入れたのを思い出した。
鞄から小瓶を取り出してマルコに見せた。
「これはインプが持ってた薬品なんだけど……」
「悲しみのエキスだって? どれどれ、一時的に人間の感情を変化させる妙薬のようだな」
「瓶には魔法が付与されてるから、おそらく本物で効果もあると思うよ」
「うん、これなら50Gだな」
買取金額を聞いたら安すぎて悲しくなってしまう。
マルコと話をしていると、クレアさんが険しい表情をしてこちらに駆け寄ってきた。
そしてエキスの入った小瓶をじっと見つめている。
「この小瓶をどこで手に入れましたか?」
「森でインプを見つけて、そいつを倒したらこの小瓶を落としました」
「倒してしまったのですか?」
「はい。私たちを騙して森の奥に連れて行こうとしたので」
「そうですか……。魔物とはいえ命あるもの。後で私が祈りを捧げておきますので」
「あ、ありがとうございます」
さすが慈悲深き修道女、私は少し感心していた。
魔物の死にすら祈りを捧げるなんて……。
「修道院でこういう話はよくないよね」
「その通りだ。聖職者は殺生を嫌ったりもするからな」
レイナとマルコの言う通りだ。
小瓶のエキスは使わないし邪魔になるから、マルコに安くても買い取ってもらった。
「取引成立だ。さてと、日が暮れるまではまだ時間もあるな」
「暇だから修道院の周りを散歩でもしようかな」
「あたしはレポートを書きたいから部屋に戻ってるね」
「そちらは魔術学院の生徒さん? 学生ってのも大変だよな」
こうしてレイナは部屋に戻ってしまった。
マルコは商品の手入れを始めて忙しそうにしている。
私はすることもなく退屈なので、修道院の周りをひとりで散策することにした。
まだランタンを灯さないと歩けないほど暗くはない。
修道院の周りは殺風景で、葉が落ちて今にも枯れてしまいそうな木がある。
枯れ木のそばには木製の十字架でお墓が建てられていた。
なにか掘り起こされたような跡が見える。
「寂し気なお墓だな。花でも供えてあげたいけど」
さすがに今から森に入るのも危険だし、私はお墓の前で静かに祈りを捧げた。
よく見るとお墓の周りには、なにか小さな実がたくさん落ちている。
「これって野イチゴ? お墓にでも供えてたのかな」
私は野イチゴを丁寧に拾い集めると、お墓の前に並べてお供えした。




