12. 悪役は誰?
「やっぱりプラディロール卿と浮気してたんだな。さっきも一緒にいるところを見たよ。おかしいと思ってたんだ……」
何言ってんだこいつ。
(やだ、言葉遣いがひどすぎたわ。声に出てなくてよかった)
ソフィアは咄嗟に口を押さえた。万が一今の言葉を誰かに聞かれていたら淑女大失格の大失態である。すでに顔に出てしまっているような気もするが。
ちろ、と隣に視線をやるとレベッカも眉を顰めて似たような顔をしていた。
悲痛な眼差しをぶつけてくるダミアンに向き直る。
「人聞きの悪いこと言わないで。困っていたところを見兼ねたウィリアム様がエスコートを申し出てくれたのよ」
「だからってそれを受けるなんて」
「何がだめなの。そもそもあなたに責める資格なんてあると思う?」
「君は僕の婚約者だろう。それに彼は君に言い寄っているそうじゃないか。僕という婚約者がありながらそんな節操のない男と一緒にいるなんて……まさか君に裏切られるだなんて思わなかった」
「ちょっと、いくらなんでも失礼よ。今の発言取り消して」
ツッコミが追いつかない。自分のことを棚に上げすぎではないか。“言い寄られている”と“実際に浮気している”とでは天と地ほど差があるのだが理解しているのだろうか。
ダミアンはなぜか傷ついたような顔をして非難の目をこちらに向けている。
どうしようとソフィアは内心で頭を抱えた。まさかこんな人前で糾弾するような真似に出るとは思わなかった。思わず応戦してしまったせいで他の参加者達も異変に気づき、「どうしたの?」「ケンカ?」と注目が集まってきている。
これ以上騒ぎを大きくしたくない。彼もこちらに注がれている視線をちらちら気にしており、同じ気持ちのようだった。
どこかに場所を移そうと提案しかけた、そのとき。
「ダン様をいじめるのはやめてください!」
砂糖菓子の声が高らかに響き、艶めくハニーブロンドをツインテールにした可愛らしい少女がダミアンの腕に絡みついた。
ダミアンは冷静に彼女を引き離そうとしたが、美少女は両腕で彼の右腕をしっかり抱き込んでいるので失敗に終わった。
「待ってくれコリン……ポティエ嬢、僕は平気だから」
「よくありません! この方がソフィア様なのね。ココ、怒ってるんです。いつまでもダン様を縛りつけて。いい加減彼を自由にしてあげてくださいっ」
「縛りつけた覚えなんてないけど……」
「嘘よ。ダン様いつも言ってるもの、ソフィア様が別れてくれないって。だからココだけを見てくれないんだわ!」
美少女――コリンヌ・ポティエ男爵令嬢は大きな目いっぱいに涙を浮かべこちらをキッと睨みつけている。子リスのような迫力である。
そんな彼女はフリルとレースをふんだんに使った白とピンクのドレスを身に纏い、アクセサリーはダミアンの瞳の色を。そして胸元には、あの日彼が選んだのであろう薄紅色の大きな宝石がついたブローチが輝いていた。
よく見ればダミアンがつけているピアスの石はコリンヌの瞳の色と同じだった。
それを見た瞬間、ソフィアの頭の中は氷点下まで冷えた。
やっぱり従姉妹へのプレゼントだなんて嘘だった。百人に聞いたら百人とも見破れるような稚拙なものだったけど。
全部全部、浮気相手を優先したいがための出まかせだった。
あれだけ傷つけられて怒りを感じていたくせに、まだ心のどこかに彼を信じたい気持ちがひとかけらでも残っていたのかもしれない。未練がましいと呆れてしまうが、しかしそれももう粉々に砕けて散った。
道端の石ころを見るような、無感動な目を彼に向ける。
「……ポティエ男爵家とあなたの家が親戚同士だったなんて知らなかったわ、ダミアン」
「話を逸らさないでください」
「こっちのセリフよ。今私はダミアンと話しているの、邪魔しないでもらえる?」
「邪魔なんてひどい……ココにだって関係あります。だってダン様、愛してるのはココだけだって言ってくださったもの!」
甘ったるい声が会場内に響いた。ざわついていた会場は水を打ったように静まり返り、好奇の視線が全身を刺す。
「……ポティエ嬢、いい子だからここは僕に任せてくれないか」
「ダン様ぁ」
