第48話:階段の踊り場、ふたつの重み
「じゃあね、ゆらりん、また明日!」
「ちゃんと腕、お風呂で濡らさないようにね」
昇降口の前でマイとチカに手を振り、二人の賑やかな背中が校門の向こうへ消えていくのを見送った。
いつもならそのまま一緒に帰るはずの帰り道。けれど揺里は、ゆっくりと踵を返し、夕暮れの静まり返った校舎へと引き返した。
トコ、トコ、と上履きの音だけが、誰もいない階段のコンクリートに寂しく反響する。
(……このハンカチ、また持ち帰っちゃったな)
スクールバッグのポケットに片手を差し入れると、美術の時間に少し湿ってしまったブルーのチェック柄が、指先に触れた。
今朝、学校へ持ってくる前に自分の部屋であんなにドキドキしながらアイロンをかけたはずのそれ。ただ綺麗にして返すだけのはずだったのに、どうしてこんな風に、また私の手元に戻ってきてしまうのだろう。
(昨日の夜、お母さんに洗ってもらったばっかりなのに……)
さすがに二日連続で同じ男子のハンカチを「洗って」なんて差し出したら、いくら優しいお母さんでも「あれ、また同じの?」って何か言われるかもしれない。
今度はなんて言い訳をすればいいんだろう。今日の美術の時間のあの騒がしいアクシデントを、そのまま正直に話すのもなんだか気恥ずかしい。
(……なんだか、前よりもずっと、考えることが増えちゃったな)
階段の踊り場。大きな窓から差し込む西日は、もうずいぶんと低い位置にあって、揺里の影を壁に長く、歪に引き延ばしていた。
一人きりの教室で、置いてけぼりになったみたいに泣いていた、昨日の放課後。
あのときの孤独は、胸がジリジリとして息が苦しくなるほど痛かった。でも、今日の放課後は、バッグの中にまた同じハンカチという新しい秘密を抱えて、友達の優しい笑顔に守られながら、こうして一人で階段を上っている。
どちらも、同じ「一人だけの時間」のはずなのに、胸の奥の温度がぜんぜん違う。
(本を開けば、何かわかるのかな……)
揺里は、昨日図書室の棚から引き抜いた、あのディープブルーの文庫本を思い出した。
『孤独の幸福について』。
一人の時間のなかに眠る、誰にも邪魔されない贅沢な幸せ。
今の私に、あの本の美しい文字たちは、どんな風に語りかけてくるのだろう。
お母さんの顔や、伊織くんの不器用な優しさが頭の中でぐるぐると交差するなか、揺里は最上階の、あの静かな図書室の扉を目指して、一歩ずつ階段を上っていった。




