3. 落ち着いてくださいお兄様
「ソフィ、ずっと黙っていたが昔からお前のことだけが好きだったんだ」
「わあ……」
翌日、宣言通りウィリアムはまたマリーベル家にやって来た。真っ赤な薔薇の大きな花束を持って、正装までして。
玄関で彼を出迎えてすぐに目の前が薔薇になり、ついていけずに固まっていると熱烈に告白された。
「……何本あるんですか? これ」
「101本」
「ひゃくっ!?」
ウィリアムは執事に花束を渡すと、ソフィアの右手を両手で包み込んだ。
手の甲を親指が撫でていく。
切れ長の目でじっと見つめられると、演技だと分かっているはずなのに胸がドキドキしてしまう。
「昨日の話を聞いて居ても立ってもいられなくなったんだ。俺なら決してソフィを傷つけたりなんかしない。どうか俺にチャンスをくれないか」
「え、あ、ちょ、ちょっと待ってウィル兄様、」
「兄様だなんて。どうか俺のことはウィルと」
「やりすぎだ」
「痛えっ」
「お兄様!?」
そのまま右手の甲に口づけられ――そうになったところでポコンと小気味いい音が響いた。
頭を押さえるウィリアムの後ろに、長く淡い金髪を一つに結んだ兄が不機嫌そうな顔をして、丸めた紙の束を持って立っていた。
「大丈夫かソフィ、こいつに変なことされなかったか? こっちにおいで」
「何するんだよルイ」
「こっちのセリフだ。人の妹に何してるんだ」
「お兄様違うんです、これは私がウィル兄様にお願いしたことで」
「そうそう。ソフィのために必要なことなんだよ」
二人で必死になって言い訳のような説明をするが一向に伝わりそうにない。
ルイはため息をつき、組んでいた腕を解いた。
「詳しいことは私の部屋で聞く。誰か、茶の用意を三人分頼む」
◇
「――殺そう」
「落ち着いてくださいお兄様」
「落ち着いていられるか。大体私は最初からあの男が気に食わなかったんだ。ウィル、確実に仕留めるぞ。私は猟銃を持っていく」
「もちろん。それなら俺は短剣を」
「そんな待って、ウィル兄様も同意してないで止めてくださいっ」
「え? でも俺も同じ気持ちだし……大丈夫、ソフィの分も残しておくから」
「な、何も大丈夫じゃない……!」
何が起こっているかといえば。
三人はルイの部屋に移動し、長椅子にルイとソフィアが、向かい側の一人掛けにウィリアムが座った。ちなみにウィリアムは「ソフィの隣が良い」とごねたがルイに無視された。
ルイの部屋は殺風景で必要最低限のものしかなく、この椅子も彫刻など何もない簡素な革張りのものだ。勲章やらトロフィーやらが申し訳程度に、部屋の片隅にまとめて飾られている。
人数分の紅茶と菓子が並べられてメイドが壁際に下がったところで、何があったかをソフィアから説明した。
昨日ほどは言葉が詰まらずに話せたが、それでもやはりダミアン達に言われたことを口にするとそれが刃となって胸に刺さる。
そもそも。体調不良ということすら嘘で、最初から彼女と会うつもりだったのだ。なんてひどい人なのと彼を責める気持ちと、それを見抜けなかった自分の愚かしさを責め立てる気持ちとが心の中でせめぎ合う。
そうして話し終えたあと、黙ってソフィアの話を一通り聞いたルイの第一声はシンプルに殺意だった。冗談かと思いきや目が本気で据わっていたので、ソフィアはお兄様が犯罪者になってしまう! と青ざめたのである。
「わ、私なら大丈夫です。ウィル兄様もダミアンへの仕返しを手伝ってくれると言ってくれましたし」
「仕返しといってもな。ソフィに迫るふりをするって、ふりも何もお前……」
ルイがウィリアムに視線を向けると、ウィリアムは「それ以上言うな」とばかりに顔の前で手をブンブン横に振った。
呆れ混じりにため息をついたルイはソフィアの髪を撫でる。何のことかさっぱり分からずソフィアはきょとんとして二人を交互に見た。一体何の話だろうか。
「……何でもないから気にしなくていい。それよりソフィ、父上と母上にはもう話したのか?」
「まだです。どうしてもお二人を心配させないような伝え方が考えつかなくて」
「心配させないというのは難しいだろうな。でも婚約解消、いや破棄するなら早く伝えたほうがいい。言いにくいなら私から話そうか」
妹を気遣う兄の眼差し。ウィリアムの方をそっと見やれば、彼も同じような瞳でこちらを見ていた。
そうだ。魅力がないだの誰からも相手にされないだのとあの二人に言われたところで、本当に自分の価値がなくなったわけではないのだ。
なんだか胸のあたりがくすぐったくなるのを感じながらソフィアは微笑んだ。
「ありがとうございます、お兄様。でも私が自分でお話しします。自分のことですので」
そうか、と呟きながらもう一度ルイは妹の髪を撫でた。
「無理はするなよ」
「大丈夫……あ、いえ。分かりました」
昨日のウィリアムの言葉を思い出して彼を一瞥すると、ニカッと笑って頷いていた。これで良かったらしい。
「ポティエ嬢の方はどうするんだ?」
「そっちはそっちで動いてる。テオのやつ相当落ち込んでたよ。ベタ惚れだったからな。まあ実際に現場を見たわけじゃないから信じられないって気持ちの方がデカそうだけど」