コリンヌは大きな目を潤ませて上目遣いでダミアンを見つめた。涙にシャンデリアの明かりが反射して瞳がキラキラうるうるしている。彼はそんな彼女の頭をそっと撫でて、ソフィアに向かって一歩前に出た。
わずかに頬を引きつらせた彼に、「ソフィア」と名前を呼ばれたときだった。
「――へえ。それなら当然うちの弟とは別れるつもりなんだよな」
「ウィリアム様!」
「悪い、ちょっと話してて遅くなった」
戻ってきたウィリアムはソフィアの隣に立ち、二人を鋭く睨んだ。コリンヌの顔から色が失せる。
「う、ウィリアムさま。どうしてここに?」
「俺も招待されていたからな。それで? どうしてテオドールの婚約者殿が他の男と一緒にいるんだ?」
「え、あ、えっと。だって、テオ様が今日行けないって仰るから……ダン様が誘ってくださって……」
勢いを失くしたコリンヌはしどろもどろになって、サッとダミアンの背に隠れて彼を差し出すように押した。ダミアンは「えっ」と軽く驚きながら、仕方なくウィリアムに向き直る。
「で、君は何してるのかなデミック卿?」
「……いえ、僕の婚約者が貴方と一緒にいるところを見たので、事情を聞いていたところです」
「事情ね。マリーベル嬢がなぜか今日の夜会でパートナーがいないと困っているようだったから、差し出がましくも俺が名乗りを上げたんだ。なぜそんなことになっているのかこちらが聞きたいくらいだ」
「友人のポティエ嬢が夜会のエスコート役が見つからないと言うので放っておけなかったんですよ」
「君は本来のパートナーを放り出してまで単なる友人を優先するのか?」
「今回だけのつもりだったので……それにしても軽率でした。今日のことは本当にごめん、ソフィア」
ダミアンはソフィアに向かって最敬礼の角度で頭を下げた。
「大事な友達に頼まれて……今回だけのつもりだったんだ。君達の仲を疑っていたから……本音を言うと、君への意趣返しのつもりでもあった」
「……顔を上げて。ウィリアム様の名誉のためにはっきり言っておくけど、私たちは誓って不実な仲ではないわ」
「頭が冷えた今なら馬鹿な考えだったと分かるよ。君がそんなことするはずないのに、噂を真に受けてソフィアが僕から離れていくんじゃないかと不安になってしまったんだ。あの噂のことは知ってるだろう?」
頭を上げた彼はばつが悪そうに、自嘲気味に笑って自分の髪をくしゃりとかいた。
何故か罪悪感が湧き上がってきそうになるのを、今まで受けた仕打ちを思い返して粉砕する。
「勝手に浮気を疑って……コリンヌのことも、従姉妹だなんて嘘までついてしまってごめん。友人をエスコートするなんて言ったら君が心配するだろうと思ったんだ。君を傷つけるつもりはなかった」
「あ……当たり前でしょう。私を放置して、しかも婚約者のいる女性をエスコートするなんて何を考えているの」
「そうだよね。僕が君の側にいなかったばかりに、君がここまで追い詰められていたなんて」
「は?」
「もう二度としないと誓うよ。だから……、仲直りしてくれる?」
「な、仲直りって……」
背中にうすら寒いものを感じた。
どうしてこの状況でいつもと変わらない調子でいられるんだろう。すぐ後ろに浮気相手を控えさせておいて、なぜそれに触れないまま『私の』浮気を許してあげると言わんばかりの態度が取れるんだろう。
先ほどのコリンヌの爆弾発言を無かったことにしようとしているのだろうか。
彼が何を考えているのかまるで読めず、一歩後ずさる。
ウィリアムがさりげなく、ソフィアを庇うように前に出る。それを手で制し、私なら大丈夫だと目で告げる。それを察したのか、彼は何も言わずにソフィアの隣に下がった。
「ダミアン、あなたそれ本気で言ってるの?」
おそるおそる聞くと、彼はきょとんとして「当たり前じゃないか」と首を傾げた。誤魔化そうとしているわけでもなく、押し通そうとしているわけでもなく。至極当然のように言った。
「仲直りなんてできるわけないじゃない。自分が何をしたと思ってるの?」
「……そうだよね。君と彼のことを勘繰ってこんなところで責め立てて……」
「それもあるけどそうじゃないわ。あなたとコリンヌさんのことよ。浮気してるのはあなたの方でしょう」
「浮気だなんて、そんな。僕とポティエ嬢はそんな仲じゃ……。今日だって彼女に頼まれたから仕方なくだったんだ。僕だってできることならソフィアをエスコートしたかったのに」
