それはですね、最後の確認作業みたいなものが残っているからですよ
「ハルト様は私をヒヤヒヤさせ過ぎです」
リタはそういうとハルトに近づいて手を出した。ハルトは自分に何が起こったのか理解できないまま、辺りを見回していた。
「リタ、オレは、いったい」
「ハルト様は過去の世界に干渉なさったのです」
「そんなことは分かっている。ただ、何でこの場所にいるのかと聞いているんだ」
ハルトはリタの顔を見ると語気を強めて言った。
「時間がきっかり十五分経過したので、この空間に連れ戻されただけですよ」
リタは説明しながら、ハルトの手を取って引っ張り上げた。ハルトはされるがまま、リタによって立たされた。リタは反対の手で契約の時に使ったテーブルとイスの方へ案内した。
「十五分って」
ハルトは案内されたイスに腰掛けると、自分の腕時計を見た。まだストップウォッチ機能のままであったが、デジタル数字が全てゼロを示していた。
「ホントにギリギリでしたね。あと一秒遅れていたら、ハルト様はトラックに引かれてここに戻って来れなかったでしょう」
リタが両手のひらを上に向けて肩を上げて見せた。同時に舌を口から出して、頭を傾けても見せた。その様子を見たハルトは自分が助かったのだと実感した。と同時に、経験したことのない疲労感に襲われた。
「そんなことより、リタ、マユは?マユはどうなったんだ!」
ハルトは、目的であったマユの安否がどうなっているのかリタに問いただした。
「ご安心ください。マユは無事です」
リタは笑顔で答えた。瞳が潤んで、おとなしい口調で話を続けた。
「ハルト様がマユを突き飛ばしたおかげで、マユはトラックとは衝突しませんでした。転倒によるケガはしています。また、目の前でハルト様がトラックに引かれたように思われたのでしょう、突き飛ばされた後、気を失ってしまいました」
リタはハルトに経緯を説明するためにゆっくりと言葉を選びながら話を進める。
「ただ、マユは事故に遭ったのです。死亡事故ではなく、接触事故ではありましたが。ですけど、マユは事故に遭ったので、反省文を書いていたハルト様がその後、事故に遭われることはありませんでした。ケガをし、意識がなかったマユが救急搬送される時に、反省文を書いていたハルト様が現場にいらして、動揺はしていたようでしたが」
リタはハルトの正面に座りながら、淡々と状況を説明している。ハルトもその話に一言も聞きもらすまいと集中して聞いていた。
「それで、マユは病院か。大丈夫なのか?」
「転倒したり、突き飛ばされたりした時のケガをしていますが、命に別条はないみたいです。ただ、事故の時のショックで気を失っているので、今は寝ているみたいですね。この一年間、寝る間も惜しんで動いていらっしゃいましたから、その疲れもあると思うんですが、ホントによく寝ています」
マユの現状を告げるリタは、にこやかに落ち着いた雰囲気で話していた。それは本当にマユが無事であることをハルトに実感させるのに十分であった。リタ自身も一年間の苦労が報われて安堵しているようだった。
「そうか、それは良かった」
ハルトも短い返事だったが、その言葉を言う間にも、胸の奥から湧き出てくる熱い思いを感じながら、目尻より流れ落ちる一筋の涙をぬぐった。
「ところで、リタ。何故オレはここにいるんだ?」
マユの無事を確認したハルトは、自分がなぜこの状況に置かれているのか気になった。契約はすでに結んだので、ここに来ることは二度とないと思っていた。
「それはですね、最後の確認作業みたいなものが残っているからですよ」
リタは声の調子を変えた。ハルトも座りなおして、リタに話しかけた。
「確認作業?また書類にサインでもするのか?」
「いえ、そのような事務手続きではありません。意志確認みたいなものです」
リタはそう言うと、一つ咳払いをしてからハルトに話しかけた。
「ハルト様、マユに対する気持ちをきっちりと整理していただけましたか」
ハルトが思いがけない質問に、答えるのに時間がかかった。すると、リタの顔が時間を増すごとに赤くなってきた。
「マユに対する気持ちって」
まるで自分が恥ずかしい質問を聞かれているかのように赤くなるリタに、ハルトがわざと答えをじらした。顔全体がすっかり赤くなってしまったリタは、頬を膨らませながら、切り出した。
「ハルト様、何度も言わせないでください。マユに対するハルト様の思いは整理できたのかとお伺いしているんです!」
胸の前で両手に作ったこぶしを小刻みに動かしながら、膨れた頬をそのままにリタは話した。
「そんなもの、聞くまでもないだろう?お前はオレの心が読めるんだから」
ハルトはリタの反応を楽しむ余裕があった。
「そうなんですけど、一応、口頭での確認が必要なんです。そこまでが、今回の業務内容なんですよ。ご協力お願いします!」
