54話 幸福のサブスクリプション
月面を「ローゼン・グループ専用サーバーセンター」として登記し、夜空をセシリアのプロジェクションマッピングで埋め尽くしてから一週間。地上では、もはや物理的な「国境」や「通貨」は意味を成さなくなっていた。人々の生活は、セシリアが提供するインフラ、食料、娯楽なしには一秒たりとも成立しない。
「……マックス。今朝の『全人類アクティブユーザー数』はどうなっているかしら? まだ、私の経済圏の外で勝手に呼吸をしている『未登録個体』は残っているの?」
ローゼン・タワーの最上階、全地球のバイタルデータをリアルタイムで解析するホログラム・コンソールの前で、セシリアは冷徹に指先を動かした。
「……CEO。現在の登録率は九九・八パーセント。残りの〇・二パーセントは、深海や未踏のジャングルに隠れ住む先住民族ですが、既に彼らの村の聖域に『ローゼン・コンビニ』を設置し、無料Wi-Fiと引き換えにユーザー登録を促しております。……間もなく、人類は一〇〇パーセント、貴女の『顧客』となりますな」
「……プッ、あははは! 聖域でコンビニ決済!? 神様への供物もローゼン・ポイントで支払う時代ね。……いいわ、マックス。いよいよ最終段階、『全人類・スコアリング制度』をローンチなさい」
セシリアが開発させたのは、単なる管理システムではない。それは、人間の「道徳」や「感情」すらも、すべて数値化し、資産価値として帳簿に載せる究極の統治システムだった。
「……いい、カイル。これからは『善行』をポイント化するの。……お年寄りに席を譲れば一〇ポイント、ゴミを拾えば五ポイント。……逆に、生産性のない不平不満を口にしたり、私の経営方針に疑念を抱くような『不健全な思考』を検知すれば、即座にマイナス一万ポイントよ」
天井の影から、今や「グローバル・コンプライアンス監査局長」となったカイルが、静かに報告書を提示した。
「……セシリア様。既に試行運用を開始しています。……ポイントが一定以下になった『低スコア個体』は、社会的な信用を失い、街の自動ドアすら開かなくなります。……彼らが社会に復帰するには、たった一つの道しか残されていません」
「……ええ。……『強制・アルヴィス式筋肉更生合宿』への入隊ね。……彼らの歪んだ精神を、物理的な乳酸(痛み)で叩き直して、純粋な『労働力』として再起動させてあげるのよ」
その時、タワーの訓練施設から、窓ガラスを共振させるほどの轟音が響いてきた。
アルヴィスが、今や「全人類更生プログラム」の最高責任者として、不甲斐ない低スコア市民たちを前に、自らの大胸筋を爆発させていた。
『貴様らーー!! 心が汚れているから、ベンチプレスのフォームが乱れるんだーー!! 見ろ、この「誠実な広背筋」を!! 嘘をつく者の筋肉は弛む!! 真実を語る者の筋肉は鋼となる!! さあ、正直に白状しながらスクワット三万回だ!! 筋肉は裏切らないが、筋肉を裏切る者は俺のラリアットが許さないぞおおお!!』
「寄るなイケメン! 貴方のその『誠実な広背筋』、圧力が強すぎて受講生たちの眼球が飛び出しかけているじゃないの! ……マックス。アルヴィスの合宿で生成される『更生エネルギー』を、そのまま電力網に流し込みなさい。……罪人の反省をエネルギーに変えるなんて、最高に『クリーンな』再生可能エネルギーだわ」
『……っ! 俺の筋肉が……人類の罪を浄化するフィルターに……! セシリア様、俺は今、法そのものをリフトアップしている気分だあああ!!』
一方、世界中の一般市民たちは、セシリアが提供する「幸福のサブスクリプション」に狂喜乱舞していた。
月額九八〇ローゼン。それを支払うだけで、あらゆる病気の治療が優先され、不慮の事故の際も救急オーク(元魔王軍)が秒速で駆けつける。何より、「セシリア様を称える」というボタンを毎日一回押すだけで、その日の食卓に豪華なディナーが(ドローンで)届けられるのだ。
「……さあ、次の決算を始めましょう。……マックス。……この『ローゼン・プレミアム』の加入者に、オプションプラン『来世予約サービス』を提示しなさい。……今、高額のポイントを積み立てておけば、転生後の初期ステータスを私が『保証』してあげる……。……死後の世界すらも、私のキャッシュフローの一部よ」
「……死後まで買い叩くとは。……流石はCEO。……神すらも、貴女の『カスタマー・センター』の一員に成り下がるでしょうな」
不敵に笑うセシリア。
彼女の覇道は、もはや「生」や「死」といった生物学的な限界すらも突破し、全人類の魂をローゼン・グループの「永続的な在庫」として、永遠の管理下に置こうとしていた。
「……カイル。……次のターゲットは、まだ私の帳簿に載っていない『聖教国の隠し資産』……。……つまり、彼らが隠し持っている『奇跡(魔法)』そのものよ。……目に見えない力に、適正な時価を付けてあげなさい」
夜空には、セシリアの巨大な微笑みが浮かび、全人類に「更新」を促していた。
悪役令嬢セシリア・ヴァン・ローゼンバーグ。彼女の支配は、誰一人として逃げ出すことのできない「あまりにも完璧で、あまりにも有料な幸福」を世界に強制し始めていた。




