エピローグ
「ハルト、悪いね。退院の手伝いさせちゃって」
「いいさ、どうせ暇だし」
夏野マユが病院を退院したのは、もう春休みのことだった。事故に遭った時からひと月以上が経過していた。マユのケガは命に別条こそなかったが、何カ所か骨折をしていたために、入院が思いのほか長引いてしまった。
「でも、外が暖かくなっていてよかった」
マユはぐっと背伸びをして、春の空気をできるだけ身体の中に取り込もうとしていた。
「やりすぎると、傷口が痛むぞ……って、ほら、言わんこっちゃない」
マユはハルトの目の前で胸を押さえて痛がった。今日の朝までベットの上で寝いていた正真正銘の病み上がりの身体には答えるようだった。
「いたた……」
「大丈夫か」
ハルトは素早く駆け寄って、マユの背中をさすった。
「ごめん、ハルト。無茶し過ぎた」
「また、病院なんて勘弁してくれよ」
ハルトが笑いかけながら言うと、マユも思わず笑ってしまった。
あの後、ハルトは公園のベンチの上で目が覚めた。辺りを見回すとそこには、木彫りのイスもテーブルもなく、辺りは冬の冷たい風が落ち葉を巻き上げ、ハルトの耳には街の喧騒が聞こえてきた。もちろん、あの青いロングヘアーの運命の使者はいなくなっていた。
ハルトは段々と自分の状況がつかめてくると、すぐさま、病院へ戻った。戻って受付からマユの病室に駆けこむと、緊急手術を終えたばかりで、マユの両親がベットの脇でマユの手を握っていた。マユの母親の安堵した表情から手術が上手くいったことをハルトは知ることができた。
その後、ハルトは面会ができるようになったマユの元をすぐに訪れて、お互いに知っていることを話した。世界の選択やリタのことを確認したかったのだ。だが、ハルトが知れたことはリタがハルトに話したこと以上のことはなかった。マユが知っていることはすでにハルトが資料としてリタから見せられているからといえば、当然ではあるのだが。
「けど、リタって今どうしているんだろうね」
マユはハルトに支えられながら、ゆっくりと歩いている。春風が心地よくハルトの頬を撫でてゆく。
「その後も連絡つかないのか?」
ハルトの問いかけにマユは小さく頷いた。あの事故の後、マユの携帯電話にリタからのメールは一件も来なかった。以前のメールを返信しても、宛先不明ですぐに戻ってきてしまっているそうだ。
「ほら、着いたぞ」
そこは、ハルトやマユがリタと契約を結んだ公園であった。病院の裏にある小さな公園で、春休みの昼過ぎだというのに、遊んでいる子どもたちの姿はなかった。
「おぉ、なんか懐かしい!」
マユは公園の入り口ではしゃいでみせた。この公園に行くことは、退院が近づいた頃にマユから提案されていたことだった。ハルトもあの日以来公園に行っていなかったので、久しぶりであった。
「マユ、ちょっと座ってろ」
ハルトはマユを公園の端にあるベンチに座らせると、公園の外にあった自動販売機で缶コーヒーを二つ買ってきた。早咲きの桜の花が盛りをむかえていた。
「ほら」
「おぉ~!サンキュウ、ハルト!」
マユもいつもの調子が出てきたようで、必要以上にテンションを上げているようだった。ハルトもマユの横に腰を降ろして缶コーヒーを飲み始めた。
「マユ。お前、明日試験なんだろう。勉強は大丈夫なのか?」
ハルトはマユに聞いた。マユは学年末試験期間中、入院していたために留年の可能性があった。しかし、交通事故という状況を学校側も考慮して、特別にマユの退院日の翌日に学年末試験をすることを認めたのだ。
「大丈夫だよ、ハルト先輩!」
「先輩ってな、そんなんで平気なのか?」
ハルトはすでに進級を決めているおり、四月からは三年生に上がることが確実だ。しかし、マユはまだ進級が決定していない。終業式にハルトが面会に行った時に、そのことが話題となり、それ以来、マユがハルトに冗談を言う時にわざと先輩という言葉を使っていた。
「大丈夫だよ、先輩。先輩よりわたし、頭いいから」
「お前な……」
事実を言われてしまっては元も子もない。ハルトはがっくりうなだれて見せた。
「そんなことより、今だけの先輩、後輩関係でやっておきたいことがあるんだよね」
「何だ、急に。あんまりはしゃぐと、また傷口が痛むぞ」
ハルトは缶コーヒーを一気に飲み干して、空き缶をすぐ脇に置いた。
「いいじゃん。今日までの限定の関係なんだよ。今だけなんだよ」
マユはハルトの左腕を掴んで、ハルトの顔を覗き込むように見上げた。
「分かった、分かったから。で、何がやりたいんだよ」
「告白」
「……えっ」
マユの端的な答えに、ハルトは反応するのに、思いのほか時間がかかった。
「マユ、お、お前は、何を、急に、言い出しているんだ」
「だって、告白なんて勇気がいるじゃん!けど、女の子が年上の男性に告白するのって、同年代や年下の男の子にするより、わたし的にはダメージが少なくて済むと思うんだよ」
「そ、そういうものなのか」
ハルトには想像しがたいものだったが、マユは更に熱を込めて話しかけてくる。
「そうだよ!何だか、年上の男性って何でも受け入れてくれる包容力がありそうじゃない?先輩の胸を借りて、ぶつかっていきやすいと思うんだよね!」
「だが、待ってくれ、マユ。オレは確かに三年生になるから、現時点ではマユより先輩かもしれない。しかし、オレとお前は年齢的には同じ年だ。むしろ、お前の方が生まれた日が早いから、年が上な気がするんだけど……」
「細かいことはいいのっ!今は学年的にハルトの方が先輩なんだから!ほら、立って」
ハルトの冷静な指摘は、公園で咲き始めている桜の花びらのように薄いピンク色に頬を染めたマユの前には通じなかった。ベンチの前で立った二人は、お互いに向かい合った。
「ずっと好きでした。付き合ってください!」
・・・はて、どこかで聞いたことあるような?
春風が、二人の間を通り抜けていった。二人が辛い経験をした場所は、二人がその結びつきを強くした場所へと変わろうとしていた。
もうすぐ、新しい季節がやってくるのである。この春風に乗って。
――完――




