第51話:茜色の通学路、耳の奥のトクトク
図書室の木製の重い扉を閉めると、さっきまで千歳くんと共有していたあの静かな空間が、ふっと遠のいたような気がした。
揺里はスクールバッグの紐をぎゅっと両手で握りしめ、まだ誰もいない静かな廊下を歩き出す。昇降口へ向かう足取りは、いつもの下校のときよりもほんの少しだけ早かった。
ローファーに履き替えて校門を出ると、外にはまだ完全に暗くなる前の、おだやかで綺麗な茜色の夕空が広がっていた。街路樹の葉が夕方の風にさらさらと揺れ、アスファルトの上に長い影を作っている。
(……私、千歳くんにあんな風に言っちゃった)
通学路を歩きながら、揺里は自分の顔がじわじわと熱くなっていくのを感じた。
いつも図書室の窓際で静かに本を読んでいるだけの彼。クラスの誰とも関わろうとしないのに、昨日も今日も、私の様子をちゃんと見ていて、声をかけてくれた。
そんな千歳くんの言葉に、ちょっと口を尖らせて子どもっぽく言い返してしまった。伊織くんを庇うみたいに、ムッとした顔を見せてしまった。
(嫌われちゃったかな……)
胸の奥がトク、トク、と落ち着かないリズムを刻む。
別に、彼のことが好きだとか、そういうことじゃない。ただ、私の大切な秘密の場所を静かに共有してくれている彼に、あんな風に真っ向から反論したことなんて一度もなかったから、なんだか猛烈に恥ずかしくて、ドキドキしてしまう。
でも、後悔はしていなかった。
伊織くんがみっともない私の涙を隠すために、わざと雑なストーリーを作って守ってくれたこと。その不器用な優しさを、何も知らない千歳くんに「最低」なんて言われたままにするのは、どうしても嫌だったから。
ぽつぽつと灯り始めた街灯の下を歩きながら、揺里は自分のスクールバッグのポケットにそっと触れた。
中には、美術の時間に少し湿ってしまった、あのブルーのチェック柄のハンカチが入っている。
哲学の本に載っているような、誰にも邪魔されない完璧な静寂。
そして、学校の教室で起きる、ちょっとハラハラして、でも温かい色の混ざり合う日常。
どちらの景色も、今の私にとっては捨てられない大切なものになりつつある。
まだ少し耳の奥で鳴り止まないドキドキを茜色の風に預けながら、揺里は今日起きたたくさんの出来事を一つずつ愛おしむように、見慣れた我が家への道をまっすぐに歩いていった。




