第59話:いつもの席の温もり、三人の小さな秘密
ガララ、と教室の引き戸を開けると、平日の朝の懐かしい喧騒が揺里の体を迎え入れた。
まだ少しだけトクトクと速いリズムを刻んでいる胸を押さえながら、揺里は自分の席へと歩みを進める。前の席では、マイとチカがこちらを意識しないふりをしながらも、そわそわとした様子で待ってくれていた。
揺里が椅子に腰掛けた瞬間、二人が一斉に体をこちらへと傾けてくる。
「――ゆらりん、どうだった?」
マイがスケッチブックを小脇に抱えたまま、声をひそめて覗き込んできた。チカも、シャープペンシルを持った手の動きをピタリと止めて、静かに揺里の瞳を見つめている。
「うん……ちゃんと渡せたよ」
揺里は小さく息を吐き出しながら、コクンと頷いた。
「昨日のこと、ちゃんとお母さんからって言って新しいの渡したら、伊織くん『ラッキー』って笑って受け取ってくれたの。変に怪しまれたりもしなかったよ」
「よかったー! ゆらりん、大成功じゃん!」
マイが自分のことのように嬉しそうに目を細め、机の下で揺里の手をぎゅっと握りしめてくれた。その温かい手のひらのぬくもりに、揺里のなかの緊張の最後のひとかけらが、サラサラと心地よく溶けていくのが分かった。
チカは、そんな揺里の少し赤くなった頬をじっと見つめていたけれど、すぐにいつもの穏いはにかみを浮かべた。
「お母さんの言う通りにして正解だったね。……あ、でも、さっき廊下で千歳くんとも何かお喋りしてなかった?」
「えっ……」
さすがチカちゃん、本当に何でも見ている。揺里は再びカッと顔が熱くなるのを感じて、慌てて手元のノートを開いた。
「ち、違うの! 千歳くんは、昨日の図書室のあとのことを、ちょっと気にしてくれただけで……。本当にそれだけだからね!」
「あはは、ゆらりん、今日だけで男の子二人と秘密の会話とか、やっぱり今週のゆらりん、何か起こりすぎ!」
マイがクスクスと笑いながら揺里の肩を優しくつつく。チカも「まあ、無事にハンカチも返せたんだし、一限のモヤモヤはこれで終わりだね」と、授業の準備を進めるように自分の教科書を開いた。
二人の、この変わらない等身大の距離感と、押し付けがましくない優しさ。
一人の時間に読む難しい本も、私の心を守ってくれる大切なお守りだけれど、こうして自分のことを気にかけてくれる友達がいる教室も、やっぱり同じくらい、私にとって愛おしい場所になりつつある。
キーンコーンカーンコーン。
二限目の始まりを告げるチャイムが、教室のざわめきを静めていく。
前を向いたマイとチカの背中を見つめながら、揺里はカバンの中の空っぽになったポケットを思い出し、少しだけ深くなった呼吸で、新しい授業のページをめくった。




