7. こんな夜中に
ダミアンとのデートから帰宅後、夜。
就寝の準備を済ませたメイドが下がった後も、ソフィアはベッドに寝転がったまま中々寝つけないでいた。
目を閉じて眠ろうとすると、考えたくないのに昼間のことが頭の中を勝手にぐるぐる回り出す。ダミアンの態度、急に出てきた従姉妹の存在、そして今度の夜会の件。
どんなに鈍かったとしてもさすがに全てが結びつく。
「本当にコリンヌさんをエスコートするんだとしたら、あの人一体何を考えているのかしら。……案外何も考えてなかったりして」
抱き枕代わりの長細いクッションに頬を埋める。
ダミアンもコリンヌもお互いまだ正式な婚約者がいるままなのだ。まさか、パートナーがいなければ夜会には参加しないだろうとでも考えているのだろうか。
「……まさかね。誰が言う通りになんてするもんですか」
顔をぎゅむっとクッションに押しつけ、もう一度目を瞑る。
起きているからムカムカムカムカして余計に考えてしまうのだ。もう寝てしまおう。一晩経てばきっと少しは冷静になれるだろう。
……。
…………。
………………今日はあれだけのことがあったのに、前回のデートよりもショックは感じなかったな。
それもこれも全て……。
『ソフィ』
「っだめだわ!」
ソフィアはクッションを投げ捨てると毛布を弾き飛ばす勢いで起き上がり、転がり落ちるようにベッドから抜け出した。
もう全然だめだった。目を閉じるとダミアンのことが頭に浮かんできて、どうにかそのいらつきを追いやって頭の中を空っぽにして寝ようとしても、今度はウィリアムの真剣にこちらを見つめる瞳だの低く聞き心地の良い声だの手の感触だのをどうしても思い出してしまって眠れないのである。それを繰り返してもうこれで三度目だった。
「…………お兄様、まだ起きてるかしら」
せめてダミアンのことだけでも聞いてもらえれば気持ちが落ち着くかもしれない。こんな夜中に兄妹とはいえ淑女が男の部屋を訪れるな、と怒られてしまいそうだけど。
ソフィアは上着を羽織ってランタンを持つと、そっと部屋を抜け出した。
◇
「こんな夜中に兄妹とはいえ淑女が男の部屋を訪れるんじゃない」
言われてしまった。
音を立てないように暗い廊下を歩き、ルイの部屋の前までやって来たソフィアは、扉の隙間から光が漏れているのを見つけた。嬉しくなってすぐさまノックをすると驚いた様子のルイが扉を開けてくれて、からのお叱りであった。
普段はひとつに束ねている長い金髪はそのまま下ろされており、読書をしていたのか細いフレームの眼鏡をかけている。その奥の切れ長の目はソフィアをじとーっと睨みつけ、眉間に皺が寄りまくっていた。
「ごめんなさい。どうしても眠れないんです」
「だからって……。……今回だけだぞ」
「いいんですか?」
「今すぐ入らないなら閉める」
「わ、入ります、失礼します!」
本当に閉めようとしたので慌てて中に転がり込む。この兄はやると言ったら本当にやるのだ。
ソフィアが長椅子に座ると紺色のブランケットを手渡してくれたので、広げて膝に掛ける。何か飲むか聞かれたので大丈夫だと答えると、ルイは今日もまた隣に腰を下ろした。
「昼間、何かあったんだな。やはり無理してあの男と会う必要なんてなかったんだ。それをウィルのやつ」
「いえ、やると決めたのは私ですからウィル兄様は悪くありません。むしろ変なことに付き合わせてしまって申し訳ないくらいです」
「そこは全く気にしなくていい」
「え?」
目を瞬かせてルイを見ると、兄はぷいとそっぽを向いてしまった。
どういうことだろうと疑問に思いつつ、ソフィアは昼間起こったことを話し始めた。
「……今日、待ち合わせをして観劇を終えるまではまだよかったんです。でもその後、ダミアンが買いたい物があると言って――」
順を追って彼から受けた仕打ちを説明していく。
案の定、話が進むにつれルイの顔はどんどん険しくなっていった。
