38話 情報統制と「ローゼン・アイ」の完成
アルヴィスの「暑苦しい愛のパケット」に脳を焼かれたディートリヒを、バケツ一杯の氷魔法(物理)で再起動させてから一時間。演算室の空気は、極低温の魔力冷却によってようやく平時(マイナス一〇度)を取り戻していた。
「……ディートリヒ。鼻水を拭きなさい。貴方のその、凍りついた情けない顔。……我が社の『知的資産』としての帳簿価額(簿価)を下げているのが分からないの?」
私が冷徹に、しかし優雅に毛皮のコートを羽織りながら告げると、ディートリヒはガチガチと歯を鳴らしながら、新しい眼鏡(スペア一二号)を装着した。
「……セ、セシリア様……。……おかげで……脳のオーバーヒートが……沈静化……しました……。……アルヴィス様の『愛のノイズ』は……完全に……暗号化された『ジャンクデータ』として……ブラックホール・サーバーに投棄……完了……です……」
「……プッ、あははは! 素晴らしいわ! 愛をゴミ箱に捨てるなんて、これこそが真の『情報の取捨選択』ね。……さて、仕上げよ。……全世界を網羅したこの監視網、名前を付けなさい」
ディートリヒが、震える指でメインコンソールの最終キーを叩いた。
モニターには、大陸全土を覆い尽くす網目状の魔導回路図が浮かび上がり、その中心に巨大な「黄金の瞳」の紋章が刻印された。
「……命名……『ローゼン・アイ(真実の眼)』……。……全大陸の……魔導通信……金融決済……そして……個人の呟き一つまで……。……すべて……セシリア様の……掌の上……です……」
その時、執務室のスピーカーから、ようやく体温が氷点下まで下がったアルヴィスの、弱々しい、しかし未だに粘着質な声が聞こえてきた。
『セ……セシリア様……。……俺の……愛のパルスを……捨てた……のですか……? ……だが……俺の筋肉は……捨てられても……蘇る……! ……次は……一〇〇万テラバイトの……「結婚してくれ(バルス)」を……送って……あげる……からな……』
「寄るなイケメン! 貴方のその『蘇る執着心』、我が社のサーバーのストレージ容量を圧迫するだけよ! ……ディートリヒ。アルヴィスの発言を、リアルタイムで『宣伝広告文』に置換するフィルターをかけなさい」
「……承知……いたしました……。……『結婚してくれ』……を……『今なら定期購読がお得』……に……置換……。……完了……」
『セシリア様! ……今なら定期購読がお得……だあああ!!』
スピーカーから流れる、あまりにも不自然でビジネスライクな絶叫。
私は、満足げに扇子を畳み、情報の完全統制の完成を確信した。
「……マックス。これで、世界の『情報の非対称性』は解消されたわ。……ただし、私だけが、すべてを『対称的(丸見え)』にしている状態だけどね」
マックスが、音もなく私の傍らに立ち、深く一礼した。
「……恐るべき支配構造ですな、CEO。……これで、他国の王族も、ギルドの長も、我が社の許可なく『秘密』を持つことは不可能です。……世界は今、貴女という名の『巨大な帳簿』の中に閉じ込められました」
「……ふふ。閉じ込められた? 失礼ね。……私はただ、彼らの『プライバシー(無駄な隠し事)』という名の管理コストを、肩代わりしてあげているだけよ」
私は、黄金に輝く「ローゼン・アイ」のモニターを見据えた。
魔導師ディートリヒ。彼は今、安堵の表情でキーボードに顔を埋め、泥のように眠っている。……まあ、一五分だけ寝かせてあげましょう。一六分後には、次の「宇宙開発事業の軌道計算」が待っているのだから。
「……さあ、次の決算を始めましょう。……世界の意志様。……貴方の管理する『運命』。……私の『ローゼン・アイ』で、バグ一つ残さずデバッグ(上書き)してあげるわ」
悪役令嬢セシリア・ヴァン・ローゼンバーグ。
彼女の覇道は、イケメンたちの才能と情熱を「部品」として組み込み、ついに世界の全情報を掌中に収めた。




