第44話:画用紙のグラデーション、重なるふたつの色彩
「はい、じゃあ各自、先週の続きから色を塗っていって」
美術の先生の声とともに、カーテンの引かれた明るい美術室に、水をパタパタと切る音や、筆先がパレットをこする静かな音が響き始めた。
揺里は、目の前に広げられた大きな画用紙を見つめた。
鉛筆でざっと下書きされた静物の絵。そこに、細い筆を使って少しずつ、透明感のある淡いブルーの絵の具を落としていく。水分を含んだ色彩が、紙の上でじわりと滲みながら、綺麗なグラデーションを作っていく。
(……色と色が出会うと、新しい色になるんだな)
そんな当たり前のことを思いながら、揺里の頭の中には、さっき廊下で起きた賑やかな笑い声が、まだ温かい余韻として残っていた。
ヨダレを垂らして寝ていたなんて、本当にひどい嘘。
マイや男子たちにあんなに笑われて、思い出すだけでも頬がツンと熱くなる。けれど、その雑で不器用なストーリーのおかげで、揺里の心は今、驚くほど軽くて穏やかだった。
(もしも私が、あのまま誰の手も借りずに、一人きりで殻に閉じこもっていたら……)
昨日図書室の薄暗い棚から引き抜いた、あのディープブルーの文庫本。
『孤独の幸福について』という、あの静かで美しいタイトルが、筆先の青い滲みの向こう側に、ふっと浮かび上がる。
本に書かれていた通り、他人の視線から完全に自由になって、自分だけの世界に深く潜ることは、きっとすごく贅沢で幸せなことなのだと思う。誰にも邪魔されない、あの静かな図書室の時間のように。
でも、今の揺里には、それだけが完璧な正解だとはどうしても思えなかった。
一人でいることの静けさも、きっと大切。
だけど、マイやチカとくだらないことでお腹を抱えて笑い合ったり、伊織くんがわざと悪者になって私の秘密を守ってくれたり。そんな風に、誰かの色彩と自分の色彩が不器用に混ざり合う瞬間のなめらかな温かさも、やっぱり同じくらい、私を救ってくれている。
(孤独のなかに幸福があるように、誰かと一緒にいる時間のなかにも、ちゃんと私だけの幸福があるのかも)
難しい哲学の言葉を、綺麗に右から左へ並べることはできない。
ただ、画用紙の上でふたつの色が溶け合っていくのをじっと見つめながら、揺里は自分のなかの、まだ名前のつかない小さな問いの答えを、ゆっくりと手探りで探していた。
窓の外からは、秋の始まりを告げる優しい風が吹いてきて、美術室の白いレースのカーテンをふわりと揺らした。
筆を洗う水入れのなかの透明な水が、揺里が落とした青色の絵の具で、静かに、優しく染まっていく。