リタは頭を下げた。ハルトもいざ、言葉を口にしようとすることにためらう気持ちもあった。しかし、あの坂を駆け下りていく時に確認できた自分の意志が間違っていないなら、マユに対する気持ちはこれしかないのだとハルトは考えていた。一つ深呼吸してからハルトは吐く息にのせて自分の思いをリタに告げた。
「オレはマユのことが好きだ」
※ ※ ※ ※ ※
「はい、承りました」
そういうと、リタは右手を胸に当てて、一息ついた。最後の確認作業といっていたから仕事が終わったことに対する安堵感だろうとハルトは思った。
「これで、私の仕事も終わりです。マユとハルト様の件は一件落着となります。運命の使者としての役割を果たせたことになります」
リタは静かに話し始めた。それまでの慌ただしさは一切なかった。
「今回の仕事ほど上手くいくかどうか心配したことはありませんでした」
「オレはそんなに頼りなかったか、リタ?」
ハルトもリタの落ち着いた雰囲気を感じ取って、ゆっくりと話していた。
「正直申しまして、ハルト様に初めて会った時には上手くいくのかと不安でした。しかし、仮契約の時や本契約の時などの決断を迫られた場面で、はっきりとご自身の考えを述べられていたので、徐々に成功するだろうという確信を持つことができました。実際にマユ様を事故から救われる場面でも、自らの意志を再確認されて、身を呈してマユを助けてくださいました。多少無理されている時もあり、運命の使者として、常にヒヤヒヤさせられましたが、マユの友人として、彼女を救っていただいたことに感謝いたします」
リタは頭を下げた。ハルトはテーブルの上に身を乗り出し、腕を伸ばし、リタの肩をそっと掴んだ。
「リタ、感謝しているのはこっちの方だ。お前がいたから、マユはオレを救い、オレはマユを救えた。オレ達二人はお前に頭が上がらないんだ。お礼を言わなくてはいけないのは、オレの方だよ。ホントにありがとう」
そういうと、ハルトは肩に置いた手をそのまま、リタの頭の上に置き、軽く撫でた。
「……」
リタは急にハルトに頭を撫でられた驚いた様子で何も言えなかった。頭を下げたことで表情がハルトからは分からないが、嫌がっている様子はなかった。
「ハ、ハルト様、そろそろよろしいですか?」
上目遣いのリタが、恐る恐る言い出す。リタの様子をうかがっている間、ハルトはずっと頭を撫でていた。
「あぁ、悪い。嫌だったか?」
「いや、そんなことは、ない……というか、何と言うか……気持ちよかったと言えば、そうですし……って人に何を言わせているんですか!」
「オレは別に、何もそんなことを聞いてはいなかったぞ」
ハルトが堂々と答えているのを目にしたリタは、身体が更に縮んでしまったかのように、小さくなってしまった。頬を赤く染め、真っ赤な瞳はハルトをじっと見つめていた。
「まったく、ハルト様は無意識にそんなことをするから、マユが心配するのも無理はないんですよね……」
リタはハルトには聞こえない小声で、自分自身に話しかけるように呟いていた。
「何か言ったか」
「いえ、何にも」
ハルトの問いに呟きを止めて一つ咳払いをすると、スカートのポケットから懐中時計を取り出して時間を確認した。
「ハルト様、そろそろお時間のようですね。これで本当に最後になりますので、一つ私から話しておきたいことがあります」
リタは姿勢を正してハルトの方を見た。
「何だ、急に改まって」
「ハルト様とマユの『運命』についてです」
ハルトはリタの『運命』という言葉に引っ掛かった。が、特に意見することはせず話を聞き続けていた。
「私たち運命の使者の役割は、『事実』の変更を行なう人たちのサポートですが、それとは別に、私たちには『運命』の確実な遂行という使命があるのです」
「『事実』の変更に、『運命』の確実な遂行?また、その話なのか?」
ハルトは以前にリタが話していたことを思い出した。『運命』は変えられないが、『事実』は変えられるという話を、ハルトは頭に思い浮かべながら問いかけた。
「『事実』とか『運命』の区別については以前に話をしたと思いますが、今、ハルト様がお考えになっている区別の仕方で間違いございません。現に、先程、『事実』を変更しましたよね?」
リタは頭を四十五度傾けてハルトに確認した。ハルトもゆっくりと頭を上下に動かして同意した。実際に、マユは事故で命を落とすことはなかった。
「ハルト様、今から私が申し上げるのは、ハルト様とマユの『運命』についてです。今回の一連の世界の選択は二人の『運命』を確実に遂行するための手段だったのです」
「『運命』を遂行するための手段?」
今度はハルトが頭を四十五度傾けて、右手の親指と人差し指をアゴのラインにそって動かしている。
