4. 薔薇の花束
ダミアンの裏切りが発覚した日から一週間経った。
ウィリアムとルイと三人で話し合ったその夜、ソフィアは兄同席の元で両親に事情を打ち明けた。
初めは「あんな好青年がまさか」と半信半疑だった両親も、ソフィアが詳細を話し終える頃にはすっかり言葉を失っていた。
父は「うちの娘に何ということを」と顔色をどす黒くし、母は「だからここ数日様子がおかしかったのね」とほろほろ泣いた。
現時点ではソフィアの目撃証言しかないため、正式な婚約解消についての書状は念のため裏を取ってから送ることとなった。今は父の側近が証拠集めをしている最中だ。
なお、やはり浮気相手はウィリアムの弟の婚約者、コリンヌ・ポティエ男爵令嬢で間違いないということだった。マリーベル伯爵家とプラディロール侯爵家の両家で協力して動いているらしい。
そんな中ソフィアはというと、
「ねえソフィア、どうしたら婚約者と円満でいられるの?」
「またケンカしたの?」
「した。ソフィアたち、ケンカしたことないって言ってたじゃない。仲が良くて羨ましい……」
「デミック様でしたよね。どんな方なんですか?」
「格好良くてスマートな方よね。パーティで何度かお会いしたことがあるわ」
「あはは……そう、かしら……?」
自宅のお茶会に招いた令嬢達から気まずい話題を振られていた。
伯爵邸のサロンに設置された白い丸テーブルの上に、ティーセットやお菓子の乗ったティースタンドが並んでいる。
それを囲んでいるのはソフィアと三人の友人たち。黒髪ロングの侯爵令嬢にポニーテールの伯爵令嬢、ふわふわのプラチナブロンドの子爵令嬢だ。爵位はバラバラだが、しばしばこうして互いの家に招いてお茶会という名の女子会をするくらいには仲が良い。
外はあいにくの曇り空だったが、三人は分厚い雲など消し飛ばしそうなほどきゃいきゃい盛り上がっていた。
「今度は何があったの? この間は予定をすっぽかされたって言ってたわよね」
「街の東側にある劇場で待ち合わせしてたのよ。なのに、あの人別の劇場に行ってたの。信じられる!? 向こうから誘ってくれたのに」
「ちょっとひどすぎますね……」
「でしょ。もう本当に腹立つ。デミック様はそんなことしないでしょ?」
「え、ええ。そういったことはしないかな」
「そうよね。いいなぁ……」
ポニテ令嬢は頬杖をついて大げさなくらい大きなため息をついた。ソフィアは紅茶を一口だけ飲み、ティーカップをソーサーに置いた。わずかにさざ波だつ紅茶に視線を落とす。
そして意を決して切り出した。
「……あのね、ここだけの話にしてほしいんだけど……、ダミアンとこの先どうなるか分からないの」
テーブルの上に重ねて置いていた手に力が入る。三人の視線が一斉にこちらに向き、そのうちの一人、黒髪ロングの令嬢が「どういうこと?」と聞いた。
「まだ詳しいことは言えないんだけど、彼が他の女性と親しくしてるようなの」
「はあ? 浮気してるってこと?」
頬杖をやめたポニテ令嬢が間髪入れずに鋭く返す。
「そうだとしたら最低ね。さっき褒めたことは撤回するわ」
「何かの間違い……なんてこと、ないですよね」
ふわふわブロンドの令嬢が気遣わしげにこちらを見やる。そうだったら良かったんだけど、とソフィアは肩を竦めた。
「彼が他の女性を抱きしめて『愛してる』って言ってるところを見ちゃったの。それと、……『ソフィアから自分を取ったら何も残らない』とか、他にも色々言っていたのを聞いてしまって」
「何様のつもり? 気持ち悪」
「人間として無理。思えば元々胡散臭い人だったわね」
「処刑しましょう」
光の速さで手のひらをひっくり返す友人たちに思わず笑ってしまう。しかも一人は兄と気が合いそうだし。
「そういうわけで今詳しく調べてもらっているところなの。皆には先に報告しておこうと思って……お祝いしてくれたのに、こんなことになってごめんね」
「そんな、謝らないでください。ソフィア様は何も悪くありませんよ」
「そうよ。むしろ私こそごめんなさい、そんな大変なことになってるとは知らずに羨ましいだなんて無神経なことを」
謝罪合戦が始まりそうになったところを、向かい側に座っていた黒髪ロング令嬢のぼやきが遮った。
「それにしてもデミック様には幻滅したわ、人は見かけによらないのね。王子様みたいな人なんていないのかも」
そうねえ、とポニテ令嬢が続く。
「本物の王子様はいるけれど」
「王子様“みたいな”人がいいんですよね」
「例えばどんな人?」
ソフィアは小首を傾けて尋ねた。
三人は顔を見合わせてから次々に理想を口にする。
「一途にずーっと私のことを想ってくれてて」
「優しくて誠実で、でも自分の前だけでは違う面を見せてくれる人……でしょうか」
「口だけじゃなくて態度で表してほしいわね。いくら『次は気をつける』って謝られても、同じことを繰り返してちゃ意味ないもの」
「なるほど……」
少なくともダミアンは全く当てはまらない。そんな人がいればいいのにねと盛り上がっていると、ノックとほぼ同時に扉が開く音がして、誰かがサロンに入ってきた。
「ソフィ、ここにいたのか」
「ウィル兄様!?」
ガタッと音を立てて立ち上がり、ちょっとごめんねと断ってからウィリアムの元まで駆け寄る。
「ごめんなさい、今日お兄様は朝から出掛けてるんです」
「知ってる。ソフィに会いに来たんだ」
「私に?」
またしても真っ赤な薔薇の花束を手渡される。といっても本数は先日のものより大分控えめだ。彼の意図を読み取り、ごく、と息を飲む。
