10. 全てが真っ白になったら
ついに夜会当日になった。
軽く昼食を食べてから支度を始めたはずだというのに、外はすでに日が傾いてきている。
磨き抜かれて魂が口から抜けかけたソフィアはメイド達にされるがままになっており、今は髪をひとつに結い上げられているところだった。メイドの手が高速で動いて編み込んでいる。あまりに速すぎて腕が六本くらい生えているようだった。
しばらくして。
「できましたよ」とメイドに声を掛けられ、慌てて魂を飲み込んで鏡を覗き込む。
そこに映っていた自分はいつもと雰囲気が違って見えた。
「わ……」
普段は髪型をハーフアップにして淡い色のドレスを合わせることが多かった。それが今日はビタミンカラーが鮮やかなレモンイエローのドレスに、顔周りの後れ毛がくるりと巻かれたアップヘア。眉は普段よりも角度がつき、チークもリップも一段濃い赤色で引き締まって見える。
ほんのわずかに残っていたあどけなさは消え失せ、意志の強そうな女がそこにいた。
「私じゃないみたい」
「今日は普段とは違う雰囲気で、とのご要望でしたので頑張りました」
「要望って?」
メイド達はふいーと達成感に溢れた顔をしているが、そんな要望を出した覚えはない。不思議に思って聞き返すと、部屋の扉の方から声が飛んできた。
「俺が頼んだんだよ」
「ウィル兄様!?」
驚いて振り向くと、正装したウィリアムが腕組みして扉に寄り掛かっていた。
彼はあまり社交の場に顔を出さないので、こうして漆黒のテールコートに身を包んだところを見るのは久々である。宣言通りばっちりキメてきてくれたようで、かき上げた前髪が無造作に垂れ、なんだか別の男の人みたいだった。
「どうしてここに? と……とりあえず中へどうぞ、もう支度も終わるので」
「お邪魔します。せっかくだから一緒に行こうと思って迎えに来た。あとこれを届けに」
「え?」
これ、という言葉とともに彼が差し出してきたのは手のひらサイズの白い小箱だった。彼の手がゆっくり蓋を持ち上げると、大きなペリドットのブローチが顔を出した。周りを取り囲むように無数のダイヤモンドがきらめいている。
「これ……」
「ソフィに似合うと思ってさ」
「え、あの」
ウィリアムがメイド達に視線を送ると、そのうちの一人が「失礼いたします」とブローチを受け取ってソフィアのドレスの胸元に留めた。その横で別の一人が恭しく差し出しているトレイには、ブローチと揃いのデザインのイヤリングとネックレスが載せられている。
ソフィアが戸惑っている間にメイドがイヤリングを手早くつけていく。少し身じろぎしただけで飾りがちらちらと耳元で揺れた。
「これは俺がつけてもいいか?」
ネックレスを手に取りウィリアムが言う。
返事の代わりに小さく頷いてくるりと反対側を向くと、彼の指が首元に触れた。
思わず息を止めて目を瞑る。真後ろに彼の体温を感じて鼓動がトクトク早まっていく。
中々離れる様子がなくてそっと薄目を開けて鏡越しにウィリアムを見ると、彼はネックレスの留め具と静かに格闘しているようだった。
ふふっと思わず口元を緩ませ、再び目を閉じてつけ終わるのを待つ。
「悪い、慣れてなくて……できた」
その声と共に後ろに感じていた気配が離れる。
目を開けると首元を飾る大粒のペリドットが目に飛び込んできて、いつもよりも顔色が明るく華やかに見えた。
「うん。やっぱり似合うな」
「……戴いていいんですか?」
「もちろん。ソフィのために選んだものだから、むしろ貰ってくれないと困る」
「私のため……」
「最近髪型もドレスもずっとあいつに合わせてただろ。お前にはこういう色の方が似合うって思……。……待て、ただの他人が口出ししすぎたか? しすぎたな!? 俺普通に気色悪いな……。でも『ソフィに一番似合うものを』と伝えただけで細かいことは言ってないから安心して――」
何も言わず黙りこくっていたらウィリアムが慌てだした。その様子がおかしくて、つい吹き出してしまう。
「そんなことありません。嬉しいです、とても」
胸元のブローチをそっと包み込む。
だって。
デザインも、色も、宝石の種類も、何もかも。
既製品でもオーダーメイドだったとしても、私のことを考えて選んでくれたことがよく分かる。
どんなことを想いながら探してくれたんだろう。
きっと私が喜ぶところを思い浮かべながら。
私好みかどうか頭を捻りながら。
同じ目線に立ってくれて、私のことで私以上に怒ってくれて、手を差し伸べてくれる、優しい人。
――ああ。たまらなく、この人のことが好きだ。
気づいたときには彼に抱きついていた。
ウィリアムの瞳が限界まで見開かれ、しかしその両手は抱き返してはくれなかった。
「ソフィ?」
「ウィル兄様。私、わたし、ウィル兄様のことが――……」
必死に息を吸ってその先を続けようとするが言葉が出てきてくれない。代わりに勝手に涙が目尻に溜まり、それを彼の親指が拭う。
じ、と絡め取られるような眼差しだった。至近距離に彼の顔があり、お互いしか見えていなかった。
そのまま何も言わずに見つめ合う。震える唇からは吐息しか漏れなかった。
彼は何も言わなかった。
そして、ソフィアは弱々しくウィリアムの胸を押した。
「……ごめんなさい。私、なんてことを」
「ソフィ」
「まだあの人の婚約者でした。……だから……」
俯いて一度、ふっと息を吐く。再び顔を上げて彼を見つめる。
「だから、今日の夜会も乗り切って、話し合いも済んで、全てが真っ白になったら。そのときに聞いてほしいことがあるんです、ウィル兄様」
彼の瞳を見つめて逸らさずに言った。
彼もまた、逸らさずに頷く。
ウィリアムはソフィアの頭に手を伸ばしかけ……止めて、そのまま頬を撫でた。
はっとしてソフィアが部屋の中を見回すと、扉の開け放たれた室内にはいつの間にか二人だけになっていた。気の利くメイド達である。二人で照れ混じりに苦笑して離れる。
「ねえ、皆そこにいるんでしょ?」
扉の方に向かって声を掛けるとメイド達がわらわらと顔を出した。
「お邪魔だったようですから……」
「私達のことは気にせずどうぞごゆっくり」
「もういいんですか? お嬢様、ちゃんとキスの一つや二つかませましたか?」
「しないから! 変なこと言わないで!」
「うちのお嬢様は奥ゆかしくていらっしゃる……。僭越ながらよろしいですかプラディロール様、お嬢様は押せば落ちます」
「へえ、良いこと聞いた」
「変なこと言わないでってば! ウィル兄様も聞かないでいいですから!」
早く行きましょうとウィリアムの背中をぐいぐい押して部屋を出る。好き勝手言っていたメイド達はニマニマ生暖かい笑顔を浮かべていたが見なかったふりをする。
会場ではほぼ確実にダミアンとコリンヌに会うことになるというのに。本当は結構緊張していたというのに。もうそんなことはどうでもよくなってしまうほどに、とにかくこの場所から離れたくて必死にウィリアムを押すのだった。




