幕間・砂時計(ダミアン視点)
「ソフィア嬢とは最近どうなんだよ?」
気のおけない仲間達と友人の家に集まっていたとき、そのうちの一人から突然そんなことを言われた。
平民から貴族の嫡子までごちゃ混ぜの学生時代の友人達で、卒業後は騎士や文官に父の後を継いだりと皆別々の道を歩んでいるが、たまにこうして集まって近況報告をしたり愚痴をこぼし合ったりしている。向こうの方ではすでに酒盛りが始まっていた。
ダミアンはミルクをほんの少しだけ垂らした珈琲を一口飲むと、カップをテーブルに置いた。
「どうって……何が? 特にケンカすることもないし順調だよ。この間も二人で出掛けたし」
「えっ……こ、婚約者とケンカをしない? 今までにも?」
「え? うん。今まで一度もしたことないよ」
正直にそう答えると、友人は「まじかよ意味分かんねえ」と掠れた声を漏らしてローテーブルに突っ伏した。弾みで天板が揺れたので、中身の入ったカップやらワイングラスやらを咄嗟に持ち上げ避難させる。
「こいつ顔合わせる度にやり合ってんだってよ」
「そんなことある?」
「あるから悩んでる……」
「ケンカってどんなことで?」
ダミアンがグラスを元の位置に戻しながら尋ねると、伏していた友人はむくりと起き上がった。
「こないだはまず俺が約束した日にち間違えてて」
「うわ」
「やっちゃったね」
「その日は直接家まで来てくれたから会えたんだけど。その次は待ち合わせ場所間違えてて会えなくて死ぬほどブチ切れられた」
「うーわ」
「それはさすがに……」
庇いきれない、と苦笑しながら珈琲に手を伸ばす。カップに口をつけている間に、友人二人が何やら揉め始めた。
「んで昨日は猫と犬はどっちが可愛いかで言い合いになった」
「くだらなすぎる。そこは普通に犬だよな」
「は? 猫に決まってんだろ」
「あ? やんのか?」
「上等だ表出ろや」
「落ち着けって二人とも」
ヒートアップしていく友人達を止めに入ると、二人は揃ってダミアンの方を向いた。
「そういうダミアンはどうなんだよ」
「犬派か? 犬派だよな?」
「どっちも可愛いと思うよ」
「だめ。どっちか!」
「ええ……しいて言うなら鳥派かな」
「は? 萎えた」
「解散」
「当たり強。じゃなくて、どう考えてもそれはアベルが悪いでしょ」
「それはそう」
もう一人の友人(犬派)と共にそう指摘すると、アベルは「えー」と不満そうな声を上げた。
「気が強すぎんだよあいつ」
「でも好きなんだろ」
返事の代わりにガシガシ頭を掻きながら拗ねたように口を尖らせる。
「……俺のことはいいって。だからどうすればダミアンとこみたいに平和でいられるか知りたいんだよ」
「今の話を聞く限りアベルにしか問題ない気がするんだけど……。相手に悪いことしたなって本気で思ってる?」
犬派の友人はクラッカーをリスみたいに口いっぱいに詰め込んでいたため返事ができず、そうだそうだと頭を縦にぶんぶん振っていた。
「う……反省はしてる」
「本当に? 口だけだとそのうち本気で嫌われるよ」
「それは嫌だ」
「だろ。心から謝って行動で見せるしかないよ。これからは日付も場所も何回も確認して。ていうかもう待ち合わせしないで毎回迎えに行けば? あとそれから、気持ちを伝えることも忘れないこと」
「勉強になります……」
ダミアンはそこでひとつ息をつき、チーズをひとつ摘まんだ。隣でやっと口の中のものを飲み込み終えたらしい犬派の友人が口を挟む。
「そこまで考えてるの偉いよなー。正直どう思ってんの? ソフィア嬢のこと」
そう言われて、婚約者のことを頭に思い浮かべる。いつも笑っていて、でも自分のことを平凡だと思い込んでいてどこか控えめ。本当はとても可愛い女性なのに。
