11. 夜会の始まり
ヴォルテーヌ侯爵邸にはすでに大勢の貴族達が集まってきていた。
由緒正しい大貴族の大規模な夜会であり、何台もの馬車が列をなしている。
ソフィアとウィリアムを乗せた馬車も他家と同じように馬車寄せに停まった。御者によって扉が開かれるとウィリアムが先に降りていき、彼の手を取ってソフィアもステップをゆっくり降りる。
地面に降り立つと夜風が頬を撫でていった。
(ついにこの日が来てしまった……。ダミアン、本当にコリンヌさんを連れているのかしら。会場は広いだろうし、会わずに済めばいいけど)
婚約後、彼以外の男性と共に社交の場に参加するなんて初めてのことだ。そのうえ想定外にスケールが大きくなってしまった例の噂まで流れている。
意識しているせいかもしれないが、皆がちらちらとこっちを見ているような気がしてくる。
「そういえばさっき言いそびれてたことがあった」
「何ですか?」
玄関ポーチへと続く階段の前で、ウィリアムが思い出したように言った。
「いつも可愛いけど今日は特別可愛くて綺麗だな。ドレスも良く似合ってる」
「へ、あ、ありがとう、ございます」
「馬車の中では言えなかったから」
彼ははにかみながら微笑んだ。落ち着いていた胸がまたざわつき始める。馬車ではメイドも一緒に乗っていたこともあり、雑談しかしていなかったので油断していた。
「改まって言われると照れますね……」
熱くなる頬を手で押さえていると、彼はフッと口端を上げた。
「行こう、ソフィ」
「はい」
ウィリアムが差し出した右腕に左手を添えて足を踏み出す。普段より数センチ高いヒールを履いているが、ソフィアの足はふらつくことなく地面を蹴った。
まるで城のような玄関ホールを通り過ぎ、大広間の巨大な扉の前に立つ。
すでにダミアンとコリンヌはこの向こう側にいるのだろうか。ごくりと唾を飲み込み、添えた手に思わず力が入る。
二人の名が読み上げられると同時に扉が開き、今度は気のせいではなく確実に会場中の視線が一斉にこちらへ向いた。その圧にたじろぎ全身が強張る。
「ご覧になって。あれがマリーベル家の……」
「あの二人やっぱり……」
「それじゃあ噂は本当だったってこと? でもデミック様は?」
「それが、さっき――」
「婚約者でも親族でもない男性とだなんて。最近の若い人ははしたないのね」
「ええ本当に。お里が知れますわね」
ひそひそ囁き合う声があちらこちらから聞こえてくる。ソフィアを謗るものまで耳に届き足が竦みそうになると、すぐ隣から「大丈夫だ」という声が降ってきた。
横を見上げるとウィリアムが薄く微笑んでいた。それだけで力が湧いてくるような気がして、ガチガチに固まっていた肩から力が抜けていく。
「……ありがとうございます、もう大丈夫です」
「言いたいやつには言わせておけばいい。ソフィは堂々としてろ」
「はい」
すぐ傍に心強い味方がいてくれる。そう思うだけで不思議と何も怖くなくなった。
改めて会場内を見回す。
力強い彫刻が施された太い柱が高い天井を貫くように伸び、頭上では無数のシャンデリアがきらめいている。大広間にはオーケストラが奏でるゆったりした曲が流れていて、隣接する部屋ではビュッフェスタイルの食事が楽しめるようだ。
大勢の貴族達がワイン片手に談笑したり、今宵のダンスの相手を探したりしている。
(よかった、ダミアンたちもいないみたい。あ、あそこにいるのは……)
人だかりができている中心に、黒髪ロングの侯爵令嬢・レベッカの姿があった。夜会に招待してくれた友人である。挨拶する人が途切れた隙を見計らって近づき、声を掛ける。
「レベッカ、今日はお招きありがとう」
「まあソフィア、来てくれて嬉しいわ。あら……」
「お久しぶりですヴォルテーヌ嬢。今日はマリーベル嬢のお供として参りました」
「そうでしたの。お会いできて光栄ですわ」
レベッカはお供ねぇ、と呟きながらソフィアを上から下まで遠慮なく舐めるように見て、ウィリアムと見比べ、ニマーッとする口元を隠そうともしなかった。
ウィリアムが飲み物を取りに行くと言ってその場を離れると、レベッカが楽しそうに口を開いた。
「私の言った通りになったじゃない」
「あ。その、これには事情があって。……実はダミアンに今日のエスコートを断られてしまったの」
「何よそれ、どういうこと?」
「色々あったの……今度詳しく話すわ」
「……分かったわ、約束よ。それよりいつもと雰囲気が違うから驚いたわ」
「ああ、これはウィル兄様が……あ」
レベッカはニッコニコになった。
「違うの、ドレスはお母様たちが選んでくれて、メイクも」
「今度詳しく聞かせてもらうのが楽しみだわ。皆にも伝えておかないと」
「ねえ聞いて、レベッカってば」
楽しそうにニマニマし続ける友人に困り果てていたときである。
「ソフィア、どうしてここに……」
聞き馴染みのある、しかしできることなら聞きたくなかった声がした。
振り向けば蒼い顔をしたダミアンが、胸のあたりで右手を中途半端に上げたまま立ち尽くしている。
「……あらダミアン。どうしたの、ひとりで。従姉妹とやらはどこにいるの?」
何か言わねば、と口を開けば。信じられないほど冷たい声が出た。一瞬目を見開いてから我に返ったダミアンは、ソフィアに近づき正面に立った。
「どうしてここにいるんだ。今日は欠席してくれって言ったじゃないか」
「了解なんてしてないもの。私だって正式に招待されてるんだから参加する権利はあるわ」
「ちょっとソフィア、大丈夫?」
レベッカがこそっと話し掛けてくる。ソフィアはなるべく笑顔を作って「大丈夫、ごめんね」と短く答えると、再び名ばかりの婚約者に向き直った。
「あなたが急に従姉妹と参加するなんて言うからパートナーを探すのに苦労したのよ。仮にも婚約者を放り出すなんて非常識だわ」
あの日言えなかったことをここぞとばかりに言い募る。
ダミアンは顔面蒼白でかすかに震えるばかりで返事をせず、小声で何かを呟いている。やがて俯いてしまい、その顔色は何も窺えなくなった。
「……ダミアン?」
今までに見たことない彼の様子を怪訝に思いながら名前を呼ぶと、彼は勢いよく顔を上げた。そして、
「やっぱり浮気してたんだな、ソフィア……!」
眉尻を下げて今にも泣きだしそうな顔をして、よく通る声でこちらを詰ってきたのだった。