「無理もないな」
「ただ親父たちは元々反対してたから内心喜んでる。さすがに態度には出してないけど」
そのとき、控えめなノックの音と共に「ルイ様、お時間でございます」という声がした。
ルイは置時計の時刻を確認してから、
「ああ、もうそんな時間か。では私は予定があるからそろそろ出掛ける。二人はまだ話し合うようならこのままこの部屋を使っていいが……ウィル」
「うん?」
「計画の概要は分かったがソフィに必要以上に近づくなよ。忌々しいがまだアレと婚約中の身だ。そもそもその前に私の大切な妹だ。変なことをしたらどうなるか分かって――」
「はいはい分かったからもう行けよ」
「真面目に聞け」
「聞いてますともお義兄様」
「誰がお義兄様だ」
「お、お兄様、お時間は大丈夫なんですか? それにウィル兄様なら何も心配ありませんよ。とても優しいって昔からよく知ってますから」
言い争いを始めた二人に割って入ると、二人は顔を見合わせてから、ウィリアムはため息をつき額に手を当てルイは口端を上げて肩を震わせた。
なぜそんな反応をされたのか分からずソフィアは首を傾げる。
「どうしたんですか? 二人とも」
「ふ……いや、何でもない。ソフィの信頼を裏切るなよウィル」
「分かってるよ」
ウィリアムがふてくされたように手をシッシッと払う。ルイはソフィアの頭を撫でてから部屋を出て行った。
しん、と急に部屋の中が静かになる。
何を言おうか迷っていると、ウィリアムが先に口を開いた。
「お兄様は頭が固くて困るな」
「ふふ、自慢の兄です」
「知ってる。話を戻すぞ、近々茶会に参加する予定はあるか?」
「ちょうど今週、樹の日にうちで開く予定ですけど……参加ご希望ですか?」
「違う。四日後だな、分かった」
何が分かったんだろうと不思議に思っていると、そんなソフィアに気づく様子もなく彼はクッキーを適当にひとつ摘んで一口で食べた。それを流し込むように紅茶に口をつける。
ソフィアはじっと動かずにウィリアムを見つめ、部屋の中に再び沈黙が降りた。
「ソフィ、そっちへ行っていいか?」
返事をする前に彼は立ち上がり、ソフィアの隣にあまり間を空けずに座った。肩が触れるか触れないかという距離。隣を見上げれば昨日よりもすぐ近くにウィリアムの顔があった。
「さっきのお兄様との話、どういうことだったんですか? 私何か失礼なこと言ってしまいましたか?」
「俺が意気地無しって話。ソフィは何も悪くない」
「ウィル兄様は意気地無しなんかじゃありません」
きっぱり言い返すと、ウィリアムは目を眇めた。
「いい子だなソフィは」
髪を一房すくい上げ、そのままキスを落とされる。
ただそれだけのことなのに、髪にキスされるなんてダミアンにも何度となくされていることなのに、なぜだかやたらと大きく心臓が跳ねた。
「……演技なら、二人のときにする必要はないんじゃありませんか?」
「いざってときに俺が恥ずかしがったら意味ないだろ? 練習だよ」
「なるほど……?」
そういうものだろうか。確かに、ダミアンがいる前で怖気づいてしまったら困るし。慣れないことをされて恥ずかしいけど、私のためにやってくれていることだし。こちらがお願いしている立場なのだ。そういうものかもしれない。
ソフィアはそう自分に言い聞かせ、よし、と胸の前で両手の拳を握り小さく気合いを入れた。
「分かりました。本番で弱気にならないためにたくさん練習しましょう」
キリ!としてそう応えると、ウィリアムは脱力したように笑った。
「はあ。いい加減心配になるわ」
「どういうことですか?」
「お前が可愛すぎるって話」
「ウィル兄様、真面目に答えてください」
「はは、兄妹で同じようなこと言ってる」
ウィリアムはソフィアの頭をぐしゃぐしゃと撫でた。「やめてください」と両手でガードすると、彼は「ごめんごめん」と悪びれもせず笑った。
ボサボサになった髪を手櫛で整え、何とはなしに一房すくい取り、はらはら落ちてゆく髪の毛を眺める。
「それに私別に可愛くなんてないです。可愛いっていうのは、もっと……」
華奢で声も甘くて表情がころころ変わって、思わず守りたくなるような。リボンとレース、お砂糖にキャンディに花びら、そんな素敵なものばかりが詰まった女の子。そう、あの日、彼の腕の中にいた彼女のような……。
きゅ、と唇を軽く噛む。嫌なことを思い出してしまった。
「何言ってんだよ。ソフィは可愛いだろ」
「……え」
「少なくとも俺にとっては世界一可愛い。ルイもそうだろうな。だからもっと自信持て。これ食って元気出しな」
「んむ」
ウィリアムは当然のようにさらりと言ってのけ、ジャムクッキーを口に押し込んできた。ひとつ飲み込むともうひとつ、さらにもうひとつと、ヒナに餌を与える親鳥のように。もぐもぐゆっくり咀嚼して飲み込む。ラズベリーの甘酸っぱさが沁みた。
「ウィル兄様って」
「ん?」
「……何でもありません」
誰にでもこんなに優しいんですか、とはどうしてだか聞けなかった。




