35話 寝不足の瞳に映る「世界の裏帳簿」
アルヴィスが地下で「人間発電機」としてガリア帝国を照らし続け、その廃熱で私のティーカップが勝手に沸騰していた頃。ローゼン・タワーの最上階、外光を完全に遮断した「中央演算室」では、もう一人のイケメンが限界を迎えようとしていた。
魔導師ディートリヒ・フォン・アッシェンバッハ。
かつては「王立魔導アカデミー始まって以来の天才」と謳われた彼も、今や私の下で、全世界の金融トランザクションを監視する「最高情報責任者(CIO)」という名の、24時間不眠不休のデータ奴隷と化していた。
「……ディートリヒ。……進捗はどうかしら? 聖教国の隠し口座、一〇万件のディープ・デバッグ(全数検査)は終わったの?」
私が冷徹に、しかし優雅に演算室の防音扉を開くと、そこには青白い魔導モニターの光に照らされた、幽霊のようなディートリヒがいた。彼の長い銀髪は乱れ、眼鏡はわずかに斜めにずれている。
「……セ、セシリア様……。あと……あと三万件です……。……ですが、今の私の演算能力(脳)では、一秒間に一〇〇件が限界で……。……魔導計算機の冷却水が、私の涙で蒸発しそうです……」
「……プッ、あははは! 泣き言を言うなんて、天才の看板が泣いているわよ。……ディートリヒ、貴方の脳細胞一つ一つが、一ゴルドを生む『計算資源』なのよ。……休む暇があるなら、その演算回路を並列化して、処理速度を二倍にしなさい」
「……並列化……。……脳を、分割して……同時に……二つのことを考えろと……? ……そんなこと、人間にできるはずが……」
「あら、できるわよ。……左脳で『帳簿の改ざん検知』をしながら、右脳で『私の美しさを讃える詩』でも作っていなさい。……それでバランスが取れるはずだわ」
私が冷酷に言い放つと、ディートリヒの瞳に、絶望を超越した「トランス状態」の光が宿った。
彼はカタカタと震える指で、空中を舞う魔導キーボードを叩き始めた。
「……分かりました……。……セシリア様……。……貴女の命令は……絶対だ……。……あ……見えた。……聖教国の裏帳簿の深層……。……『全知全能の神への寄付金』という名の、正体不明の資金洗浄ルート……」
モニターに映し出されたのは、複雑に絡み合った金流の糸。それは、聖教国を通り抜け、隣国ガリアを迂回し、最終的に「世界の果て」にあるとされる未開の地へ流れていた。
「……マックス。この資金の終着点、どこかしら?」
背後に控えていたマックスが、解析された座標を読み上げる。
「……CEO。驚くべきことに、そこには記録上、何もないはずの海域です。……しかし、これだけの巨額の資金が流れ込んでいる以上、そこには『世界を管理する何か』が存在しているとしか考えられません」
「……ふふ、面白いわね。神様も、自分のプライベート・バンクを隠し持っていたというわけ? ……ディートリヒ、その資金の『引き出し権限(ルート権限)』を奪いなさい。……神様の貯金を、我が社の『次半期・設備投資費』に振り替えてあげるのよ」
その時、室内にドォォォォンという、もはや恒例となった振動が響いた。
地下の発電ルームから、アルヴィスの叫びが換気ダクトを通じて聞こえてくる。
『ディートリヒーー!! 筋肉の発電量は絶好調だぞーー!! 俺のパッションを受け取って、その貧弱な脳をフル回転させろーー!! 筋肉とデータ、俺たちの共同作業でセシリア様を絶頂(黒字)に導くんだーー!!』
「寄るなイケメン! 貴方の声の振動が、精密機器の磁気ヘッドを狂わせるでしょうが! ……ディートリヒ、今のアルヴィスからの過剰な電力供給、貴方の魔力で『思考加速のブースター』に変えなさい。……一秒を、一年に引き伸ばして考えるのよ!」
「……っ! 思考……加速……! ……脳が、焼ける……! 焼けるような熱さです、セシリア様……!! ……あぁ……世界が、止まって見える……!!」
ディートリヒの眼鏡がパリンと音を立てて割れた。
しかし、彼の指は止まらない。むしろ、残像が見えるほどの速度で、世界の裏側に隠された「不都合な真実」を次々と暴き、書き換えていく。
「……抽出……完了……。……神の隠し口座、残高……一兆ローゼン……。……すべての名義を……『ローゼン・ホールディングス・特別目的会社』へ……移転……完了……」
「素晴らしいわ、ディートリヒ。……貴方のその、死にかけの顔。……一〇兆ローゼンの利益よりも、私を愉快にさせてくれるわよ」
私は、フラフラと椅子から崩れ落ちようとするディートリヒの顎を、扇子でクイと持ち上げた。
「……まだ寝かせないわよ。……次は、魔王軍が隠していた『略奪品リスト』の棚卸しよ。……朝日が昇るまでに終わらせなさい。……できなければ、貴方の魔導書をすべて『薪』にして、私の執務室の暖炉にくべてあげるわ」
「……っ。……セシリア様……。……貴女の……冷酷さが……一番の……眠気覚ましです……」
悪役令嬢セシリア・ヴァン・ローゼンバーグ。
彼女の覇道は、イケメンの脳髄を限界まで使い倒し、ついに「神の財産」すらも自分の帳簿へと書き込み始めた。
「……さあ、次の決算を始めましょう。……神様。……貴方の隠し資産、私が有効活用してあげますわ」
不夜城と化したローゼン・タワー。
天才魔導師の憔悴した顔が、世界の富を書き換えるための、唯一無二の「鍵」となっていた。




