42話 影のギルドの福利厚生
世界中の「秘密」を「ローゼン・ポイント」という名の電子チップに変換し、権力構造を内側からドロドロに溶かし始めてから一週間。ローゼン・タワーの地下にある「株式会社ローゼン・リークス」の執務スペースでは、かつて闇に生きていた隠密たちが、戸惑いと感動に震えていた。
「……カイル。貴方の部下たちの顔色、なんだか良すぎるんじゃない? 隠密ならもっと、死相の漂う土気色をした『消耗品』のような顔をしていなさいよ」
私が冷徹に、特製の低周波・魔導マッサージチェアに深く腰掛けながら告げると、カイルは天井の影からではなく、正面のドアから「社員証」をピッとスキャンして入室してきた。
「……セシリア様。……部下たちは今、混乱しています。……昨日まで命を狙い合っていたライバルギルドの刺客と、同じ『休憩スペース』で無料の魔導コーヒーを飲み、健康診断の結果について語り合っているのですから……」
「……プッ、あははは! 殺し合うエネルギーがあるなら、一文字でも多くタイピングなさい。……いい? カイル。闇の世界の離職率が高いのは、偏に『将来への不安』と『劣悪な労働環境』のせいよ。……私が導入した『潜入手当』と『深夜残業代の全額支給』。これだけで、彼らの忠誠心は、神様への信仰心を優に超えたわ」
広いオフィスを見渡せば、黒装束のまま「肩こり解消ストレッチ」に励む忍びや、モニターに向かって「この汚職ログの裏取り、有給休暇明けにやります」とチャットを打つ工作員の姿があった。
「……セシリア様。……特に好評なのは、『潜入中に負傷した場合の全額医療費負担』と、万が一の際の『遺族年金』です。……彼らは今まで、使い捨てられることが誇りだと思い込まされてきましたが……。……『代わりはいない、貴重な人財だ』と言われ、初めて人間としての尊厳を……」
「……勘違いしないで。……単に、新しい隠密を一から育成する『採用・教育コスト』が馬鹿高いから、既存の個体を延命させているだけよ。……壊れたら修理して、また現場へ放り出す。……これこそが、私の提唱する『サステナブルな闇営業』よ」
その時、オフィスの強化ガラスの外側に、凄まじい勢いで「プロテインの粉末」が降り注いだ。
アルヴィスが、窓の外で「空中腹筋」をしながら、内側の隠密たちを鼓舞していたのだ。
『お前たちーー!! 事務仕事ばかりでは広背筋が死ぬぞーー!! 報告書を書く合間に、指立て伏せを一〇〇〇回こなせーー!! 強い筋肉こそが、最強のファイアウォールだあああ!!』
「寄るなイケメン! 貴方のその『無駄な熱血』、集中してログを解析している社員たちのノイズ(雑音)にしかならないわよ! ……カイル、アルヴィスを『社員研修の講師』として計上なさい。……『隠密のための、見つかっても力でねじ伏せる護身術』。……これで、生存率をさらに五パーセント引き上げなさい!」
「……っ! 隠密に、存在感の塊であるアルヴィス様の技術を……。……もはや『隠れる』ことを放棄した、新時代のステルスですね。……承知いたしました」
『……っ! 俺が……闇のプロフェッショナルたちの師匠に……! セシリア様、俺の筋肉を……組織の基盤にしてくれるのか!!』
アルヴィスが咆哮しながら、窓の外で「逆立ち歩行」によるパトロールを開始した。……本当に、あの男を「福利厚生施設」として運用できるのは、私くらいの度量がないと無理だわ。
一方、世界中の秘密を握られた王族たちは、ローゼン・リークスの「ホワイトすぎる体制」に絶望していた。
かつて金で雇っていたスパイたちが、次々と「ローゼン・グループの方が福利厚生が良いから」と退職願(または亡命)を叩きつけ、ローゼン・リークスの正社員へとコンバージョン(転向)していくからだ。
「……さあ、次の決算を始めましょう。……マックス。……闇の世界の『平均賃金』を、我が社の基準で一気に吊り上げなさい。……他社(他国)が追随できないレベルまで人件費を高騰させ、ライバルの隠密ギルドをすべて破産に追い込むのよ」
「……競合他社の『人材枯渇』を狙った、残酷な賃金テロですな。……流石はCEOです」
私は、満足げに黄金のペンを走らせた。
悪役令嬢セシリア・ヴァン・ローゼンバーグ。
彼女の覇道は、闇に生きる者たちの「生存権」すらも自らの経営資源に取り込み、ついに世界から「秘密」を持つ自由を完全に奪い去った。
「……カイル。……次のターゲットは、隣国の『魔導学園』の隠し図書室よ。……情報の独占は、市場の停滞を招く罪悪。……すべて、私の『ライブラリ』に並べなさい」
影へと消える、ホワイト企業戦士となった隠密たち。
世界を管理し、光と影を帳簿で統合する「ローゼン・ホールディングス」。
その支配は、誰一人として逃げ出すことのできない「あまりにも幸福な地獄」へと進化していた。




