5. 憂鬱なデート
友人たちとのお茶会の後、ほぼ毎日のようにウィリアムから花が届くようになった。おかげでガーベラだのピオニーだのありとあらゆる花で部屋が埋まりかけており、入りきらない分は屋敷のあちこちに飾ってもらっている。
あの薔薇もまだ枯れることなく綺麗なままで、自室の中で一番風通しのいい場所に飾っている。
101本と7本の、合わせて108本の薔薇。
(〝密かな愛〟に〝これ以上ないほど愛してる〟……ウィル兄様って案外ロマンチストだったのね)
その努力の成果か、「プラディロール家の嫡男はマリーベル伯爵令嬢にご執心のようだ」という噂が社交界で密やかに流れ始めたらしい。
ソフィアのことを悪く言う者は今のところおらず、彼だけが不名誉を被っている。
(本当に大丈夫かしら。……助けられてばかりだわ)
ウィリアムのことも気がかりだが、それ以上に――
「……行きたくない」
ソフィアは鏡を見ながらものすごく浮かない顔をしてため息をついた。
今日はダミアンと出掛ける約束をしているのだ。これまではひと月に一回、多くて二回というペースで会っていたので、前回のデートから半月も経っていないのにもう顔を合わせるだなんて驚異的なペースである。
ウィリアムと立てた計画をより強固なものにするため、不本意ながらソフィアの方から手紙を送った。
いつものように「忙しいからまた今度」と断られるだろうと思っていたが、前回の埋め合わせのつもりなのかあっさり日取りが今日に決まったのだった。
前回のデートの日はもっと早く起き出していそいそと準備をしていた。どんなことを話そうどこへ行こう、おしゃれしたことに気づいて褒めてくれたらいいな、なんて。
けれど今はまるで違う。
なんならベッドに戻って寝ていたいくらいだ。何も知らないメイドが「今日も気合いを入れないといけませんね!」とせっせと髪を梳かしてくれているので申し訳ないが、それほどまでに気が乗らない。
髪の毛を一房指にくるくる巻き付ける。
(……ウィル兄様、本当に来てくれるかしら)
ダミアンと会う日が決まったら教えてくれと言われていたので、彼との約束が決まったその日のうちに手紙を送ったのだが読んでくれただろうか。
必要最低限の身だしなみを整えていけばいいかなと思いかけていたが、やっぱりお気に入りのドレスを着ていこうと思い直した。
◆
「やあソフィア、今日も綺麗だね。前に贈ったブローチもつけてきてくれたんだ。すごく嬉しいよ」
「……ありがとうダミアン。あなたも素敵よ」
「ありがとう。ソフィアに見合う男になれてるといいんだけど」
あの噴水広場で待ち合わせ、緊張しながら彼を待っていると。
約束の時間から少しだけ遅れて伯爵家の紋章が入った馬車がやってきた。馬車から降りてきたダミアンは、ソフィアと目が合うとふわりと王子様のように微笑んで片手を上げた。彼のサラサラの淡い茶髪が、太陽の光を浴びてきらめいている。
(何も知らないふりをしないと。いつも通り、いつも通り……)
彼の浮気に気づいていると、気づかれてはいけない。
ダミアンは不気味なほどにいつも通りだった。あの日見た光景は白昼夢だったのではと思ってしまうほどに。けれど以前は帰り道に何度も思い返してしまうくらい嬉しかった褒め言葉も、今はどこか上滑りして聞こえた。
「この間話してた演劇のチケットを用意してあるんだ。行こう」
「ええ、楽しみだわ」
頬が引きつりそうになりながら、ソフィアは彼の半歩後ろを歩き始めた。
◇
「面白かったね。ソフィアはどこが一番印象に残った?」
「色々あったけど、そうね……特に第二幕のところかしら。まさかヒロインが地底から現れるなんて思わなくて感動しちゃった」
「あれは驚いた。それから第三幕の巨大鳥が氷の城を砕いて――」
劇場から出た二人は感想を言い合いながら大通りを散策していた。
劇の内容は笑いあり涙ありのトンデモラブロマンスで、最後は主人公と相手役が結ばれない悲恋ものだった。
