第40話:水曜日の朝、カバンの中の小さなラベンダー
カチリ、とスクールバッグのファスナーを閉める音が、静かな自分の部屋に響いた。
バッグの一番上のポケットには、お母さんのミストをひと吹きして、丁寧にアイロンをかけたブルーのチェック柄のハンカチが綺麗に収まっている。おひさまのようなラベンダーの香りが、カバンの隙間からふわりと漂って、揺里の胸をトクンと小さく震わせた。
(……よし。今日、ちゃんと返さなきゃ)
通学路を歩くローファーの足音は、昨日よりも少しだけ速い。すれ違う他クラスの生徒たちの声を聞きながら、揺里は何度も肩にかけたバッグの重みを確かめていた。
校舎に入り、上履きに履き替えて階段を上る。
いつもと変わらない、少し薄暗い廊下。けれど、自分の教室のドアに近づくにつれて、手のひらにじっとりとした緊張の汗がにじんでくるのが分かった。
ガララ、と静かにドアを開ける。
「あ、ゆらりん! おはよー!」
一番に気づいて声をかけてくれたのは、やっぱりマイだった。その隣で、チカも教科書を広げたまま「おはよう、ゆらりん」と小さく手を振る。二人のいつもと変わらない笑顔に、揺里は「マイ、チカ、おはよ」となるべく自然な声を返して、自分の席へとついた。
バッグを机のフックにかけながら、揺里は無意識に、教室の窓側の席へと視線を泳がせてしまった。
そこには、いつもの男子グループに囲まれて、楽しそうに笑っている伊織くんの姿がある。普段通りの、おちゃらけたクラスのムードメーカー。
(……いつ、どうやって返そう……)
小さく息を呑んで、何度もスクールバッグのポケットに触れてしまう。そんな揺里のソワソワとした落ち着かない様子に、マイが購買のいちごオレを持ったまま口を開きかけた。
「ねえ、ゆらり――」
何か言いたそうなマイの言葉の途中で、チカが下からグッとマイの制服の袖を引っ張った。
マイが不思議そうに振り返ると、チカは何も言わずに、ただ静かに首を左右に小さく振った。マイは一瞬だけ目を丸くしたけれど、すぐに「あ……」と声を漏らし、それ以上は何も聞かずに揺里へもう一度小さく笑いかけた。
二人はそっと距離を置くように、自分たちの席へと戻っていく。
その等身大の優しい気遣いが、今の揺里にはたまらなく愛おしく、少しだけくすぐったかった。
予鈴のチャイムが鳴り響き、みんなが一斉に前を向く。
カバンの中で静かに眠る、あの小さなラベンダーの香りを背中に感じながら、揺里はドキドキする胸を押さえて、水曜日の最初の授業の始まりを静かに待っていた。