「まぁ、どうして世界の選択ができるのかって話になりますが、あなたたちだけにメリットがあるからといって、『事実』を変更している訳ではないんです。私たちにもメリットがあるから、運命の使者として世界選択の権利を与え、そのサポートをしているのですよ」
リタは腕を組みながら話している。
「私は以前に『運命』は変えられないと申し上げましたが、もっと正確に申し上げるなら、『運命』は変えてはならない、という方が正確なのです。しかし、時には『運命』にもわずかな狂いが生じてしまいます。その狂いを修正する必要があるのです」
リタは組んでいた腕のうち、右腕を前に出し、手のひら上に向け、話に合わせながら上下に小さく揺らした。
「そのための手段として、私たちは『事実』の方を変えることが必要なのです。しかし、それはハルト様やマユのような一定の条件を満たした人間にしか行えないことです。私たちの運命の使者の仕事は、『運命』を確実に遂行するために、あなたたち選ばれた人間のフォローをして『事実』を『運命』に沿った形に変更することなのです」
「なら、オレたちを利用したというのか」
ハルトはリタを睨みつけていた。今までの行動がリタたちに利用されたものだという思いから、ふつふつと怒りが湧いてきたのだ。
「そのような捉え方をされても、私たちに反論することはできません。それで気分が不愉快になられたのなら、謝罪いたします。しかし、世界の選択はあなたにも十分なメリットをもたらしましたよね」
「確かにそうだが……」
自分やマユを命の危険や辛い経験をさせたリタに対してハルトは怒りを感じていた。しかし、それらの困難を乗り越えて最終的には自分とマユは助かることができた。それは世界を選択したからに違いない。
「そして、今回の『運命』はズバリ、ハルト様とマユが結ばれるというものだったのです」
リタは右手の人差し指をピンと立てて得意気に言った。
「リタ、お前、今何て言った?」
「ハルト様とマユは結ばれる運命にあると申し上げましたが、伝わりませんでしたか」
ハルトは自分聞き間違えでないことを確かめると、急に顔を赤くして急に小さく縮んでしまった。リタに対する怒りから恥ずかしさが募ってきたのだった。
「ハルト様、一体どうなさったのですか……。って、ハルト様、まさかマユと『結ばれる』っていう言葉を何か勘違いしてますか?」
「いや、そんなことはないぞ!絶対にない!あるわけない!」
ハルトは必死になって否定した。赤くなった顔を横にそむけながら話を続けた。
「はぁ、これだから女性との交際経験がない殿方はいただけませんね。」
リタは大きなため息をついた。そして、頭を左右に振り、右手を額につけながら話を続けた。
「いいですか、ハルト様。私の言い方もまずかったのでしょうね。もう少し丁寧に言いますと、私が申し上げた『結ばれる』というのは精神的な結びつきのことです。今、私がハルト様に確認したマユに対する気持ちというのは、その確認だったのです」
「精神的な結びつき?」
ハルトの顔は徐々に平常時の色に戻ってきている。
「そうです。ハルト様が心からマユを愛しているか、それが今回の仕事のメインテーマだったのです」
リタはハルトが落ち着きを取り戻しつつあることを確認しながら、ゆっくりとした口調で話を続ける。
「ハルト様とマユは結ばれるという『運命』は定まっていましたが、現状の二人にその可能性はありませんでした。というのもそれぞれにその『運命』を邪魔している障害ともいうべきものがあったのです」
「障害?」
「はい、障害といってもいいものです。まぁ、恋は障害が多いほど盛り上がると人は言うかもしれませんが、あなたたちの場合はそれが二人の心の中にそれぞれあったために、二人とも気づかないまま過ごしていました。このままだと、二人は結ばれないままで終わってしまうという予測が出たのです」
リタは再び腕を組み、話を続ける。
「リタ、その障害ってどんなものだったんだ?」
ハルトは落ち着いて考えることができるようになったので、自分の疑問を素直に聞くことができた。
「まず、マユの場合はハルト様に対する劣等感が最大の障害となっていました。それはあなたが資料で見てきたマユの様子を思い返していただければ分かると思います。マユはずっとハルト様に好意を抱いていました。しかし、それを自分には不相応の恋だと決めつけていました。マユの心の中で常に、自分が相手に対して釣り合っていないという劣等感からそう思っていたのです」
「そんなことはないのに」
ハルトは正直に思ったことがそのまま口から出ていた。