ダミアンは辛そうに眉を下げた。はあ、と自分でも驚くほど大きなため息が出る。
「いつかのデートのとき、私と別れたその足でコリンヌさんに会いに行ったのだって知ってるのよ。わざわざ体調が悪いふりまでして」
「何かの間違いだよ、僕がそんなことするわけないじゃないか」
「誤魔化そうとしたって無駄よ。それだけじゃないわ、あなたたちが密会していた証拠だってあるんだから」
「やってないことの証拠って一体……」
「都合よく覚えてないなら教えてやろうか。先月三週目の風の日、西通りにあるカフェ・シャトン。堂々とテラス席を使っていたそうだな。四週目炎の日は東地区の劇場前で待ち合わせてから中へ。……まだ必要か?」
「コリンヌさんがつけているそのブローチもそうよ。私とのデートの日に立ち寄った宝飾店で“従姉妹”へって買ったものよね。店主さんが覚えていたわ」
「そもそもさっきポティエ嬢自身が大声で自白してたしな」
コリンヌの胸元を真っ直ぐ指差す。会場中の視線が彼女を捉えると、彼女は慌ててブローチを手で隠してダミアンの後ろに隠れた。
ここまで証拠を突きつけられたダミアンはクッと喉を詰まらせ、しかし心底傷ついたというように声を絞り出す。
「……どうして信じてくれないんだソフィア」
「信じるも何も、あなたが好きなのはコリンヌさんなんでしょ? 私のことは可哀想だから一緒にいるだけだって言ってたわよね」
「誤解だ! 僕が本当に愛してるのは君なのに」
「嘘! ひどいわダン様、ソフィア様の相手は疲れたって、ココが好きだってあんなに言ってくれたじゃない!」
弾かれたようにコリンヌが叫ぶ。背中を撃たれたダミアンはぎょっとして後ろを振り返る。
「コリンヌ、この場は僕に任せてくれと言ったじゃないか」
「だからって許せないわ! ちょうどいいじゃない、ソフィア様なんて振っちゃえばいいのに。どうしてココだけ悪者にするの!?」
「少し落ち着いて話を……」
「今日のことだってそう! ココのせいにするつもり!? ダン様から一緒に行こうって誘ってくれたんじゃない!」
「君があんまりにも泣いて聞かないからだろう!」
ダミアンが声を荒らげたことにびっくりしたのか、コリンヌは大きな目をまん丸にしてから「ひどい……!」とぼろぼろ涙を零した。こんなに余裕のない彼を見るのは初めてで、ソフィアも思わず目を見張る。
彼はすぐにハッとして「あ、いや、ごめん」とコリンヌの頭を撫でた。
どこからどう見ても恋人同士のそれであり、傍から見れば自分が二人を引き裂く悪役だった。実際の彼はコリンヌを腕に抱きながらなぜか私を引き留めようとしていて、ちぐはぐになっているけれど。
胸の奥はずっとキリキリ痛んでいるのに、目の前で起きていることが他人事のように思えた。
私の言葉は空を切りどうしたって彼には届かない。彼の言葉も私には届かない。ならばこれ以上話す意味もない。
ソフィアがウィリアムにそっと視線を送ると、彼も静かに頷いた。すうっと息を思い切り吸って、
「ダミアン・デミック伯爵子息、あなたとの婚約は破棄させていただきます。すでに婚約破棄に関する書状は送っています。今頃あなたのご両親も領地からこちらへ戻っている頃でしょうから、ご家族でよく話し合うといいわ。なるべく早く判を押してね」
声が上ずらないよう気をつけながら、気持ちを落ち着けて一気に言い放つ。わずかな動きにつられてイヤリングが揺れ濃緑がきらめく。
ダミアンは動きを一瞬止めて、愕然としながらゆっくりこちらを向いた。
「そんな……。あんまりだソフィア、待ってくれ……!」
そして彼は血相を変えて縋り付く声を絞り出し、すでに泣き止んでいたコリンヌはパッと顔を輝かせた。
「よかったなポティエ嬢。我が家とは縁を切って好きなだけその男と過ごせばいいさ。――テオドール」
ウィリアムが苦々しく笑って右手を上げると、ひとりの青年が人集りの中から進み出た。それを見たコリンヌは笑顔のまま固まった。
プラディロール侯爵家の次男でありウィリアムの弟。そしてコリンヌの婚約者であるテオドール・プラディロールが、端正な顔を歪めてコリンヌを真っ直ぐ射貫いていた。




