第43話:廊下の爆笑、やさしい嘘の代償
「えー、本当にそれだけ?」
マイがまだニヤニヤしながら揺里の顔を覗き込もうとした、その時。
美術室の手前の階段から、「ギャハハ!」という男子たちの大きな笑い声が響いてきた。声の真ん中にいるのは、やっぱり伊織くんだ。彼は男子グループに囲まれながら、大げさな身振り手振りで何かを話している。
「あ、伊織くんだ。ねえ、ちょっと聞いてみようよ」
マイがいたずらっぽく目を輝かせ、美術室に入ろうとしていた伊織くんの背中に向かって声をかけた。
「おーい、伊織くん! さっきゆらりんにハンカチもらってたでしょ! あれ何の話ー?」
「マイ、ちょっとやめてよ……!」
揺里が慌ててマイの制服の袖を引っ張ったけれど、もう遅かった。伊織くんはこちらを振り返り、一瞬だけ目を丸くしたあと、すぐにいつものおちゃらけたスマイルを浮かべた。
「あー、あれ? バレちゃった?」
伊織くんはわざとらしく肩をすくめると、周りの男子やマイたちに聞こえるような大きな声で言った。
「いやさ、昨日の一六立、授業中にものすごいマヌケな顔して爆睡してたわけ。そんでさ、机の上にヨダレをダラダラ垂らしてたから、俺の高級なハンカチを哀れみで貸してあげただけだよ!」
「ぶっ……! ギャハハハハ!」
「マジかよ一六立! サイテーじゃん!」
その場にいた男子たちや、通りすがりの生徒たちが一斉に大爆笑した。
「もー、ゆらりん何やってんのー!」とマイもお腹を抱えて笑い出し、チカすらも口元を手で押さえてクスクスと肩を揺らしている。
(よ、ヨダレなんて垂らしてないもん……っ!)
顔がカッと火を噴くように熱くなる。みんなの笑い声に包まれながら、揺里は恥ずかしさと情けなさで、その場にしゃがみ込んでしまいたいほどの複雑な気分だった。女の子として、そんな雑なストーリーをみんなの前で大声で発表されるなんて、あんまりだ。
けれど。
笑い声が響く賑やかな廊下のなかで、伊織くんが美術室のドアに手をかけながら、一瞬だけ揺里の方を振り返った。
そのとき、彼はみんなに見えないように、片目をパチッとウインクしてみせたのだ。
(あ……)
揺里はハッとして、抱えていたスケッチブックを強く握りしめた。
昨日の夕方、誰もいない教室で、私がボロボロと大粒の涙を流して泣いていたこと。
小さくて苦しい嘘をついて、出口がなくなってしまっていたこと。
彼は、その本当の理由を、誰にも言わないって約束してくれた。
みんなに不審がられないように、自分が悪者(お調子者)になるような最低の嘘を、わざとその場で作ってくれたのだ。
恥ずかしくて、ちょっとムカつくけれど。
でも、私のあのみっともない秘密を、この賑やかな笑い声のなかに完璧に隠して守ってくれた。
(……伊織くん、ありがとう)
揺里は、まだ赤さが引かない頬をスケッチブックで隠しながら、心の中でそっと、彼への小さな感謝を呟いた。
美術室の窓から差し込む明るい光のなかへ、みんなの笑い声に紛れるようにして、揺里は一歩を歩み進めていった。




