37話 天才の暴走と、想定外の「感情データ」
大陸中の汚職ログを全世界に同時放流し、特権階級の胃に穴を開けさせてから一時間。演算室のモニター群は、処理能力の限界を超えたディートリヒの魔力によって、青白い炎のようなゆらぎを見せていた。
「……ディートリヒ。まだキーボードを叩いているの? 貴方の指、もう摩擦熱で火を噴きそうよ。……効率が悪いわね、消火器でも浴びせてあげましょうか?」
私が冷徹に声をかけると、ディートリヒはガタガタと椅子を鳴らしながら、虚空に向かって不気味な笑みを浮かべた。彼の瞳には、もはや数字やコードではなく、何か「形のないもの」が映り込んでいる。
「……セシリア様……。……データの……深淵を……覗きました……。……裏帳簿の……さらに……下……。……人間たちの……『思念』が……ログとして……堆積しています……。……これ……解析……できます……」
「……プッ、あははは! 思念を解析ですって? オカルト(非科学的)なことを言わないで。……そんな不確かなもの、一ゴルドの価値もないわ。……さっさと次の資産査定に移りなさい」
「……いいえ……。……価値……あります……。……一万二千件の……汚職ログ……その……背後に流れる……『セシリア様への恐怖』……そして……『畏怖』……。……それら……全て……数値化……しました……」
ディートリヒが震える指でエンターキーを叩きつけると、巨大なメインモニターに「セシリア・ヴァン・ローゼンバーグ・感情感応グラフ」という、おぞましい名前の統計データが表示された。
そこには、世界中の人間が私に対して抱いている感情が、リアルタイムで波形となって刻まれていた。
「……マックス。この、激しく上下している真っ赤な波形は何かしら? 私の時価総額に影響するようなもの?」
マックスが冷静にデータを読み解く。
「……CEO。赤の波形は『怒り』と『戦慄』。……ですが、その下にある金色の波形……。これは『狂信的な依存』ですな。……セシリア様の冷酷な支配なしでは、もはや生きていけないという中毒症状が、全人口の四割に達しています」
「……依存(中毒)? ふふ、最高の顧客満足度じゃない。……解約率ゼロの市場を手に入れたも同然ね。……ディートリヒ、よくやったわ。……これで、感情すらも『在庫管理』できるわね」
だが、ディートリヒの暴走は止まらない。彼は血走った目で、さらに深いレイヤーのデータを引きずり出した。
「……待って……ください……。……もう一つ……。……『特定個体』からの……異常な……感情出力……を……検知……。……この……熱量……。……測定……不能……!!」
バチバチッ!! と演算機が火花を散らす。
モニターの中央に、巨大なピンク色のハートマーク……ではなく、脈打つ「筋肉の形をしたエネルギー体」が出現した。
『セシリアアアアア!! 俺の……俺の愛の電圧が……ついに……データの壁を……越えたぞおおおお!!』
地下のアルヴィスの叫びが、音声データとしてではなく、物理的な「衝撃波」として演算室を揺らした。
「寄るなイケメン! 貴方の暑苦しい感情を、私の精密な統計データに混入させないで! ……ディートリヒ、今すぐその『愛のノイズ』を隔離なさい!」
「……む、無理です……セシリア様……。……彼の……『セシリア様を抱きしめたい(物理)』という……パケットが……強すぎて……。……ファイアウォールが……溶けて……あぁ……幸せな……ノイズが……脳内に……!!」
ディートリヒまでが、アルヴィスの放つ高熱の情愛に毒され、恍惚とした表情でキーボードの上で「マッスル・ポーズ」を取り始めた。
「……最悪だわ。私の右腕が、地下の発電機の異常なパッションに感染してバグ(恋愛脳)を起こしている……。……マックス、今すぐ二人を氷点下の地下室に叩き込んで、物理的に『再起動』させなさい。……業務に私情(感情)を持ち込むなんて、我が社の就業規則違反よ!」
「……承知いたしました。……愛のデバッグには、少々荒療治が必要なようですな」
悪役令嬢セシリア・ヴァン・ローゼンバーグ。
彼女の覇道は、イケメンたちの「暴走する恋心」という名の、計算不可能な最大のリスクに直面していた。
「……さあ、次の決算を始めましょう。……アルヴィス、ディートリヒ。……貴方たちの『愛』を、一ワットも漏らさず『暖房費の節約』に充ててあげるわ。……一滴の汗も、一秒の妄想も、私の利益に変えてみせなさい!」
演算室を包む、異常な熱気。
それは、世界を支配する悪役令嬢が、もっとも「非論理的な資産(イケメンの愛)」を管理下に置こうとする、果てなき戦いの号砲でもあった。