相手役が他の人に心惹かれていくシーンもあり、すれ違いが増えていく主人公に自分を重ねて涙が込み上げてきたがなんとか耐えた。ついていけない展開が多いけどそれ以上に感動するという評判通りだった。ついていけないというか、生き急いでいるというか。
とにかく気分転換には最適で、今は変に意識することなくダミアンとも会話できている。
ああだこうだと駄弁りながら大きな犬のぬいぐるみが飾ってあるおもちゃ屋の前まで来たとき、ダミアンが不意に足を止めた。
「そうだ、買いたい物があるんだった。行ってもいい?」
「ええ。何を買うの?」
「ちょっとね。こっち」
ダミアンは迷いなく目抜き通りを進んでいく。もちろん手を繋ぐことはない。彼の半歩後ろを歩きながら、ふとショーウィンドウに映る自分の姿が目に入った。なんだか冴えない顔をして、婚約者とのデートの最中だとは到底思えない。
(いけないいけない。……でも、今日は最後まで一緒にいるつもりなのかしら)
また中断してコリンヌに会いに行ったりするのだろうか。
もしそうするつもりなら、早く言ってくれないかしら。それなら早く帰れるし。
(……ウィル兄様も来るか分からないし)
そこまで考えて、ダミアン相手とはいえさすがに失礼だと反省する。
今日何度目かのため息をつきながら、彼の後をのろのろ追った。
着いたところは宝飾店だった。
色鮮やかな宝石のついたネックレスやイヤリングが、ガラスの窓越しにきらめいている。
「今度、従姉妹に会うんだ。だからプレゼントを用意したくて」
「そうなのね。お誕生日とか?」
「そういうわけじゃないけど、色々とお世話になってるからそのお礼にね」
ダミアンが扉を引くと、取りつけられていたベルが揺れてカランと軽い音を立てた。どうぞと視線で促され、「ありがとう」と言いながら先に店内へ足を踏み入れる。
「素敵……」
中にはずらりとジュエリーが並んでいた。庶民でも頑張ればなんとか手が届きそうなものから値札の無いもの――なお商品のほとんどが後者である――まで、眩しいくらいだった。
普段はあまり派手な宝石はつけないが見るのは好きだ。ソフィアは目移りしながらひとつひとつ眺めていった。
しばらく夢中になっていたが、ふと話し声が聞こえてきてそちらに目を向ける。
カウンターではダミアンが店主に商品を見せてもらっているところだった。
「お連れ様にはこちらのペリドットをあしらったお品がよくお似合いになるかと」
「いや、とりあえず薄紅色のものを見せてくれ。形も別の方がいいな」
「かしこまりました。こちらなどいかがでしょう」
従姉妹。薄紅色の宝石が似合う、お世話になっている従姉妹。……本当に従姉妹なのだろうか。こうなってくると彼の言動の全てが怪しく思えてしまう。
それに、もしそれが本当だとしても。
(私は誕生日以外に贈り物してもらったこと、ないのにな)
別に高いものが欲しいわけじゃないけど。
もっと言えばプレゼントが欲しいわけでもないけど。
でも、上手く言えないけれど……婚約者でもないただの従姉妹には普段から贈り物をするのね、とは思ってしまう。
きっと、私も欲しいと言えば彼は快くプレゼントしてくれる。でもそういうことじゃない。この際、本当か嘘かはどうでもいい。
扱いに差があるような気がして。
そしてそれは、多分正しい。
喉の奥が苦々しくなり、店内にいるのが息苦しくなってくる。耐えきれずに未だ品物を選んでいるダミアンに声を掛け、ソフィアは先に外へ出た。
扉のすぐ横に立ち、そこでやっと無意識に止めていた息を吐き出す。
(私、こんなところで何してるんだろう。……せっかくお店は素敵だったのに)
空は嫌になるほど晴れていて、道行く人は誰も彼も皆幸せそうに見えて、自分だけが傷をほじくり返すような真似をしてうじうじしている。そんな気分だった。
今日は私が体調不良だと偽って帰ってしまおうかなと思った、そのとき。
「ソフィ? 一人なのか。あいつは?」
俯いて白い石畳をぼんやり眺めていたところに、頭上から声が降ってきた。




