6. 嵐のような
ソフィアが顔を上げると、一目で上質な生地だと分かる服に身を包んだ黒髪の青年がこちらを見下ろしていた。
「ウィル兄様……」
「どうした。あいつに何か言われたのか」
「そういうわけではないんですが、ちょっと……ダミアンと一緒にいるのがきつくて。彼は中にいます」
「へえ、今さらソフィのご機嫌取りか。何かに感づいたかな」
ウィリアムが片眉を上げながら突き飛ばすように言うので思わず笑ってしまう。
ゆるゆる首を横に振って否定する。
「違うんです。私じゃなくて、従姉妹への贈り物だそうですよ」
「は? 従姉妹?」
「はい。誕生日でもなく日頃お世話になっているお礼だとか」
「それで騙せてるつもりなのか。馬鹿にしてるな」
そんな会話を交わしていると扉が開いてカランとベルが鳴り、ブラウンの小さな箱を手にしたダミアンが店から出てきた。
彼はソフィアのすぐ側に立つウィリアムに気づくと、訝しげな表情を向け口を開いた。
「お待たせソフィア。……そちらは?」
「お兄様のご友人のプラディロール様よ。偶然お会いしたの」
「ウィリアム・プラディロールと申します。どうぞよろしく」
「侯爵家の……。そうでしたか、失礼いたしました。デミック伯爵家のダミアンにございます。お会いできて光栄です」
すぐに怪訝さを消し柔和に微笑むと、ダミアンは胸に手を当て頭を軽く下げた。
「ソフィアがプラディロール卿と知り合いだとは思わなかったよ」
「ダミアンに言ってなかったかしら? ウィル兄様には昔から良くしてもらっているの」
「ええ。ソフィがいつもお世話になっています」
ウィリアムはニコと軽薄そうに微笑み、
「私も一度お会いしたかったんですよ。可愛い可愛いソフィを射止めた婚約者殿がどのような方なのか知りたくて」
スッと細めた全く笑ってない目でダミアンを見下ろした。
ダミアンの眉が一瞬だけ顰められたのを、ソフィアは見逃さなかった。
「はは、それは少し怖いですね。お眼鏡にかないましたでしょうか」
「正直に言っても言わなくても失礼になりますからね。おや……、お持ちのそれはソフィへのプレゼントですか? 妬けますね」
「いえ、これは」
「私が選ぶものよりも喜んでもらえるといいですね。ところでソフィ」
「はいっ」
蚊帳の外になりかけていたところに急に話を振られて心臓が飛び跳ねる。
ウィリアムは一転して優しい眼差しでソフィアを見つめた。するりと頬を撫でられ、先ほどとは別の意味で心臓が跳ね上がる。
「ウィ、ウィル兄様?」
「ソフィ、遅くならないうちに帰ってこい。俺のいないところでお前に何かあったら心配だ」
「分かりました、でもあの、近いです……っ」
「それにいつも言っているだろう? 『兄様』はやめろって」
「え、でもウィル兄様は兄様ですし、……!?」
右手に指を絡められ握られる。指と指が擦れ合い、その少し低めの体温に背筋がゾクゾク震えたが、不思議とちっとも不快ではなかった。
「ん? 何だって?」
「う、ウィルに、……ウィル」
「よし。早く帰れよ」
吐息が当たるほどに顔が寄り、こくこく頷くとやっと解放された。
ほーっと胸を撫で下ろす。心臓に悪い。まだドキドキしている。と気を抜いたのも束の間、額にキスを落とされた。
ビャ!と全身の毛を逆立てて固まる。フッと気を抜いたように笑うウィリアムに釘付けになってしまい、ダミアンの反応を観察する余裕なんてまるでなかった。
「邪魔をしてしまいましたね。それでは。ソフィ、またな」
「は……はい、また」
場を引っかき回すだけ引っかき回したウィリアムは機嫌良さそうに去っていった。嵐のようだった。来てくれたのは嬉しかったけれど、まさか、まさかここまでされるとは。
彼の姿が完全に見えなくなると、ダミアンは眉を寄せて息をひとつ吐いた。
「……いつもあんな感じなの? あの人」
「え? ええっと……そう、かも? そうでもないかも?」
「ソフィアの知り合いをあまり悪く言いたくはないけど、婚約者のいる女性にあの距離感だなんて。少し常識が無いのかもしれないね」
(あなたがそれを言う!?)
反射的に「えっ」と短い声が出たが、驚きのあまりそれ以上言葉が出てこない。
確かに婚約者のいる女性に言い寄るなど普通に考えたら非常識ではあるが。ではあるが、だ。
ソフィアが固まっているとダミアンは一段声を低くして歯切れ悪く呟いた。
「それに、プラディロール卿って最近……」
「最近、何?」
「……いや、何でもないよ」
それきり黙り込んでしまい、どうしたのか聞いても言葉を濁された。
その様子にふと気づく。
もしかしたらあの噂はダミアンの耳にまで届いているのかもしれない。それでこんな反応をしているのかも。まだ断定はできないが少しくらいもやもやすればいいのだ。
ウィリアムが去った方向に顔を向ける。
このことを早く伝えたいな、と思った。
◆
噴水広場に戻る頃には、すでに日が傾き始めていた。人の姿ももうまばらで、国王像の肩では鳩が一羽だけで羽根を休ませている。
広場前の大通りにはそれぞれの家の馬車が待機しており、御者たちは談笑しながらそれぞれの主人の帰りを待っていた。
色々あった一日だった。
結局、今日は最後までダミアンと一緒に過ごした。その嬉しさよりも、やっと帰れるというピンと張っていた糸が緩んだような気持ちが先に立つ。
そんな風に考えてしまう時点で、もう彼との関係を続けていくことは難しいのだろう。もちろん続けていく気はないけれど。一応はまだ婚約中なので。
「それじゃあダミアン、今日はありがとう」
「こちらこそ。……ああそうだ、ソフィア」
背を向けて歩き出そうとしたところで呼び止められる。振り向くと、ダミアンが何か言いたそうな顔をして視線を彷徨わせていた。
「どうしたの?」
「今度のヴォルテーヌ侯爵家の夜会なんだけど、君のことをエスコートできなくなってしまったんだ」
「……どういうこと?」
「実は……、従姉妹をエスコートすることになってしまったんだ。断ったんだけど、どうしてもと頼まれてしまって……。だから今回だけ、申し訳ないんだけど君は欠席してくれる?」
「…………は?」
飛び出したのは耳を疑うような言葉だった。
表情だけはしおらしくしているが、もう決定事項だと言わんばかりである。
「ごめんね、そういうことだから。この埋め合わせはまた今度。それじゃあ、また連絡するよ」
「あ、ちょっと!」
詳しく聞こうとする前にダミアンはさっと馬車に乗り込み、そのまま去ってしまった。
「……し、信っじらんない……!」
いつの間にか鳩はどこかへ飛び去っていた。
一人残されたソフィアの震えた声は、噴水の落ちる音に混ざって消えた。