「……というわけで、次の夜会へは従姉妹と行くから欠席しろと言われてしまいました」
ウィリアムにされたことの詳細はぼかしつつ、今日の出来事はほとんど伝えることができた。しかしルイは何も言わない。ちろ、と窺い見ると、予想外に兄は穏やかな顔つきをしていた。
「よく分かった。私は急用ができたから、ソフィは部屋に戻ってもう寝なさい」
「お兄様、猟銃はだめですよ」
「分かってる。銃だと首を落とせないからな、長剣にしよう」
「わ、分かってない……! とにかく銃も剣も槍もだめですっ」
「弓は?」
「だめ!」
立ち上がりかけたルイの腕にしがみついて必死に止めると、兄はどうしてだめなんだ? と言わんばかりに困惑した表情のまま渋々座り直した。「血で汚れるのが嫌なんだな」と物騒なことを呟いているのが聞こえたが無視する。
ソフィアはコホンと咳払いをひとつして話を元に戻した。
「もちろん私は欠席するつもりはありません。ですので、当日のエスコートをお兄様にお願いしたいんです」
「それは構わないが、私でいいのか?」
「もちろんです。ご迷惑ならお父様にお願いしますが……」
「そういう意味ではなく……。まあいい、分かった。引き受けよう」
「ありがとうございます!」
一番の心配事がなくなり胸のつかえが下りる。
それでも一部の貴族からは笑い者にされてしまうだろうが、誰からもエスコートされないよりはまだ傷が浅い。
(ウィル兄様にお願いすることも考えたけど、そこまで甘えられないもの)
きっと快く引き受けてくれるだろうが、もしまた昼間みたいなことになったら。あれはダミアンに見せつけるための計画だから、むやみやたらに人前ではやらないだろうけど。でも。
そんなことを考えてきたらまた右手がむずむずしてきたのでぎゅうっと拳を握り、疼きを逃がす。
「ソフィ? どうした」
「あ、いえ……何でもありません」
「? そうか。……ああそういえば、明日またウィルが来ると言っていたな」
「えっ」
ウィリアムのことを考えていたのを見透かされたようでドキッとしたが、どうやらたまたまだったらしい。
ルイは「そうだ」と独り言ちながら立ち上がってベッドの方へ向かった。枕の下から何かを取り出すと、またこちらに戻ってくる。
「ソフィ、これを」
真剣な顔をして差し出してきたのは護身用の短刀だった。飾り気のない実用的なもの。
「ウィルに変なことをされそうになったらひと思いにやれ。ためらうなよ」
「……いりません、お兄様の冗談は物騒です」
「何を言ってるんだ、私は本気だ」
「もっとだめですっ」
きょとんとする兄にとにかく必要ありませんからと突き返す。普段は品行方正で穏やかなのに、この男は妹のことが絡むと途端にネジが外れるのである。
ソフィアに受取拒否された短刀をテーブルへ置くと、ルイはふと眦を下げた。
「少しは気分転換になったか」
右手で頬杖をついて、じっとソフィアを見つめている。
気づけば先ほどまでのもやもやはすっかり軽くなっていた。あの不穏な冗談も、元気づけるために兄が気を遣ってくれたものだったのかもしれない。
「……はい、さっきよりは」
「それなら良かった。……もう遅いな。そろそろ戻って寝た方がいい」
使用人を呼ぶためのベルにルイが手を伸ばすのを制し、「お兄様が送ってくれませんか」とわがままを言ってみる。
彼は仕方ないなと穏やかに笑い、ソフィアを部屋まで送り届けてくれた。
「それじゃあおやすみ。寝坊するなよ」
「ありがとうございました、お兄様。おやすみなさい」
「そうだ、これ」
またしても先ほどの短刀を渡そうとしてきたので、「しつこいです!」と拒否して扉をバタンと閉める。扉の外からはかすかに笑い声が聞こえ、やがて足音が遠ざかっていった。
妹と一応は自分の親友を何だと思っているのだろうか。
ソフィアはランタンの灯りを消し、口だけはぷりぷり怒りながら布団に潜り込んだ。
今度こそ余計なことは考えずにゆっくり眠れそうだった。




