53話 宇宙進出と「月面支店」の設立
ガリア帝国の国家予算一〇〇兆ガリア・マルク。それは本来、数百万の国民が一生をかけて納める血税であり、教育、福祉、国防に使われるべき聖域だった。しかし今、その全額はセシリア・ヴァン・ローゼンバーグの手によって、一〇〇本の「魔導ソリッド・ブースター」へと姿を変え、蒼天を貫く一本の光の柱となって消えていった。
「……マックス。見て。空が黄金色に焼けているわ。一〇〇兆円が酸素と結合して発光する様は、どんな宝石よりも『収益性』を感じさせる美しさね」
ローゼン・タワー最上階、特注の耐熱ガラス越しに成層圏を見上げるセシリアは、冷徹な微笑を浮かべていた。彼女の傍らでは、ガリア帝国の元皇帝ルーデンスが、空になった国庫の通帳を抱きしめ、白目を剥いて泡を吹いている。
「……CEO。ロケットは現在、高度三万六〇〇〇キロの静止軌道を突破。予定通り『月面重力圏』へと突入しました。なお、この打ち上げ費用を回収するため、ガリア全土の空に『打ち上げ観覧税』を課税し、既に一五〇億ローゼンを徴収済みです。国民は自分たちの税金が燃える様子を見るために、さらに追加の税を払っておりますな」
「……プッ、あははは! 自分の家が燃える火を、入場料を払って見物するなんて! これこそが究極の『エンターテインメント・ファイナンス』よ」
その時、宇宙空間からの通信モニターがバチバチと火花を散らし、一人の男の顔を映し出した。
魔導演算室の主、ディートリヒである。彼は今、ロケットの先端に設置された「月面先行開発カプセル」の中で、無重力に翻弄されながらキーボードを叩いていた。
「……セ、セシリア様……。……計算通り……月面に……着陸……。……いえ、月面を……『買収』完了しました……。……今……私の足の下にある砂の一粒一粒に……我が社の『資産タグ』を貼り付けています……」
「素晴らしいわ、ディートリヒ。……地球から月を見上げるすべての人類に告げなさい。『これ以降、月を勝手に眺める行為は、我が社の知的財産権の侵害に当たる』とね。……月光浴をしたいなら、我が社のプレミアム会員に入会させるのよ」
「……っ。……月を……有料化……。……セシリア様……貴女の欲望は……真空でも……膨張し続けている……。……ああ、でも……この月面の静寂……。……誰にも……邪魔されずに……コードが書ける……。……ここは……最高の……強制収容……いえ、サテライト・オフィスです……」
ディートリヒの背後で、突然画面が黄金色に輝き、凄まじい衝撃音が通信を揺らした。
カプセルの外壁を「素手」でこじ開け、宇宙服すら着用せずに、月面に降り立った男がいた。アルヴィスである。
『セシリア様ーー!! 月の重力は地球の六分の一だぞーー!! つまり、俺の筋肉の負荷も六分の一!! これでは筋肉が甘えてしまう!! だから今、俺は自分の体に「一〇〇トンの重力魔法」をかけながら、月面でジャンピング・スクワットをしているぞおおお!!』
「寄るなイケメン! 宇宙真空で叫んでも音は伝わらないはずなのに、なぜ貴方の声は『骨伝導』で私の執務室まで響いてくるの!? ……マックス。アルヴィスが月面を蹴るたびに、月の軌道がわずかにズレているわ。……これを利用して、地球の『潮汐の満ち引き』をコントロールなさい。……満月の日を自由に調整して、観光業界から『月相調整手数料』を徴収するのよ!」
『……っ! 俺の脚力が……潮の満ち引き(セカイの理)を支配する……! セシリア様、俺は今、宇宙の歯車になった気分だあああ!!』
月面に翻る、ローゼン・グループの黄金の社旗。
セシリアは、次々と届く月面資源の調査データを眺めながら、手元の「世界地図」にバツ印を書き込んだ。
「……もう、地上に投資価値のある土地は残っていないわね。……マックス。次のステップよ。……月面支店の地下に、超大規模な『仮想通貨マイニング工場』を建設なさい。……宇宙の寒冷な環境なら、冷却コストはゼロ。……太陽光パネルを月一面に敷き詰めて、全宇宙の電力を我が社が独占するのよ」
「……承知いたしました。……既に、各国の天文学会からは『夜空が眩しすぎて星が見えない』と抗議のシャワーが届いておりますが」
「……ふふ。星が見えない? ……なら、私の顔を月の表面に『プロジェクション・マッピング』で投影してあげなさい。……夜空を見上げれば、常に私の微笑み(経営方針)が拝める……。……人類にとって、これ以上の福音はないはずだわ」
その時、執務室の隅でようやく意識を取り戻したルーデンス元皇帝が、震える声で絞り出した。
「……セシリア……。君は……地球を買い、空を燃やし、ついに神の領域である月まで自分の庭にするというのか……。……君の覇道に、終わりはないのか……っ!」
セシリアは、ゆっくりと椅子を回転させ、哀れな支店長代理(見習い)を見据えた。
「……終わり? ……失礼ね、ルーデンス。……私はまだ、『最初の決算』すら終えていないわよ。……いい? 宇宙は広いの。……月を拠点に、次は火星、木星、そして銀河の果てまで。……すべての星に『ローゼン』の領収書を貼り付けるまで、私の電卓が止まることはないわ」
彼女の瞳には、地球を一周する「物流ネットワーク」と、宇宙を埋め尽くす「広告看板」の完成図が映っていた。
悪役令嬢セシリア・ヴァン・ローゼンバーグ。
彼女の「宇宙進出」は、単なる冒険ではない。それは、宇宙という名の「未開拓市場」を、一円の残さず「赤字のない世界」へと作り変えるための、冷徹な経営戦略の第一歩に過ぎなかった。
「……さあ、次の決算を始めましょう。……マックス。……火星の不動産、まずは『予約販売』から開始なさい。……まだ空気がなくても関係ないわ。……私の名前を冠した土地なら、それだけで価値は上がる(バブル)のだから」
不夜城ローゼン・タワーから放たれる黄金の光は、月面をも飲み込み、漆黒の宇宙を「ローゼン・カラー」へと塗り替えようとしていた。