そんな彼女のことをどう思っているのかと言われれば。
「そうだな……ソフィアは僕にはもったいないくらいの女の子だよ。可愛いし明るいし、いつも一生懸命で眩しいくらい。僕が忙しくてあまり頻繁に会ってあげられないから、そこは申し訳ないと思ってる」
「うわ」
「惚気けられた」
「あと『愛してる』って言うと照れて目を逸らすのがすごく可愛い」
「あ、もういいです」
「引っ込めー」
「そっちから聞いておいてひどくない?」
友人達は笑いながらワインをもう一本開けた。ダミアンもつられて笑い、カップに残っていた珈琲を飲み干す。それまで会話に参加していなかった友人達ともワインを注ぎ合い、残りをラッパ飲みしようとした友人を二人がかりで羽交い絞めにして止める。
やれ騎士団の先輩が厳しすぎるだの街外れにある馴染みの酒場で最近可愛い子が働き出しただのと他愛ない話に花を咲かせ、ワインのボトルが数本転がった頃。
犬派の友人が塩漬け肉を齧りながら「そういえばさ」と神妙に語り出した。
「俺の先輩で婚約者がいるのに浮気した人がいるんだよ。本人はうまく隠してたつもりなんだけど結局全部バレちゃって大騒ぎ。仕事すっげえできる人だから尊敬してたけど見る目変わったわ」
「修羅場じゃん。なんでバレたん?」
「浮気相手が婚約者の家に直接殴り込んできたんだってさ。お前らも気をつけろよー」
「そもそもそんなことしねえよ。なあ」
アベルは笑い飛ばしてダミアンの肩をぽんと叩いた。
「もちろん。……会ったこともない人のことを悪く言うのは申し訳ないけど、人として最低なことだと思うよ。婚約者に対する裏切りだ」
「だよなぁ。つーかその先輩って案外お前自身のことなんじゃねえの?」
「俺には婚約者なんかいませーん」
「涙拭けよ。ほらハンカチ」
「ありがとうアベル。うわあすっごいしわくちゃ」
「ずっと尻に敷いてたわ」
「最悪」
べちっと床に捨てられたハンカチを指差してさらに笑う。
卒業して何年経とうとも、顔を合わせた瞬間にあの頃に戻れる友人達にどこか安心しつつ、楽しい時間は過ぎていった。
◆
友人の家から自宅まではほど近い。街灯もない石畳の道を、ダミアンは一人でのんびり歩いて家路についていた。すでに周囲は薄暗くなり人気は少ないが、治安のいい街なので心配はない。
久々にくだらない話で馬鹿みたいに笑った一日だった。鼻歌でも歌ってしまおうかというくらい足取りも軽い。
ふと足を止めて空を見上げれば、白い月がくっきり浮かんでいた。彼女もこの月を見ていればいいのに、と柄にもなく感傷的なことを思う。
(ああ、綺麗だ。次はいつ会えるだろう)
最愛の恋人のことだけを考えながら、彼は再び歩き出す。
(そうだ、この間選んだブローチも喜んでくれるといいな。手紙も出そう。次は君と……コリンヌと一緒に眺めたいって)
可愛い婚約者。最愛の恋人。
それは彼の中で何も矛盾しないし、全てが正しく並立する。
彼は婚約者を傷つけるつもりなど一切ないし、可愛いと本気で考えている。
愛しているのは恋人で、浮気は人間として最低なこと。優しくしてあげたいのは婚約者で、可愛いけれど取り立てて秀でたところなど無い彼女を幸せにしたい人間なんて他に現れないだろう。
だからこそソフィアには自分が必要だし、だからこそコリンヌに「ソフィア様と別れて」と言われると……少しだけ困ってしまう。ソフィアを泣かせたくはないのだ。大切に大切に、真綿で包んで守ってあげたい。この手で幸せにしたいし、いつも笑っていてほしいと思うのだ。
――ダミアン・デミックの思考も行動も何もかも、彼の中では全てが真実で誠実なのである。