「ありがとう、ございます。えっと……き、昨日もお会いしたのに。お兄様とのお約束の帰り際に少しだけ、でしたけど」
会っていない。精一杯のアドリブである。声がひっくり返らなかっただけ褒めてもらいたい。
「毎日でも会いたいんだよ。あとこれもお土産、最近流行ってるって聞いたから」
さらりと即興劇に乗りながら彼が差し出してきたのは、街で人気の焼き菓子店のロゴが捺された紙袋だった。中身は出来立てらしく、袋の底がまだ温かい。
「二人で食べようと思ったんだけどよかったら皆さんでどうぞ。邪魔をしてしまい申し訳ありませんでした、失礼します」
普段の飄々とした態度はどこへやら。
猫を100匹くらいかぶったウィリアムは、目を丸くしてこちらを見守っている三人に向けて軽く会釈をするとソフィアに向き直った。
「また来るな。……次は二人で会えるときに」
「え、あ、はい。また……っ!?」
軽くソフィアを抱き寄せ、髪に指を滑らせるとそのまま毛先にキスを落とし。再び三人に会釈をして出ていった。
途端に力が抜けて崩れ落ちそうになったが、胸のあたりを押さえてなんとか踏ん張る。
(し、心臓に悪いわ……っ。今のは演技、演技演技演技)
たしかにこの間、お茶会の日取りを聞かれた。けれどまさかこんな風にやって来るとは思わなかった。最後のハグだってそうだ。演技だと分かっていても人前、それも友達の前でされると緊張してしまう。
「……ごめんなさい。何の話だったかしら」
深呼吸して気持ちを落ち着かせ、全力で平静を装って席に戻ると、当たり前に友人たちから質問攻めにあった。
「ちょっとソフィア今の何!?」
「プラディロール侯爵家のウィリアム様ですよね? どういうご関係なんですか?」
「ウィル兄……ウィリアム様はお兄様のお友達で、昔から私のことも何かと気にかけて頂いてるの」
三人は無言で顔を見合わせて、頷いたり首を横に振ったりした。
「本当にそうなの?」
黒髪ロング令嬢が頬に手を当て、花束とソフィアの顔を見比べる。
ドキッとしつつ素知らぬふりをして、「どういうこと?」と聞き返す。
「どう見ても『友人の妹』に対する態度ではなかったと思うけれど。それにその薔薇だって」
「薔薇って本数によって意味が変わるんですよね。1本なら〝あなただけ〟、3本なら〝愛しています〟のように」
「何本あるの? ……7本? それだと確か……」
「〝密かな愛〟ですね! きっとプラディロール様はソフィア様のことがお好きなんですよ。でも気持ちを伝えられない間に他の方と婚約してしまった。けれど諦めきれなくて密かに思い続けていて、こうして端々から気持ちが滲み出てしまって――」
「はいはい落ち着いて。でもあながち間違ってないのかも」
「もしそうならさっき話していた通りの方よね」
「いいなあ、私もそんなふうに愛されてみたい」
もはやソフィアそっちのけで盛り上がり始めた三人にちくちく胸が痛む。もちろん今のやり取りは全て演技であり、ウィリアムにとっての自分はどこまで行っても『友人の妹』だろう。そもそも自身の評判を落としかねないところまで協力してくれているのは彼の家にも関わる問題だからであって、そうでなければここまで力になってくれることはなかったに違いない。
「ねえソフィア、クズ男とはさっさと婚約破棄してプラディロール様に乗り換えちゃえば?」
「ちょっと、さすがにプラディロール様に失礼よ。同感だけど」
「私、お二人にとって良い結果になるよう応援してますね!」
「あはは……皆、ありがとう」
まさか真相を話すわけにもいかず。目をキラキラ輝かせる友人たちに、曖昧に笑うことしかできなかった。
◇
その後もしばらく悩みを聞いてもらったり噂話を教えてもらったりしてひとしきり楽しみ、お茶会はお開きとなった。
ソフィアも席を立ち三人を玄関まで見送る。外ではすでにそれぞれの家の馬車が待機しているようだった。
「お邪魔しました、とても楽しかったです」
「ソフィア、何か困ったことがあったらすぐ言ってね」
「ありがとう」
ふわふわブロンド令嬢が優雅に頭を下げ、ポニテ令嬢が手を振って出て行く。ソフィアが手を振り返していると、黒髪ロングの侯爵令嬢――レベッカ・ヴォルテーヌがこそっと耳打ちしてきた。
「ソフィア、先日お返事を頂いた今度の夜会の件なのだけれど……もし難しいようなら直前でも断ってくれて構わないから。もちろん当日会えるなら嬉しいけど、無理しないでちょうだいね」
「あ……!」
半月ほど前、こんなことになるとはつゆ知らずにまだ平和だった頃。レベッカから夜会の招待を受け、出席で返事をしていたのだ。色々ありすぎてすっかり忘れていた。
「……なるべく迷惑は掛けないようにするわ。お気遣いありがとう」
「プラディロール様と一緒に来てくれても構わないわよ?」
「だから彼とはそういうんじゃないってば」
「ふふ、どうかしら。じゃあまたね」
いたずらっぽく微笑んで、レベッカも帰っていった。
一人になった途端に気持ちがどんより重くなる。振っていた手の指を無意識に握り込んでいた。
(……どうしよう。できれば参加したいけど)
もしその頃までに決着がついていなければ彼と。もし婚約解消されていれば兄や父にエスコートをしてもらうしかない。周囲からどんな目で見られるか、想像するだけで頭が痛くなる。
悩みのタネがひとつ増えてしまったことに、ソフィアは肩をしょんぼり落とすのだった。