「その通りです。マユのポテンシャルはハルト様と同様かそれ以上だったのです。それはあなたがよく知っているでしょう。確かに、あなたの知っている彼女の頑張りは、最初の世界の選択による改変もありますが、この一年間もものは何一つ改変されていません。その部分だけでも、彼女に秘められていた能力の高さが証明されているでしょう」
リタはまっすぐハルトを見つめながら話している。
「もっとも、マユが劣等感をいだかなくなったのも、世界の選択によるものだと言えます。マユが自分に自信をつけたのは、この一年間の頑張りが大きいのです。もちろん、最初の世界の選択はそのマユの劣等感をなくすことが目的だったので、その意味でも成功したと言えますね」
「だったら、オレの障害はなんだったんだ」
ハルトはリタに質問した。
「ハルト様にあった『運命』の障害は、マユに対する意志の弱さです。マユがハルト様に対して自信をもって接することができても、次の問題はハルト様の鈍感さだったのです」
「鈍感さって……」
言葉を選んでほしいというハルトの願いは聞きいれられることなく、リタは話を続けた。
「今もそうですが、ハルト様は無意識に人の望まれることをなさることがあります。資料で見たのでお分かりかと思いますが、そのことが全面的に活かされたのがあの状態です。周りには自然と人が集まってくるのはそのためです。特に、女性はそのようなことをされると、自然と恋心が湧いてしまうものなのです」
「そ、そういうものなのか」
意識したことのない自分の特性よりも、周りの人間の行動の方がハルトは気になった。
「もちろん、打算的な行動をしていることもありますが、それもまた心から自然と湧きあがってくるものなのです。しかし、誰でも引きつけてしまうハルト様の行動は、既に引きつけられた側からすると厄介なものでしかありません」
リタは間を置いて再び話し始める。
「なぜなら、新たな敵をつくりやすくなるからです。人は自分を慕ってくれる人間からの愛情を独り占めしたくなるものなのです。そして、自然と周りには嫉妬の嵐が渦巻くのです。資料の中にもありましたよね。ハルト様がマユに近づこうとした時、その中を裂こうとした女生徒がいましたよね。あの行動が嫉妬の現れとも言えるのです」
ハルトはあの場面を思い出しながら、話を聞き続けた。
「そのような状況を打開するためには、ハルト様にマユへの思いを再確認してもらうと同時に、マユへの思いをより強くしてほしかったのです。そのために、世界の選択がなされたのです。結果的にハルト様はマユが世界を選択した経緯を知り、そして、自らマユを助けました。そして、先程の意志確認でマユへの思いの強さも確認できました。だから、今、この話をしたのです。ハルト様には、その意図を知り、これからもマユを大切にしてほしいと思ったのです」
話を終えると、一息ついたリタは手で髪をといた。
「だとすると、お前はそのためにオレたちを危険な目に合わせたのか」
「その試練なくしては、『運命』の確実な遂行はありえませんでした。遂行されない『運命』の存在は、認められないのです。確かに、ハルト様やマユには怖い思いを、辛い思いをさせてしまったかもしれません。その点については謝罪いたします。しかし、それによって二人が最高の形で世界を変えることができたのも忘れないでください」
リタは身を前に乗り出して、訴えている。ハルトもマユとともに生き残った『事実』があるので、それ以上反論できなかった。
「ハルト様、どうか今のマユへの思いをこれからも忘れないでください。運命の使者として、マユの友人としてお願いします」
リタはイスを立ち上がると、腰から四十五度曲げて頭を下げた。
「リタ、お前はオレの心が読めるんだろう?なら、そんな質問をする必要があるのか」
「たまには口に出してお願いしておきたいこともあるんですよ。ハルト様」
頭だけを上げてこちらを見るリタはハルトに笑いかけた。笑顔のまま姿勢を戻すと、ポケットから懐中時計を取り出して時間を確認した。
「それでは、本当にお別れの時間ですね。ハルト様、どうかマユのことをよろしくお願いします」
そういうと、リタはハルトに近づいて右手を差し出して来た。ハルトも立ちあがってリタの右手をしっかりと握った。
「あぁ、それがオレの選択だからな。当たり前だろう?」
ハルトはリタに笑いかけながら言った。しっかりとした握手を互いに交わして、手を離すとリタは一つ咳払いをした。
「では」
そういうと、リタは手をポンポンと二回叩いた。
すぐに、ハルトの視界は歪み始めた。空間酔いの症状が出てきたのだ。ぼやける視界と遠くなる意識の中で、ハルトはずっとリタを見つめていた。
「ハルト様、お気をつけて」
リタがそういうと、手を振っていた。ハルトはそれに答える間もなく、意識を失ってしまった。
こうして、ハルトの世界の選択は終了したのだ。




