51話 皇帝の「初出勤」と名刺交換
ガリア帝国という名の「不良債権」をまるごと買収し、皇帝ルーデンスを「ガリア支店・支店長代理(見習い)」という名の平社員へと叩き落としてから初の月曜日。ローゼン・タワーの正面玄関には、慣れないスーツ姿で呆然と立ち尽くすルーデンスの姿があった。
「……な、なぜだ。なぜ、全大陸の半分を支配したこの私が、朝の『魔導貨物列車(通勤快速)』に揺られ、一般市民の肘打ちに耐えねばならんのだ……っ!」
私がテラスから冷徹に、特製のアイス・カフェラテを一口飲んで見下ろすと、ルーデンスの「社章」は、まだ斜めに曲がって付いていた。
「……ルーデンス支店長代理。始業時間は一分前よ。貴方のその『一〇〇〇年の歴史』のせいか知らないけれど、歩幅が鈍すぎるわね。……我が社の廊下を歩くなら、一歩につき一〇〇ローゼンの利益を生む『ビジネス・スピード』で歩きなさい」
「……プッ、あははは! 見なさいマックス。彼のあの顔。……『皇帝の威厳』が、満員電車の湿気で完全に『減価償却』されてしまっているわ!」
私はロビーに降り、呆然とするルーデンスの前に立った。
「……さて、支店長代理。今日は他社との重要な商談があるわ。……まずは基本の『名刺交換』。……貴方のその、震える手で持っている『黄金のプレート』は何?」
「……こ、これは、我がガリア帝国の『全権委任状』……」
「……ゴミね。今すぐシュレッダーへ。……いい? 相手は我が社の『協力企業(下請け)』のドワーフ工房よ。……腰を四五度まで折り曲げ、『ガリア支店のルーデンスです。以後、お見知り置きを』。……これを一〇〇回練習しなさい」
「……っ! この私が……背を曲げ……ドワーフに頭を下げると……!? そんな辱めを受けるくらいなら、いっそ……!」
その時、ロビーの「自動ドア(物理)」を筋肉の咆哮でこじ開けながら、アルヴィスが乱入した。
彼は今、新入社員研修の教官として、「挨拶は筋肉だ!」と書かれたタスキを、素肌に直接巻いていた。
『ルーデンスーー!! 挨拶の基本は腹圧だぞーー!! 腹筋を三段に割り、そこから絞り出すような「おはようございます」が、取引先の心を撃ち抜くんだ!! さあ、俺と「挨拶スクワット一〇〇〇回」だ! 筋肉が笑えば、営業成績も笑うんだぞおおお!!』
「寄るなイケメン! 貴方のその『腹圧』のせいで、ロビーの観葉植物が風圧で枯れているじゃないの! ……ルーデンス支店長代理。……見なさい。アルヴィスのあの『鋼のメンタル(筋肉)』。……皇帝のプライドなんていう、賞味期限の切れた資産に固執するより、彼のように『己の全機能を市場に最適化』する方が、よっぽど高貴だと思わない?」
「……あぁ……。騎士団長が、笑顔で……『御社』という言葉を連呼している……。……世界が、狂っている……」
ルーデンスは、ついに膝をつき、黄金の名刺(※中身はローゼン社製)を差し出した。
「……が、ガリア支店の……ルーデンスです……。……御社の……魔導鉄鋼……ぜひ……我が支店で……取り扱わせて……いただきたく……」
「……及第点ね。……マックス。彼の今の『屈辱指数』。……これをデジタル化して、『元皇帝が頭を下げる動画』として、独占配信なさい。……一再生につき一〇ローゼン。……彼の給与の補填にしてあげるわ」
「……承知いたしました。……既に、ガリアの旧国民たちの間で爆発的な再生数を記録しておりますな。……『自分たちを苦しめた皇帝が、今やドワーフに揉み手をしている』という構図が、最高のストレス解消になっているようです」
悪役令嬢セシリア・ヴァン・ローゼンバーグ。
彼女の覇道は、国家の象徴である「皇帝」すらも、ただの「クリック報酬型広告」へと変え尽くした。
「……さあ、次の決算を始めましょう。……ルーデンス。……次は『社内お掃除キャンペーン』よ。……貴方のその『マント(三〇〇〇万ローゼン相当)』を使って、廊下の埃を拭き取りなさい。……歴史の重みで、ワックスがけが捗りそうだわ」
皇帝の慟哭が、タワーの始業ベルにかき消されていく。
セシリアの帳簿において、一国の主のプライドは、わずか一円の「雑収入」へと計上された。




